女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

地獄道

2015-03-18 10:10:17 | 日記
ここは、地獄の道の休憩所。
わたしは、醜い体に病気まみれで、天国まで遠くて苦しむ。

いきていたら、馬鹿にされる、いじめにあうからつらすぎる。
騒音を出して、苦しめられる。

いたずらをされる、パソコンを壊された、きゅうりをつぶされた。
大根をまきつらされて、いじめられるぐらいなら、自死したほうが幸せだろう。

わたしは、地獄道で生きている。
毎日、騒音におびえて、人々におびえて、生きている。

地獄でもいつかこれよりも、ましな道を見つけるまで生きている。
地獄道では、私は生きる限り、ストレスで病気になるだろう。

癌になるかもしれない。
地獄道の中で、倒れるかもしれない。

のたれ死んだら一番、しあわせなのに、神様は死ぬことさえあたえてはくれない。
いきて、いじめにあって、騒音地獄で生きることをあじわえと、いっているのだ。

地獄でのたうちまわれと、いっているのだ。
だから、病気になって、くるしんで、のた打ち回って息絶えるまで地獄道を歩けというのだ。


神様は、私に罰をあたえたのだ。
だから、苦しんでも、体が苦しくても、つらくても、死ぬことができないのだ。

天国に生かせてくれないのは、地獄道での苦しみや、痛みが足りないからなのだ。
もっと、

「苦しめ」「痛い思いをしろ」「馬鹿にされ、みじめになれ」

神様、許してほしい、地獄道をあるくのに、疲れた。ごめんなさい。天国に逝かせて。

銭の戦争。

2015-03-18 09:33:53 | 日記
昨夜は最終回でしたね。
やはり、銭はたくさんあったほうが心が豊かになります。

わたしも、札束のにおいがすきです。
一度だけ、香りを楽しんだことがあります。

その香りは二度と楽しめない生活になりました。
最高に不幸な生活です。

大根をかうのさえ、10円高い安いなどといってくるしんでいます。
貧乏を楽しむなんて、本当は強がりかもしれないです。

金がある幸せを知らない貧乏人の、悲しい強がりかもしれない。
札束に、魅力を感じる人は、一生その魅力は、覚せい剤のように依存するでしょうね。

私は、貧乏で病気になり、不幸になりました。
そして、朝鮮にすむようになり、より不幸になりました。

最低の暮らしをして、楽しいはずはないのです。
咲いている花にさえ、愛もかけらもない人々が周りの人です。

愛情のない人生の人々は、やはり金のあるやつが威張っています。
私もそいつのせいで、体を悪くして、ひどい目にあっています。

そいつは、金に物を言わして、女と騒ぎまくり、酒を浴びるほど飲んで、薬までやっているのです。
人生は、金のあるやつが勝ちです。

銭は、あったほうが、かなり幸せです。私はないので、生きている実感がないのです。
まるで、死んでゆく道を只ひたすら歩かされている、死刑囚と同じなのです。


痛みを与えるためにも、金が要るのです。
復讐するために、金が要ります。でもできない、私は、金持ちに殺されるのです。

銭があったら、その札束で窒息したって、つぶされたっていいものです。
その香りは、とてもいいと、私も知っています。

あたらしいお札の帯封をあける快感を、しっているなら、忘れられません。
わたしは、これからも、死刑台にのぼるように、毎日歩き続けてます。

永遠にねむれる、天国に行くまではまだ、歩かされているのです。
しあわせになりたい、私の場合は、金ではないのです。

それは、死んでゆくことが、永遠に眠ることが、一番幸せなのです。

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