49.極東軍事裁判の管轄権
49.1.罪状認否
極東裁判の開廷から3日目に審理が開始され被告人の罪状認否が始まった。
検察側から示された罪状を被告人が認めるか否か、ここでは一言「無罪」と発するのが欧米の裁判の慣例となっている。
罪状認否手続は欧米法における手続である。
裁判官の「有罪か無罪か(Guilty or Not Guilty)」の問いに対して、被告人が「無罪(Not Guilty)」と答えると、事件の事実に関する審判(事実審)を行い、「有罪(Guilty)」と答えると、検察側の主張を認め、量刑のみの審判(法律審)を行う法廷慣習である。
昭和21年(1946年)5月6日の法廷で、ウエッブ裁判長は被告に対し罪状認否を尋ねた。
アルファベット順に、荒木被告から梅津被告まで質問したが、大川周明を除く被告全員が「無罪」を申し立てた。
被告人の中には、有罪を認めた者もいたが、弁護士から強く説得され、法廷では無罪を申し立てた、という。
大川周明はその挙動により、精神異常と判断され都内のアメリカ軍病院に入院させられ裁判に出席せず、罪状認否は後回しとされた。
被告には一人一人に専任弁護人が付いていた。
49.2.弁護団の審議延期申し立て
被告人の罪状認否が終わり、審議が始まろうとすると、清瀬弁護人は、審理は1ヶ月少なくとも3週間後に開始して欲しいと申し立てた。
その理由として、弁護側の調整期間があまりにも短かったことを主張した。
特に被吿の板垣、木村の如きは一昨々日東京に參りまして、弁護人と会ったのは一昨々日でそれも三分󠄃間だけだった、と主張した。
一方、キーナン検事も、検察側としては準備は出来ているが、他に様々な作業もあるので、少なくとも1週間、長くとも10日以内に日取りを決めて、総ての動議を提出することを提議した。
結局ウェッブ裁判長は、1週間後の5月13日(月)9時30分まで休廷すると宣した。
49.3.裁判官の忌避申し立ての却下
5月13日9時40分に開廷され、その冒頭ウエッブ裁判長は、清瀬弁護人から出されていた、裁判官の忌避申し立てについて、当法廷判事は全員この要求を拒絶したと述べ、依って本要求は拒否すると述べた。
清瀬弁護人は、此の要求の理由はまだ述べていないので、理由を述べる機会を与えられることを望んだ。
しかし、ウェップ裁判長は、本決定は既に決定しているので、本問題に開しては既に討議の余地はないと、した。
そして、弁護団から出された、もう一つの動議である、「法廷の管轄権」については説明を求めた。
49.4.裁判所管轄に関する異議申し立て
「法廷の管轄権」とは、特定の事件に対して裁判を行う権限を云う。
即ち勝利者である連合国がこの裁判を行う権利を持つか否かについて論議を求めたのである。
もし持たぬならば、裁判は成立せず被告は釈放される。
もちろん、そのようなことを考えた弁護人、被告は一人もいなかった。
しかし裁判と名付けられた以上、管轄権は争わなければならないならない、第一の争点である。
清瀬弁護人は裁判所管轄に関する異議申し立てを行った。
その概要は次の通りであった。
ポツダム宣言の条項は連合国も制約する。
無条件降伏とは、軍隊の無条件降伏であって、国家の全面的無条件降伏ではないことを、弁論の中核とした。
俘虜の虐待を含む戦争犯罪を厳罰に処する条件は認めるが、問題となるのは戦争犯罪という言葉の意味である。
当時の国際法学者は宣戦布告、戦争行為自体を戦争犯罪と認めていなかった。
平和に対する罪、又人道に対する罪というのはポツダム宣言の時点では法律上戦争犯罪の範囲外であった、従ってこのような罪で起訴することは違法である。
或る行為を後になってから法律を作って処罰することは近代法の大原則に背くものであり、公正をうたった裁判は根底から崩壊する。
<清瀬弁護人>
その説明を3点に分けて説明した。
第一点目は、この裁判所に於ては「平和に対する罪」及び「人道に対する罪」に付いて、裁きをする権限がないと云う。
1945年7月26日に連合国が発した降伏勧告のポツダム宣言、これを受諾して9月2日に東京湾に於て、日本政府は連合国と調印した。
本法廷は、ポツダム宣言第10条に於て戦争犯罪人と称する者に対する起訴を受けることは出来るが、同条項に於て戦争犯罪者と定義されない者を裁判する権限はないのである。
1928年8月27日にアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ国、フランス、イタリア王国、大日本帝国などの当時の列強諸国をはじめとする15ヵ国が署名し、最終的にはソビエト連邦など63か国が批准した。
この不戦条約は国の政策としての戦争は咎めて非として居るが、これを犯罪とは云っていない。
当時の戦争犯罪の概念は、「戦争の条規、慣例に違反」であった。
1945年の8月8日にロンドンの戦争犯罪会議で戦争犯罪の意義を拡張することが決まり、ニュールンベルグ裁判の憲章に組み入れられた。
しかしポツダム宣言は7月26日のことで、この宣言を解するのに、8月8日の資料を以て解すると云うことは、矛盾撞着である。
そして、ドイツと日本とは降伏の仕方が違っている。
ドイツは最後まで抵抗して、ヒットラーも戦死し,ゲーリシグも戦列を離れ、遂に崩壊致し、全く文字通りの無条件降伏を致した。
それ故にドイツの戦犯罪人に対しては連合国は、若し極端に言ふことを許されるならば、裁判をしないで処罰することまでもなし得たかもしれない。
しかし、日本に於てはまだ連合軍が日本本土に上陸しない間にポツダム宣言が発せられ、降伏条件が述べられていた。
