上賀茂神社、下鴨神社と東本願寺、西本願寺に行きました。
上賀茂神社は下鴨神社とともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社として加茂神社と総称されます。
上賀茂神社も下鴨神社も通称名で、正式名称は上賀茂神社を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」、下鴨神社を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」と呼ぶそうです。
長い歴史の中で上賀茂神社と下鴨神社と「カモ」の字を変えて分かり易く通称名で呼ばれるようになったそうです。
上賀茂神社、下鴨神社とも「古都京都の文化財」として登録されています。
京都三大祭りの一つである葵祭(正式名は賀茂祭)はこの上賀茂神社と下鴨神社の例祭です。
1.上賀茂神社
<2つの砂の山がもられております。「立砂(たてずな)」と呼ばれており、「清めの砂」の起源と言われています>
上賀茂神社には摂末社が24社あり、その中の第1社に定められているのが片岡社です。片岡社は片岡御子神社の別称で、加茂玉依比売命(上賀茂神社の御祭神「加茂別雷大神」の母君にあたる神様)を祀っています。
この片岡社は縁結びに後利益があると有名で、紫式部もお参りしたとのことです。紫式部の歌碑も少し離れたところにありました。
<紫式部 歌碑:ほととぎす 声まつほどは 片岡のもりのしづくに 立ちやぬれまし>
庭園「渉渓園」の「願い石」は、かつて池の底だった場所から出土し、二つの石が合わさったような不思議な形をしている石で、「陰と陽が融合した姿を表し、両手で同時に触れると力を授かれる」らしいです。
また、「睦(むつみ)の木」は樹齢300年以上のスダジイの木で、一つの根から何本もの大樹が伸びている様から、家族の結びつきを象徴しているとのことです。
下鴨神社にも縁結びの神が祀られています。下鴨神社の楼門そばに相生神社という摂末社です。めでたいことを「相生」といいますが、この言葉は「相生社(あいおいのやしろ)」からできた言葉です。
2.下鴨神社
<言社(ことしゃ)と呼ばれる干支の社です>
<相生社>
日本国歌にうたわれている「さざれ石」とは、ちいさな石という意味です。さざれ石は年とともに大きく成長し、岩になると信じられている神霊の宿る石です。
<これは、以前 茨城県の鹿島神宮に行ったときに取った、鹿島神宮内にあるさざれ石の写真です>
下鴨神社の糺の森の中に、河合神社という摂末社あります。
創建された時代は不明ですが、神武天皇の頃と伝えられています。女性が、美しなりたいという願望の他、良縁・安産・育児、学問、長寿のご利益がある神様として知られています。
手鏡の形をした絵馬がユニークで、自分の顔を書き。お化粧をして奉納する美人祈願が女性に人気があるそうです。
上下の賀茂神社に行ったので、次は東西の本願寺に行ってみます。
京都の本願寺は天正20年(1592年)7月に建てられたのですが、お家騒動(兄弟争い)で分裂して、慶長8年(1603年)に東側にもう一つ別の本願寺が開かれたため、西本願寺と東本願寺に通称されるようになったそうです。
正式名称は西本願寺「龍谷山 本願寺」、 東本願寺「真宗本廟」です。西本願寺は「古都京都の文化財」として登録されています。
しかし分裂して東本願寺を建てたにしろ、西本願寺とは本当に近いところに建てたんですね。
やはり近くに宗祖親鸞の荼毘所がるので、遠くに離れられなかったのですかね。
東本願寺も西本願寺も東向きに建っています。
西方極楽浄土を意識して、西に向かって拝むように建てられたと思います。しかしすべての浄土真宗寺院が東向きに建っているかと調べたらそうではないみたいです。
地形の影響などから様々な方向に向いて建てられています。因みに神社の鳥居やホンデンの向きも決まりはないみたいですが、南向きが多く北向きは少ないそうです。家屋と一緒ですね。
3.東本願寺
4.西本願寺
<こからは私見です。神道も仏教もキリスト教もイスラム教も良く理解して言っているわけではありません。>
神社には立ち入ることも見ることもできない場所や建物が沢山ありますが、寺院はそうでもありませんでした。
これは神社は祈祷をする場所であり、不思議な力を持つと信じる対象、又は社会に貢献や功績のあった人間を祀ってあるので、庶民が穢さないように一線は画して隔離しているのではないかと思います。
人間はただただ、お供え物、賽銭を出してお願い又は感謝するだけの場所になっています。
いわゆる伝統的な神道は人に参拝の仕方を決めているほかは一切人の行動を指導し束縛することはありませんので、厳密な意味で言えば宗教とは呼べないものでしょう。
強引に例えると神社は用心棒のようなもので何か人間の力ではどうもならないときに、それに対抗できる神様を創造し、そこにお願いに行ったのだと思います。
だから何か特別な力があると思うと、人間以外の狐でも、石でも、蛇でも神として祀っていると思います。神道には人間を束縛するような思想がないので、思想に起因する争いは生まれなかったと思います。
しかし寺院は違います、人間の行動や考え方まで踏み込んで指導したり、思想を説いていくいわゆる宗教の一つなのです。人
間的な或いは人間そのものを本尊として祭り、ご本尊の教えとして具体的に布教していくのです。お寺への賽銭は神道の感謝の気持ちではなく、自分の欲を捨てるための大事な修行の一つと言われています。
この思想や考え方は地域や環境等の諸々の影響を受け違いが生まれます。この違いは争いの種になっていきます。また集団が大きくなると組織ができ差別が生まれ、保守的、排他的になることも出てくると思います。本願寺のお家騒動もこうして起こったのではないかと思います。
仏教は紀元前500年頃に北インドで釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が創始した宗教です。釈迦が悟られたことを弟子たちに伝えて行ったのです。
この伝承中には無数の人たちが関与しており、分かり易いように言葉を付け加えたり、言い方を変えたりして、教えは時代に合わせて変わって行ったはずです。
そのうちにそれぞれの教えをより理解しやすいように阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、弥勒菩薩、如意輪観音等々の仏を発明しリアリティを持たせたのではないかと思います。
仏教は長い歴史の中で様変わりしていますが、私は始祖釈迦の教えこそが最たるものであるのではないかと思います。
神道、仏教にも儀式や作法があります。この作法に従って儀礼を行う時、人間は浮世を離れ神や仏、自然の何かと一体になる感覚を味わうのではないかと思います。
茶道や華道などの作法も同じ様な意味かなと想像しました。
神道と仏教に触れて色々感じた1日でした。
<完>
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