女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

理由あり物件。

2015-03-17 09:59:28 | 日記
4月は、新しい季節ですね。
ひどい物件もたくさんあります。

わたしは、最初に大阪に来たときにすんだとんでもない物件を紹介します。
見た目は、普通なのですが、騒音がすごかったです。

日当たりも悪く、狭い寝るだけの部屋だったのですが、音がすごいので困りました。
ガレージが下にあり、朝昼晩に、すごい音で開け閉めです。

そして、隣の部屋上の部屋4方からの騒音です。
ねむれないので、トラックの運転手は、一ヶ月もいないうちに引っ越しましたね。

我慢して住んでいましたが、やはり音は我慢できないですね。
住んでからわかるので、音だけは気をつけてほしいです。

今住んでいるところは、音は静かではないです。
すべてすんでいる人の、話し声はきこれます。

しかし、すんでいる人が注意してくれると、大変助かるのです。
お互いに迷惑をかけないように、静かに暮らすと、すみやすいですよね。

物件は、住んでみないとわからないものです。
音だけは、今でもうるさいので、注意して住んでみるものです。

お年寄りが静かというのも、嘘です。
うるさい人がいます、ドンちゃん騒ぎをされた私は、かなりストレスで太りました。

静かな人がすんでいるのは、運がいいとしか思えません。
私の今の物件は、老人の声が絶えず聞こえて、老人ホームと割り切っています。

あまり、気になる人には、お勧めできないです。
すべて、まる聞こえの物件ですから。

隣の行動がわかる、こんなところに住んでしまいました。
しかし、あきらめることは肝心です。

耳栓など、大いに役に立つものです。
そして、つらいときは、どうにもならないので、やはりあきらめるしかないです。

毎日、老人の声、これは好きな人はいないでしょ。
でも、こんな物件だからこそ、少し家賃は安いのですね。

中国人観光客は、温水便座を持ち帰ります。

2015-03-17 08:44:47 | 日記

中国人は、日本に来て、化粧品、炊飯器、薬、温水便座などをもちかえります。
たいてい50万円以上200万円ぐらいまで、お買い物をします。

化粧品、薬などは、7万円ぐらい買うそうです。
裕福な人々ですが、温水便座をお持ち帰りするのは、驚きますね。

後、日本の鉄瓶、鉄のなべなどが人気があります。
30万円ぐらいのものでも、買って行くそうです。


温水洗浄便座ウォシュレット一体型便器

温水洗浄便座(おんすいせんじょうべんざ)とは洋風便器に設置して温水によって肛門を洗浄する機能を持った便座のことである。商標の普通名称化により「ウォシュレット」や「シャワートイレ」などの呼称で総称している場合があるがウォシュレットはTOTO、シャワートイレはINAX(LIXIL)の商標である。日本ではこの温水洗浄便座を装備した便器が増加しており、現在の普及率は70%程度に達する。

温水洗浄便座は、アメリカで医療・福祉用に開発された。日本では1964年に東洋陶器(現:TOTO)がアメリカンビデ社(米)の「ウォシュエアシート」を輸入販売開始したのが始まりとされる。その後、ライバルの伊奈製陶(ina)[1]も1967年に国産初の温水洗浄便座付洋風便器「サニタリーナ61」を発売(1976年にはシートタイプ(便座単体タイプ)の「サニタリーナF」を発売)、TOTOも1969年に国産化に踏み切った。

しかし初期のこれら商品は温水の温度調節が難しかったことから温水の温度が安定しないために火傷を負う利用者もいたほか、価格も高く普及には程遠かった。もっとも1970年代以前はまだ和風便器も多く採用されていた上、下水道の普及も進んでいなかったのも一因である。

1980年、TOTOは独自に開発を進めてゆき「ウォシュレット」の名称で新たな温水洗浄便座を発売した。このウォシュレットでは温水の温度調節、着座センサーの採用、さらにビデ機能の搭載などが盛り込まれ改良が年々進んだ。日本人の清潔志向の高まりとウォシュレットの積極的なCM展開が普及へと繋がることになる。なお、ウォシュレットに限った歴史についてはウォシュレットの記事も参照されたい。

1980年代半ばには伊奈製陶が「サニタリーナ」に代わって「シャワートイレ」の名称を前面に出すようになり、また電機メーカー各社も松下電工(現:パナソニック)を始めに参入、一部はOEM供給によってしのぎを削るようになる。

