女として大阪で暮らす2

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裁判員裁判で判決、死刑囚2名執行

2015-12-18 18:01:07 | 日記

12月18日 9時42分

裁判員裁判で判決の死刑囚 初の執行



平成21年に、川崎市のアパートで隣の部屋に住んでいた男性ら3人を殺害したとして、裁判員裁判で死刑が確定した津田寿美年死刑囚ら2人の死刑が18日午前、執行されました。裁判員裁判の下で死刑が確定した事件で執行されたのは初めてです。

死刑が執行されたのは津田寿美年死刑囚と若林一行死刑囚の2人です。
津田死刑囚は平成21年5月、川崎市のアパートで隣の部屋に住んでいた夫婦と大家の男性の合わせて3人を殺害したとして、殺人の罪に問われた裁判員裁判で死刑が確定していました。平成21年に始まった裁判員制度の下で死刑が確定した事件で、執行されたのは初めてです。
また、若林死刑囚は平成18年7月、岩手県洋野町の住宅で当時52歳の母親と24歳の娘を殺害し、現金を奪ったなどとして、強盗殺人などの罪に問われた裁判で死刑が確定していました。
第2次安倍内閣以降で死刑が執行されたのは、ことし6月以来8回目で、合わせて14人になりました。
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裁判員制度 7人の死刑確定

平成21年に始まった裁判員制度で死刑が確定した事件で、執行されたのは初めてです。
最高裁判所によりますと、裁判員裁判では17日までに26人に死刑判決が言い渡され、このうち、7人の死刑が確定しているということです。
死刑の判断に関わった裁判員の中には判決の後も悩み続け、「執行してほしくない」という思いを抱えている人もいます。
こうしたなか、裁判員の経験者からは「究極の判断を求められるのに死刑の執行に関する情報が明らかになっていない」という声が上がり、去年2月、一部の経験者たちは法務省に要望書を提出し、死刑の執行を停止したうえで積極的な情報公開を行い、国民の議論を促すよう求めました。


津田死刑囚とは

死刑が執行された津田寿美年死刑囚(63)は、平成21年に川崎市で同じアパートの隣の部屋に住んでいた夫婦と大家の男性の合わせて3人を殺害したとして殺人の罪に問われました。
審理は裁判員が参加して行われ、横浜地方裁判所は「隣の部屋の男性がドアを開け閉めする音などを嫌がらせと考えて感情を爆発させ、3人の命を奪った結果は重大だ」として死刑を言い渡しました。
弁護士が控訴しましたが、津田死刑囚はみずから控訴を取り下げ、4年前に死刑が確定しました。裁判では「極刑は覚悟している」と述べていました。


若林死刑囚とは

死刑が執行された若林一行死刑囚(39)は平成18年に岩手県洋野町の住宅で、当時52歳の母親と24歳の娘を殺害し、現金を奪ったなどとして、強盗殺人などの罪に問われました。
若林死刑囚は裁判の途中から無罪を主張していましたが、1審の盛岡地方裁判所と2審の仙台高等裁判所はいずれも死刑を言い渡し、最高裁判所は平成24年に「女性の2人暮らしだと知って金を奪う目的で押し入ったもので、経緯や動機に酌量の余地はない」などとして上告を退け、死刑が確定していました。


法相「慎重な検討加え命令」

岩城法務大臣は記者会見し、「当然のことながら、いずれの事件も裁判所において十分な審理をしたうえで最終的に死刑が確定したものだ。以上のような事実を踏まえ、慎重な検討を加えたうえで、死刑の執行を命令したしだいだ」と述べました。
また、岩城大臣は裁判員制度の下で死刑が確定した事件で、初めての死刑執行となることについて、「個々の死刑執行の判断に関わる事項への答えは差し控えるが、一般論として申し上げると死刑執行に関しては、それが裁判員裁判により判決が言い渡された事案であるか否かにかかわらず、個々の事案につき関係記録を十分に精査し、刑の執行停止、再審事由の有無等について慎重に検討し、それらの事由等がないと認めた場合に初めて死刑執行命令を発することとしており、今回も同様の慎重な検討を経て、死刑執行命令を発したものだ」と述べました。


