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旅日記

京都嵐山 巡り

嵐山周辺巡りのこと

先日同郷の人たちと嵐山のウナギ料理屋で久しぶりに食事会をしました。この時ちょっと早めに行って近くの天龍寺に行ってみました。

人はそれほど多くなかったです。しかし待ち合わせ時間が迫ってきたので、天龍寺の中までは入らず境内の散歩に留め、今度改めてゆっくり来ることとしました。

と言うことで、嵐山をゆっくり巡ることとにしたのです。

 

嵐山に私が最初に訪れたのは、中学校の修学旅行の時で、今からもう半世紀以上も昔のことです。私の故郷は島根県江津市の江の川沿いを上流に約20Km入ったところににある小さな町です。三江線と言う鉄道が通っていたのですが、2018年4月をもって廃止となりました。

修学旅行はここの駅(石見川越)からから鉄道で江津駅に出て、山陰本線に乗り替えて京都まで行くのです。もう大変昔のことなので、はっきりした記憶はありませんが、朝早く出て、京都に着いたのは薄暗くなっていましたので夕暮れ時だったと思います。

因みに三江線の列車速度はカーブの多い山間を走るため速くて40Km/h(昔運転席でスピードメータを見たことがあった)、山陰線は多分これより早く60Km/hのスピードで走っていたと思います。

したがって、石見川越と江津間の20Km、江津と京都間が454Kmで、合計474Kmを列車のすれ違い待機時間等で平均50Km/hで走行して約10時間で京都に到着です。

列車内のことはあまり覚えていませんが、引率の先生が、列車の中で酒を飲んでおられたような気がします(😊)。

ここまで書いきて、嵐山観光から大分脱線したことに気が付きましたが、もう少し横道にそれます。

泊まる旅館は西本願寺総門から少し東に入った油屋旅館というところです(この油屋旅館を今Google mapで探しても見つかりませんでした)。

川越中学からの修学旅行生は例年この油屋旅館に泊まっています。さて食事が終わった後、京都の夜の街を先生に引率されて見学します。

しかし親戚や知り合いの修学旅行生が京都に来たということで、郷里から出て京都で働いている達が、これとは別に京の町を案内してくれることもあります。

 

私は他の修学旅行生6人と、十年くらい前に郷里を出て京都で働いている女性二人に案内され京都の夜の街を別グループで見学に出ました。

旅館を出て西本願寺総門をくぐったところにあった停留所で市電に乗り、四条の新京極に行きました。

この西本願寺総門は堀川通によって通の西側にある西本願寺の境内と切り離され、堀川通と交差する正面通の入り口に立っています。

また門の周囲に塀や垣などはないうえに門扉は常に開かれているため、車両が普通に往来しているため、「変な建物だ」と不思議に思いました。この変な建物だいな、と感じたことがあとで役に立ったのです。

<西本願寺総門 堀川通りを挟んで東側に建っています>

新京極で、先生に引率されて見学に来ている同級生Y君に会いました。

この時私たちのグループのM君が、Y君に一緒に見学しようと言ったので、Y君は私たちと一緒に行動しました。

帰りもY君は私たちと一緒に旅館に帰りました。旅館に帰ってみると、先生に引率されたグループはまだ帰っていませんでした。

Y君は、私たちについて行くことを先生に告げていないと言いました。そこで、私とY君、M君は一緒に新京極まで引き返すことにしました。

 

市電には乗らずに歩いて行きました。

途中で間違って迷わず引き返せるよう、通過する市電の停留所の数を勘定しながら行きました。

しかし市電の停留所を3つ過ぎたころに時間も大分遅くなっている(多分10時は回っていたと思います)ことに気づき途中で引き返すことにしました。

帰りは迷わず帰れる自信がありました。停留所を3つ過ぎて西本願寺総門を左に曲がればいいからです。

 

いまから考えると市電に乗らなかった理由を思い出せませんが、恐らく田舎からでてきたので、乗り方が分からなかったのかもしれませんし、間違って遠くに行ってしまうと、それこそ旅館に帰れなくなることを恐れたのかもしれません。

