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旅日記

望洋−13(船舶特幹生の訓練)

6.船舶特幹生の訓練

 

6.1.船舶特幹生の入隊

全国から集まった第一次採用者は、昭和19年4月10日着隊すべしとの通知を受け、全国から香川県三豊郡豊浜町の海岸沿いにある富士紡の工場(戦後も冨士紡の工場となっている) を改造した仮兵舎に集まった。

その後直ぐに身体検査が行われ、検査不合格者は即日帰郷を命じられた。

合格者は船舶特幹一期生として仮兵舎に入隊した。

第二次採用者は年齢の比較的若い者(主として大正15年以後昭和生まれの者と思われるが、一期生の中にも大正15年以降の生まれの候補生もいた)が第二次として採用され、第一期生が小豆島を出たあとの昭和19年9月10日に第二期特幹生として入隊し、翌11日に軍司令官を迎えて入隊式を挙行している。

その後、特幹隊は第三期生、第四期生と続いていく。

翌4月11日、船舶司令官鈴木宗作中将、船舶練習部長馬場英夫少将の来隊があり、入隊式を挙行し全員が陸軍一等兵を命じられ、兵籍に編入されることとなった。

当初の部隊は、暁二九四〇部隊於保部隊と称した(後に正式に船舶兵特別幹部候補生隊と改称された)。

部隊長はその隊名のように、於保佐吉中佐で副官兼教育主任として吉野義英大尉がおり、各中隊長は次のとおりであった。

第一中隊長 伊藤龟代三大尉
第二中隊長 中通 勤大尉
第三中隊長 藤嶺正行大尉
第四中隊長 石塚恒藏大尉
第五中隊長 柿原美義大尉
第六中隊長 松本 勇大尉 

この六コ中隊は、それぞれ五コ区隊に分かれ、区隊は更に二コ教育班に分かれていた。


すなわち、各中隊に約315人、各区隊に約63人、各班に31〜32人という構成であった。


これらの中隊長は、陸軍士官学校出身者(五二期)と下士官からの少尉候補者出身者、特別現役志願将校の三者からなっていた。

区隊長はほとんど甲種幹部候補生又は少尉候補者出身の将校 (中、少尉)であった。

船舶特幹は、船舶兵の下士官を速成する制度であったので、その基礎訓練を行なう候補生隊は、教育期間は正味五ヵ月で、この期間は通常の軍隊の初年兵教育と同時に下士官としての教育が併行して実施された。

この隊が教育機関であることの特色としては、一つは通常の軍隊にある古年兵というものがなく、中隊長の下に区隊長、教育班長がいるだけであること、もう一つは内務班長、週番士官、衛兵司令、舟艇監視長等の下士官の行なう勤務について、候補生が当番で担当するやり方であった。

こうした速成の要求と、年令が満15歳以上20歳までという若者の隊であるために、特に軍人勅諭を主とした精神講話に多く時間をかけたが、学科としては陸軍刑法、陸軍礼式令等の講義が重点とされ、また特に内燃機関、電磁気学が重点となっていた。

一方実技面では船舶兵のため、水泳訓練、手旗訓練は全期間を 通じて行なわれ、大発の操法や、ディーゼル・ガソリン機関の操作は特に重点とされていた。

大発
大発とは、大発動艇の略で、旧日本陸軍が開発し、旧日本海軍でも運用された上陸用舟艇の一種である。

兵員や砲を海岸に陸揚げするためのボートで、船首が倒れて道板になるのが特徴である。

海軍も十四米特型運貨船の名で採用し、陸海軍共用となった数少ない兵器の一つでもある。


香川県豊浜町での入隊式

昭和19年4月9日22時、第一期生の入隊生は日本陸軍の輸送船宇品丸と暁南丸に分乗して宇野港(岡山県玉野市)を出港した。

これらの船に乗り切れない一部の入隊生は、翌日に迎えに来た上陸用舟艇大発で四国に渡った。

<宇品丸>


中村は宇品丸に乗った。

この夜は寒くて中々寝付けなかった。

翌朝目が覚めると、船は香川県豊浜町の沖合を航行していた。

そして、近くに見える古い工場のようなものが兵舎であると、聞いて驚いた。

驚いたのも無理はない。

そこは、元富士瓦斯紡織㈱豊浜工場で、昭和19年(1944年)戦局が切迫してきたため閉鎖され、同年4月1日に陸軍に貸与され、船舶幹部候補生隊の寄宿舎、兵舎に転用されたものだったからである。

 

午前10時に営庭に出身都道府県、朝鮮、台湾、満州の別に整列した

編成が行われ、中村は第三中隊に編入された。

田中隆雄は第三中隊に、久川周秀雄は第五中隊に編入された。

中田徹は第六中隊に編入された。

 