裁判員経験者「裁判員の思い無視」

5年前に裁判員を経験した田口真義さんは、その後、裁判員の経験者どうしで交流する団体を作って活動しています。
去年2月には、「裁判員が死刑という究極の判断を求められる一方、死刑執行に関する情報が明らかになっていない」として死刑の執行を停止したうえで積極的な情報公開を行い、国民の議論を促すよう求める要望書を法務省に提出しました。
今回の死刑執行について田口さんは、「裁判員制度をきっかけに国民が死刑制度に向き合うきっかけになると期待していたのに、そうした議論もなく、うやむやなまま執行されたことに失望し、怒りを感じます」と話しています。
要望書について法務省から回答はないということで、田口さんは「裁判員の思いが無視されたと感じています。今後、裁判員裁判の判決かどうかに関係なく、なだれをうって執行されることを恐れています。今後、議論が深められるべきだと思います」と話しています。

☆裁判員裁判で初の死刑執行です。

あんたって、強いねっていわれたけどね。(おろかな女のひとり言)

2015-12-18 15:45:24 | 日記
強くないね、孤独にも弱いけど、生きることがすきでないけど。
命がね、お金にしたらもったいないから、只生きているわけ。

人はね、私のようなくずを、よくはいわないけどね、そんなのなれてるからね。
屋根のあるところで、100年だって、私は一人でいきれるのさ。

さみしさなんて、子供の頃に慣れていたし、親なんていてもつめたいものだった。
私は、それよりもなんとか、生き抜いてみたかったから、ここにきたのさ。

世間では、私はごみだね、蛆虫だろうね。でもいいのさ、後何年もただようだけさ。
一年生きるのは、金にしたら豪華なものだね、命だけはお金じゃ買えないからね。

どういう理屈でも、いきていきていきぬいてやるさ。
だるまになったって、かたちんばになったって、生きるのは自由だろ。

だから、人殺しとか、いやなことを言ったやつを手にかけないのさ。
刑務所にはいるとか、死刑になるなんて、生きることには無駄なことだし。

いいたいやつ、いくらでもいえばいい、私はお前はいないことにしているし。
100年しゃべらなくても平気なじぶんだからね。

自分の生き方を、貫いてだめなら、100年孤独でいきたっていいさ。
あんたは、私が強いって言ったけどね、ただ、死ぬのがもったいないから生きただけ。

所詮弱いのさ、だって嫌いなやつとは死んでもしゃべられないし、しゃべりたくないしね。
いても、いなくなるまで完全に無視できるからね。弱いから相手にしないのさ。

こんな私で、よくいきたってね。世の中あまいのかもしれないね、どんな形でも生きたほうが徳。
損得で、くるしくても、馬鹿にされても、世の中を深くうらんでもね、いきているほうがね。

いきているほうがね、復讐だと思っている、弱い私が、はえずりかえってのたうちかえっても、息ができるいまだから、いきるのさ、あいつよりは長生きしたいって。

生命は100年ももたないだろうが、いつか老衰して死んでゆくまで、復讐は生き延びることだから、死ぬことは損だから、只生きるのさ。

100年生きたいけどさ、まあ無理だろうね、無人島でくらしているような胡散臭いとかいだけどね。
寿命がある限り、人を恨みながらながいきするのさ。

弱い人間で、弱い自分だけど、命の価値は知っている。
生きたくても生きれない人もいるのだから、酒もタバコも呑まないでいきるのさ。

健康でない自分だけど、最低のルールさえまもればさあ。いきられるかもしれない。
でも、弱い人間、生身の人間だから、いつかは弱って死ぬ、精神的に強くてもね。

わたしは、精神的に弱いけど、長生きしたいわけ。
これだけ、人生の時間を無駄にしても、あいつよりはながいきしてね、目の黒いうちはうらむためだね。

恨みだけでも、その気持ちだけでも、生きがいになるのさ。
復讐なんておろかなまねはしない、これからも生きるのは、醜い自分がのた打ち回る姿が、鏡にうつるたびに、ぞっとするけど、それも蛇のように、きたないけど、これが自分だから。

へびのように、ひとにきらわれてもへいきさ。
毒はないしね、お前よりは、ながくいきてやるさ、気持ちの悪いお前よりはながくいきる。

おまえは、もうじきしぬさあ。そして、私はもっとながいきしてやるさ。
私は強くないから、おまえがしんだら、とても喜ぶだろう。ないて喜ぶだろう。

そのときがたのしみだから、ながいきしてやるさ。
たまに、お前が骨になる姿を想像すると、うれしくなる、これぐらいのきもちだからね。

ばかだね、早く死んだほうが、楽になるのにね。
覚せい剤や、酒を飲んでお前の頭が腐っていくのを近くでそっとみまもってやるからね。

あっ、それから私は在日ではないね、これ日本人だからね。
死ぬ前に、いうわね、その脳みそはもう腐っているから、理解できないだろうけどね。

そんではね。
さいなら、よわいじぶんだからね。もっと酒を浴びるほどのんで、死んでください。

飲酒をするほうが長生き?