1990年代には日本の新築住宅で多くが温水洗浄便座を採用することになる。さらにオフィスビルや商業施設、ホテルといったパブリック用途にも採用が広がり、2000年代には住宅/パブリック問わず採用されるのが一般的となってきている。さらに鉄道駅[2]、鉄道車両[3]のような不特定多数の利用がある場所でも、採用例が出てきたほか、和歌山県は2013年に県内の全公衆トイレに温水洗浄便座を設置する計画を発表した[4]。

☆大きな便座をお持ち帰りする姿が、大阪でよく見ますが、びっくりです。

蓮如

2015-03-17 08:16:10 | 日記

生地 京都・大谷本願寺
(現、知恩院塔頭 崇泰院)没地 京都・山科本願寺
宗旨 浄土真宗 宗派(後の本願寺系諸派)

寺院 吉崎御坊、山科本願寺、大坂石山御坊(後の石山本願寺)

著作『御文』、『正信偈大意』 廟蓮如上人廟所(京都市山科区)、大谷祖廟 (真宗大谷派)他

蓮如[1](れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖。同宗旨[3]では、「蓮如上人」と尊称される。諱は兼壽。院号は信證院。明治15年(1882年)に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。

親鸞の直系とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。その本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた。

☆この方は、すごい人で、5人の奥様がいた人です。
夫人と、子供です。

第1夫人:如了(1424年 - 1455年) - 伊勢貞房の娘 1男:順如(1442年 - 1483年) - 河内出口光善寺開基
1女:如慶(1446年 - 1471年) - 京都常楽寺蓮覚光信室
2男:蓮乗(1446年 - 1504年) - 兼鎮、越中井波瑞泉寺・加賀若松本泉寺
2女:見玉(1448年 - 1472年) - 出家・京都摂受庵見秀尼弟子
3男:蓮綱(1450年 - 1531年) - 兼祐、加賀波佐谷松岡寺開基、鮎蔵坊開基
3女:寿尊(1453年 - 1516年) - 出家・京都摂受庵見秀尼弟子、後に摂津富田教行寺
4男:蓮誓(1455年 - 1521年) - 加賀滝野坊、九谷坊、山田光教寺、越中中田坊開基

第2夫人:蓮祐(1438年 - 1470年) - 伊勢貞房の娘・如了(第1夫人)妹 5男:実如(1458年 - 1525年) - 本願寺第9世
4女:妙宗(1459年 - 1537年) - 出家・知恩院椿性禅尼弟子、左京義政妾
5女:妙意(1460年 - 1471年) - 早逝
6女:如空(1462年 - 1492年) - 越前大谷興行寺蓮助兼孝室
7女:祐心(1463年 - 1490年) - 白川資氏王室
6男:蓮淳(1464年 - 1550年) - 近江大津顕証寺、河内久宝寺顕証寺・伊勢長島願証寺開基
8女:了忍(1466年 - 1472年) - 早逝
9女:了如(1467年 - 1541年) - 越中井波瑞泉寺蓮欽妾
7男:蓮悟(1468年 - 1543年) - 加賀崎田坊、中頭坊、清沢坊、若松本泉寺創建
10女:祐心(1469年 - 1540年) - 中山宣親室、第11世顕如の曽祖母

第3夫人:如勝(1448年 - 1478年) 11女:妙勝(1477年 - 1500年) - 山城勝林坊勝林坊勝恵妾

第4夫人:宗如(? - 1484年) - 姉小路昌家の娘、姉小路基綱の妹 12女:蓮周(1482年 - 1503年) - 越前超勝寺蓮超室
8男:蓮芸(1484年 - 1523年) - 摂津富田教行寺・摂津名塩教行寺

第5夫人:蓮能(1465年 - 1518年) - 畠山政栄の娘、畠山家俊の姉 13女:妙祐(1487年 - 1512年) - 山城勝林坊勝恵室
9男:実賢(1490年 - 1523年) - 近江堅田称徳寺
10男:実悟(1492年 - 1583年) - 河内古橋願得寺
11男:実順(1494年 - 1518年) - 河内久宝寺西証寺
12男:実孝(1495年 - 1553年) - 大和飯貝本善寺
14女:妙宗(1497年 - 1518年) - 京都常楽寺実乗光恵室
13男:実従(1498年 - 1564年) - 河内枚方順興寺

☆お坊さんは、すごく絶倫であることが、わかります、子供が27人で、死亡した子供を入れたらもっといたのでしょうね。


暑さ、寒さも彼岸まで?!