田舎の中学生が今まで経験したことのない市電に乗ることよりも、自分の体を使って歩く方が安心できたのでしょう。

旅館に着いたら大騒ぎで警察に届け出る一歩手前だったそうです。

もちろん先生から大目玉でした。それにしても、残された人がどんなに心配し、迷惑したかを考えると、大変愚かで無責任なことを行ったものでした。

今まで同窓会でY君やM君と会うことがありました、その時はこの事件のことはすっかり忘れており話題になっていません。

 

この事件の翌日が嵐山の渡月橋周りの観光でした。

ここまで書いて当時の記憶がちょっと蘇ってきました。京都観光は、清水寺に行き、そのあと西陣織の工場を見学したと思います。

昼食は確か嵐山で食べたと思います。観光バス1台に乗って回りましたが、生徒(66人)と先生(3人だったと思います)でバスに乗ったのですごく窮屈な感じがしたのを思い出しました。

 

今は補助席を入れても70人も乗れるバスはないと思うのですが、この時はあったのでしょうか?謎です。しかし翌日は宇治平等院から奈良に行き大阪へと、バスで行ったのですが、この日は男女に分かれバス2台に乗ったため、ゆったりしていたことを覚えています。

京都、奈良、大阪と道中が長いので、2台に増やしたのでしょうかね。団塊の世代最後の私たちは、田舎でも1クラス33人で1学年66人いました。因みに高校は1クラス55人で6クラスありましたね。

 

さて嵐山観光についてです。2018年10月17日(水)に京都駅から嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山までいきました。ここから徒歩で「竹林の小径」を通って、「化野(あだしの)念仏寺」まで行こうと思います。

 

1.竹林の小径

「竹林の小径」は野宮神社から大河内山荘庭園へ通じる長さ400mほどの両側を竹(多分孟宗竹)に囲まれた小径です。普通では味わえない感覚で散策できます。

「竹林の小径」には嵯峨嵐山駅から西に向かうと府道29号線にでます。ここを少し下ると右側に京都市営バス「野々宮」のバス停があります。これが入り口の目印となります。

 観光客はいましたが、平日のせいか混みあうほどのことはありませんでした。ここでもやはり中国語が沢山飛び交っていました。

 

「竹林の小径」を抜けて、「トロッコ嵐山」駅を右下に見ながら通過し「小倉池」に出ました。この池の傍に「御髪神社」があります。御髪神社は日本で唯一の「髪」の神社です。

 

2.御髪神社

<停車している車の左に鳥居が見えます>

 

3.常寂光寺

御髪神社から約300m歩くと「常寂光寺」に着きます。「常寂光寺」は1596年(慶長1)本国寺十六世究意院日禎によって開創されました。

京都屈指の紅葉の名所ということですが、この日はまだ秋も深まっておらず色づいた紅葉は見られませんでした。しかし緑色の紅葉もまた素晴らしかったです。

この辺りに来ると、中国語は聞かれませんでした。

次はここから約800m先の「祇王寺」に向かいます。

「祇王寺」は昔、法然上人の門弟良鎮によって創建されたとされる、往生院の境内にありましたが、往生院も後年は荒廃しささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになったそうです。

「祇王寺」は「平家物語」にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われ、母と妹とともに出家し入寺した悲恋の尼寺として知られています。

 

4.祇王寺

苔と庭が美しい寺院でした。寺の建物自体は田舎で見かける古い家屋のように見えますが、周辺のよく手入れされた庭園と協調が良くとれており、奥ゆかしさと歴史を感じさせるのでしょう。

<建物の外観は田舎の古い家屋のようでした>

「祇王寺」から歩いて800m先の「化野念仏寺」に行きました。

 

5.化野念仏寺

「化野念仏寺」は弘仁2年(811)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となったといいます。

境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものらしいです。

毎年8月23、24日の両日には、境内8000余体の石塔、石仏に灯を供える千灯供養が行われるそうです。

 

観光客が少なかった影響もあるかもしれませんが、今日見学した寺はいずれも、庭園、周囲の自然とよく溶け合い自然の中のひっそりと佇んでいる印象でした。

また京都には古いものが大切に保存されており、古都と呼ばれるにふさわしい所ですね。

今日は16,000歩、約10Km歩きました。

 

<完>

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