2015-12-18 08:21:27 | 日記

昔から「酒は百薬の長」と言われてきましたが、その真偽と根拠は長い間不明のままでした。ところが最近、1日にお酒を飲む量と、将来の死亡率との関係を調べるという研究が行われるようになり、さまざまなことがはっきりしてきました。

 なんと、「ほどほどのお酒を毎日飲んでいる人」が、もっとも死亡率が低いことがわかってきたのです。「飲みすぎ」はもちろんダメですが、「ほどほどに飲む人」は「まったく飲まない人」と比較しても、死亡率が低いというのです。

 アルコールは基本的に、人体にとって毒物です。医学実験などでは、細胞を顕微鏡で観察する際、形が崩れないように「固定」という操作をしますが、そのために使う薬品のひとつがアルコールです。アルコールには人の細胞を、原型をとどめたまま固めてしまう作用があるのです。

 つまりこれは、細胞を殺してしまうということ。アルコールは、人間の細胞を固めてしまう恐ろしい毒物なのです。

 そのため、毎日大量のお酒を飲んでいると、健康に重大な影響が生じます。飲みすぎは肝臓病の原因となるだけでなく、がんのもとになることも証明されています。飲みすぎの人は、あきらかに寿命が短いのです。

 ではなぜ、そのお酒の量が「ほどほど」であれば、体にいいのでしょうか。

 私の研究グループが行った研究では、ほどほどのお酒を飲んでいる人は糖尿病やメタボリック症候群になりにくいことが証明できました。
 前述のとおり、アルコールは人体にとっての毒物ですから、お酒が直接的に好ましい効果をもたらしているとは考えにくく、むしろ夕食どきにほどほどのお酒を飲みながらゆっくり過ごせるような「心身のゆとりを持っている人」が長生きをしているのかもしれない、と、私は考えています。

 さて、ここで肝心なのは「ほどほど」がどれくらいの量かということ。多くの調査でわかってきたのは、お酒の種類によらず、それぞれの標準グラス、たとえばワインならワイングラス、ビールならタンブラー、ウイスキーならショットグラスで1杯ぐらいが適量だということです。アルコール量にして、約12グラムと覚えておきましょう。
 飲むタイミングに関して言えば、食前に少量のお酒を飲むのは理にかなっていると言えます。少量のアルコールには、消化液の分泌を促進したり、胃や腸の運動を活発にしたりする作用があるためです。その昔、病院では食欲がない患者さんに「赤酒リモナーデ」という液体を処方することがありましたが、これも中身のベースは、実はワインです。

 飲みすぎが体に悪いことは誰でも理解できると思いますが、それを防ぐために「休肝日」を設けているという人もいるでしょう。血液検査の結果を受けて、医者からそのように指導を受けた人も多いのではないでしょうか。

 しかし、たとえば週に1日だけお酒を飲まなかったとしても、普段からお酒を飲んでいる人の肝臓がきちんと休まるわけではありません。肝臓は日々、アルコール以外にもさまざまな悪玉物質の解毒を行っていますから、そもそも「休む」ということはない臓器なのです。

 厚生労働省研究班が行った調査(JPHC研究)によれば、アルコールを週に合計600グラム以上飲んでいる人に限り、「週に1~4日飲む人」よりも「週に5~7日飲む人」のほうが、その後の死亡率が高くなっていたそうです。

 これは一見「休肝日」を設ける意義を証明するデータのように思われますが、「アルコール600グラム」は、ビールに換算すれば大瓶26本、清酒で26合にもなり、かなり度を超えた水準です。

 1週間当たりこれ以上の大酒を飲んでいる人なら、さすがに飲まない日を設けたほうがいいでしょうし、飲酒以外の生活習慣にも何らかの問題があり、それらも含め死亡率を左右していると推測することもできます。

 いずれにしろ、休肝日は大酒を飲むことの免罪符にはなりません。健康の秘訣は、やはり「ほどほどのお酒を楽しむ」ということですね。

☆ほどほどの少しのお酒はいいらしいけど、それだけで酒飲みはやめれませんよね。細胞が死んでしまうのなら、飲まないほうがいいと思いますが、ストレスをためない方法がいいかもしれませんね。

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