2015-03-17 08:06:26 | 日記

2015年(平成27年)の春のお彼岸はいつからいつまででしょうか。お彼岸の期間についておさらいしましょう。

お彼岸は年に2回、春彼岸と秋彼岸がありますが、一体お彼岸とはどのように決められる日なのでしょうか?

お彼岸の由来や意味、お墓参りの文化


彼岸という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター」の漢訳「到彼岸」の略だといいます。

元々仏教の用語で、「煩悩に満ちた現世である此岸(しがん)を離れて修行を積むことで煩悩を脱して、悟りの境地に達した世界(彼の岸)に到達する」という意味をもちます。

現代の私たちが普段使っている「お彼岸」という言葉は、修行を経て悟りの世界に達したというよりも、彼岸の期間に寺院で行われる彼岸会と呼ばれる法要や、先祖供養の意味で用いられることのほうが多いです。

「お彼岸にお墓参り」という文化は、仏教徒が多い他の国と比べても日本だけの独特の風習です。

お彼岸の中日である春分の日の意味が「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日が「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」という意味をもち、昔から先祖崇拝や豊作に感謝してきた日本らしい文化が影響しているのでしょう。

仏教においては、お彼岸の時期に真西へ沈む夕陽の向こう側にある此岸・浄土の先祖を偲び、夕陽に拝み供養する仏事です。

春のお彼岸の日程の決め方は?

秋のお彼岸

お彼岸とは、毎年「春分の日」と「秋分の日」を中日として、前後3日間を合わせた7日間のことをさします。お彼岸に入る日のことを「彼岸入り・彼岸の入り」といい、お彼岸が終わる日のことを「彼岸明け・彼岸の明け」といいます。

お彼岸の中日である春分の日と秋分の日は日付で決まっているわけではないため、お彼岸の時期(彼岸入り・彼岸明け)も確定しているわけではありません。

そもそも「春分・秋分」とは、太陽が春分点・秋分点に達した日のことをいいます。この日は、太陽は天の赤道上にあり、ほぼ真東から出てほぼ真西に沈みます。

そして「春分の日」と「秋分の日」は国立天文台が作成する「暦象年表(れきしょうねんぴょう)」に基いて閣議によって決められます。毎年2月1日付で翌年の該当日が発表されます。国民の祝日であるため、官報にも掲載されます。

※2年後以降の春分の日・秋分の日は天文学で推測することはできますが、確定ではありません。

2015年・2016年のお彼岸はいつから?いつまで?お彼岸期間は?


春のお彼岸(春彼岸)の時期
お彼岸の期間は、春分の日を中日として前後3日間を合わせた7日間です。お彼岸はいつから始まり、いつまでお彼岸なのかチェックしましょう。


彼岸入り

中日
春分の日

彼岸明け

2015年
平成27年 3月18日(水) 3月21日(土) 3月24日(火)

2016年
平成28年 3月17日(木) 3月20日(日) 3月23日(水)


秋のお彼岸(秋彼岸)の時期

お彼岸の期間は、秋分の日を中日として前後3日間を合わせた7日間です。いつからお彼岸で、お彼岸はいつまでなのかチェックしましょう。





彼岸入り

中日
秋分の日

彼岸明け

2015年 
平成27年 9月20日(日) 9月23日(水) 9月26日(土)
2016年 
平成28年 9月19日(月) 9月22日(木) 9月25日(日)


春の初彼岸とは?
故人が亡くなってから初めて迎えるお彼岸を「初彼岸(はつひがん)」と呼びます。普段のお彼岸と同じように、彼岸入りには仏壇・仏具を清め、お彼岸の期間は、お花やお供え物を供えましょう。

初彼岸だからといって特別なことはないですが、家族みんなでお墓参りに行って故人や先祖を供養できるといいですね。

秋のお彼岸 お墓参り

彼岸法要や施餓鬼法要もおすすめ
またお彼岸の期間に、お寺では彼岸会・お彼岸法要や施餓鬼法要・施餓鬼供養が行われる場合が多いです。

お墓参りだけでなく、お彼岸法要に参加してお坊さんと共に先祖を供養するお彼岸を過ごしてみるのもいいでしょう。

☆あつさも、さむさも、彼岸までといいますが、すごいあたってます、今日の朝は朝もやまで出て、あたたかいですね。

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