中村は隊員の中に意外な人物を見つけた。

同じ名古屋陸軍造兵廠で働いていた岩本と佐竹である。

岩本は愛知県知多郡大高(現名古屋市)の出身で、又佐竹は、中村と同じ岐阜の出身で造兵廠に入ったときに知り合ったが、職場が違うため、めったに会うことがなかった。

顔が合うと、向こうも気がつき、笑顔で頷いた。

中村はこの二人が特幹の試験を受けたことを知らなかったのだ。

もちろん、向こうも知らなかった。

「おどろいたなぁ。お前たちも特幹を受験したのか?」

「俺の方こそ驚いたよ。全く想像もしていなかったから」

「受験場でも見かけなかったしなぁ」

「受験者はとんでもなく大勢いたから、出会わなかっただろう」

「でも、ここで、お前たちと会って、安心した。他に知り合いがいないからちょっと心細かったから」と中村は岩本と佐竹に嬉しそうにいった。

「これから、一緒にお国のために頑張ろう」と岩本は明るく言ったが、佐竹は真剣な表情で「絶対に頑張ろう」と言った。

中村は、佐竹の表情をみて少し異常さを感じたが、緊張しているからか、と思った。

岩本も佐竹も同じ第三中隊に編入されていた。

この後兵舎に帰り隊軍服を支給されたが、軍服を見ると、一等兵の階級章がついており、中村は少し驚いた。
この事は聞いていたが、初日から一等兵から始まるとは、正直思わなかったのである。

兵舎に戻り軍服に着替えた中村は、今から自分も軍人になったのだと、嬉しくて、ソワソワして落ち着かなった。


4月11日

5時半に起床ラッパが鳴り響いた。

隊員たちは藁布団から起き上がり、今日から軍隊生活が始まることを自分に言い聞かせ、起き上がった。

入隊式が行われ軍帽を被った時は一度に大人になったような気分だった。
そして、「さぁやるぞ」と心の中で呟いた。

入隊式では、船舶司令官鈴木宗作中将、船舶練習部長馬場英夫少将、部隊長於保佐吉中佐の訓示があった。

中村はこの訓示を聞きながら、益々希望に燃えたのである。


船舶隊の歌

入隊後、すぐに教えられたのが船舶隊の歌であった。

歌唱指導などはなかったが、歌いやすい曲であった。

豊浜にて演習の往復途次でいつも歌っていたのがこの船舶隊の歌であった。


作詞・作曲:不詳

一、
暁映(は)ゆる瀬戸の海
昇る朝日の島影に
偲(しの)ぶ神武の御東征(みいくさ)や
五条の勅諭(みこと)畏(かしこ)みて
強兵(つわもの)吾等海の子は
水漬く屍と身を捧ぐ
ああ忠烈の船舶隊

ニ〜五(略)

教練は翌日から始まった。

入隊後の数日間は各個教練が主体で、時々手旗信号等を習った。

各個教練とは、部隊訓練の基礎として、一人一人に姿勢、行進、執銃などの基本動作を練習させることである。

4月17日

第三中隊長の藤嶺中尉の訓話が行われた。

訓話の内容は次のようなものであり、中村はよほど気に入ったのか不思議なことに、これをずっと忘れなかった。

1、有形無形的環境を整理し以て精神要素を絶対的に涵養し厳粛なる軍紀二千興せしむ。
2、各自の素養及び素質を活用し切磋琢磨、自他共に向上できる良風を養成する。
3、悠遊和楽の間にも形状礼節を辨(わきま)へる成人たらしむ。

                                                                                                                                                                                                                  
佐竹の帰郷

中村が、佐竹に会ったときに感じた懸念が現実となった。

4月18日から部隊教練が始まった。

その駆け足行進の最中のことであった。

誰かが列から外れはみ出て倒れてしまったのである。

行進はそのまま続いていた。

教官が、倒れた男に近づき、大声で何か言っていた。

そのうちに、医務係と思われる人が2、3人駆けつけ、倒れた男を担架に載せて運んで行った。

中村は、後でその倒れた男は、佐竹であることを知った。

岩本と二人で医務室に見舞いに行った。

佐竹は、ベッドで寝ていた。

「佐竹 佐竹」と声を殺して言った。

佐竹は薄目を開けて、中村達を見た。

佐竹は、中村と岩本であることに気づくと、上体を起こそうとした。

中村は「無理すんな」といったが、佐竹は苦しそうに上体を起こした。

佐竹は、中村と岩本の顔をじっと見て、悲しそうに、悔しそうに言った。

「俺は病気だ」と言って俯いた。

泣いているようだった。

中村と岩本は言葉を失った。

なんと言って慰めてよいのか分からなかったからだ。

それでも、中村と岩本は考えられる文句を探し考え、慰めた。

しかし、佐竹は思いがけないことを言った。

「俺は、実家に帰らなければならないだろう」

えっ、と驚く二人に佐竹は、一呼吸おいて言った。

「どうやら、俺は肺炎に掛かっているようだ、と医務の人が言った。

俺は、中隊長殿の訓話を聞いて、これから世のため、故郷の人のために我が身を尽くそうと思い、元気を貰ったばっかりだった、のに」

中村と岩本は「体を直して元気になれば、これから世のために、いくらでも尽くせるから、元気をだせ」と言うことしかできなかった。

4月21日、佐竹は帰郷した。

短い間だったが、同じ目的を持ち苦労を共にしてきた友がいなくなるのは、なんともいえない寂しさだった。

そして、佐竹の気持ちを思うと、これからは彼の分まで働かなくては、と思った。

 

中村は、しばらく佐竹の事が頭の中から離れなかった。

それが、集中力を欠くことになり、思わぬ失態を招くことになった。

ある日、兵器手入れの検査が行われ、中村の兵器が手入不良と指摘されて、区隊長に呼び出された。

中村は、制服を脱がされ、

「注意が散漫で、集中力が欠けている。

こんな状態では、お国のためにも、お前のためにも良くない。

家に帰れ!」

といわれた。

すると、中村の頭の中に、寂しそうな母の姿が浮かび涙が流れた。

 

翌日、部隊の兵器検査が行われ無事合格した。

 

<続く>

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