その第五条には、連合国政府は、この降伏条件を守る、とある。
日本はこれを受諾したのである。
それ故にニュールンベルグに於ける裁判で、平和に対する罪、人道に対する罪を起訴して居るからと云つて、それを直ちに類推して極東裁判に持って行くと云うことは絶対の間違いである。
第ニ点目は、
ポツダム宣言の受諾と云うのは7月26日現在に、連合国と日本との間に存在していた戦争、日本では当時大東亜戦争と唱えていた戦争、この戦争を終了する国際上の宣言であつたのである。
それ故にその戦争犯罪と云うのは、あの時に現に存在しておった戦争、日本の云う大東亜戦争、連合国の云う太平洋戦争、この戦争の戦争犯罪を言ったものであり、此の大東亜戦争、又太平洋戦争にも開係がなく、既に過去に於て終了してしまった戦争の戦争犯罪を思い出して起訴するなどと云うことは止めるべきである。
第三点目は
当時の降伏は戦争状態にあった国との間のことである。
ところが日本とタイ国との間には当時戦争はなかった。
タイはシャムとも云う、独り戦争なきのみならず、タイと我が国は同盟国であった。我が国がタイに於てタイに対するする戦争犯罪をしたといったようなことは実にどうも夢想も出来ぬ架空のことのように思ふのであります。
仮に何かの解釈で日本とタイとが戦争をしていたと仮定をしてもタイ国は連合国ではなかった。
それ故にその理由からも我が国がタイ国に対して犯した戦争犯罪というものは、この裁判所に於て裁判さるべきものではないのである。
最後に、清瀬弁護人は、「以上三点について御審議の上内容に入つて訴訟行為をする以前にこの問題を処理あらんことを乞います」と云って、説明を終えた。
49.5.弁護団動議に対する検察団の反駁
キーナン検察官は、裁判長も驚くほど激しく反駁した。
弁護側の法律論議は、文明を救うために行っているこの裁判の挑戦だという。
法律論による犯罪で犯罪人が処罰されないなら人類は生き残る法律的権利がなくなるのではないか。
キーナンの反駁はスターリンの演説を引用し、ルーズベルトの言葉を引き、休憩を挟んで延々2時間に及んだ。
<キーナン検察官>
その概要は次の通りであった。
この動議には日本の降伏が或る条件に基いていたということの主張及び含みがある。
これは、誤った主張である。
すなわち、日本の降伏は全く無条件になるものである。
これは降伏文書及び他の書類を参照すれば必ず立証される。
この弁護人が主張するところは、
文明の存続を危くする残酷なる、又不法なる戦争をした勢力を指揮した者が、その高い官職或いは責任の地位によって揮った、そのような行為に対して罰せられることを免除されるということである。
そしてこれは、こういう破壊を齎(もたら)す権能権力を持った指導者及び官吏を、即ちこの破壊を準備し、計画し、それを開始した官史及び指導者を何時まで経っても法廷の裁きに連れて来るということが出来ないという主張である。
即ち是等指導者の支配及び命令に服従せればならなかった無力なる犠牲者が、又他の数百万の無辜の民は、是等の行為の為に言語に絶する苦痛を忍ばなければならず、一方是等の指導者は処罰されずに自由の儘であることになる。
そして是が法律であると主張されている。
斯かる主張は不健全であると同時に忌まわしいものである。
斯かる屈辱的な法理論の力に従い責任を有する犯罪人を処罰せず、自由の身の儘に置いて置くことが出来ないのである。
それは組織された社会が無責任に黙認し無関心の傍観的態度を執り、文字通りその破滅を待たねばならぬと云うのと同じである。
それは即ち人類が自らを救ふと云う法律的な権利を持って居らないと云う主張に等しい。
又1928年8月27日、パリ不戦条約が締結された(パリに於て調印された非常に重大なるケロッグ・ブリアンとも云う)。
この協定によると、締約国、即ち日本を含む文明世界の殆ど全国は、彼等の国民の名にて国際紛争の解決の為に戦争に愬(うった)えることを弾劾し、相互の反省に於て国策の手段として戦争を抛棄している。
この協定の文章には犯罪と云う言葉はないが、締約国は国策の手段として戦争を抛棄したと云う事実に依り、侵略戦争の組織を法外に置くこと、即ち不法なるものにすることを企図して居たことが明らかである。
即ち、キーナン検察官は、
日本の降伏は無条件降伏であり、多くの無力の人々を苦しめ、文明の破壊をもたらそうとした犯罪人を、法理論を盾にして許すことなど、あってはならない。
そして、裁判所憲章はパリ不戦条約などによって、すでにある国際法を宣言しているものであり、全くの事後法ではない。
と主張したのである。
さらに検察側は英国代表のコミンズ・カー検察官を登場させ反駁を加えた。
再び反論に立った清瀬弁護人は、キーナン検察官が元米国大統領ルーズベルトの言葉を引用し反論した事に対し、トルーマン米大統領の言葉を引いて報いた。
トルーマンの言葉とは「世界の歴史が始まってから初めて戦争製造者を罰する裁判が行われようとしている」というものである。
しかし、ウエッブ裁判長は「トルーマン大統領が言ったと云うことは、本件について何等関係がない」と突き放した。
更に清瀬弁護人が言おうとすると、ウエッブ裁判長は討論の終結を宣言し、閉廷した。
翌日5月14日裁判が開廷されると、アメリカ側弁護人から補足動議がなされた。
これは、前日の5月13日に清瀬弁護人から出された「申し立て」に対する「追加申し立て」で、アメリカ側弁護人は清瀬弁護人の申立を支援する、ということであった。
そして、この弁論の中で、法廷を刺激するような発言が飛び出すのである。
<続く>