女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

蒸発者の行方?

2015-12-28 19:39:34 | 日記
テレビでやっていた、蒸発者のテレビ捜索。
私の近くでも、文化住宅の一階にすんでいた人が、蒸発した。

たぶん、認知症で自分のいったところも、家の帰り方もわからなくなり荷物をおいてそのまま。
その住宅も、今年壊されて、もう記憶に残るところはないのだ。

そんな認知症の人は、たくさん全国に、蒸発しているらしい。
どこかの施設でいきているなら、幸せだと思うが、死んでいるかもしれない。

すべての記憶もわすれて、どこかで黙々と生きているのならそれもいい。
でも、そんな人々が日本にはたくさんいるのが現実なのだ。

認知症だと、徘徊しているうちに、遠くにいってしまい帰り道も忘れてしまいとうとう蒸発に。
そういう老人がたくさんいると思うと、悲しい、正月さえ知らないところでいきているのだ。

いやなことも、いいこともすべて忘れてしまう、記憶喪失とにているが、怖い。
自分もいつかそんな老婆になることもあるから、自分の事を見つけるためにも自分がわかるものはたえず、みにつけて外出している。

そんな年齢になっていないが、そのうちに私も認知症にもなるし、突然ショックで記憶もなくなるかもしれない、そんなときに、私はどういきているのだろうか?

とても怖い、施設にはいっていればそれもいいが、のたれ死んでいるのかもしれない。
年寄りの老人を、やさしく見てくれる人ばかりでもないから、どうなるか不安である。

そのために、再婚も考えるときもある。
でも、再婚も難しい今、何とか認知症にならないように、生きてはいる。

でも、いつかは、私も認知症老人になるかもしれない。
だから、いつでも、どこに行っても、人から何とかしてもらえる運命であれとおもっている。

突然記憶を失う人がたくさんいるなか、私もいやなことはわすれてはいる。
ちゃんとした記憶はあるが、本当のいやなことはわすれてしまってはいる。

でも、いいことも確かな記憶もおぼえられなくなったり、忘れたりしたら大変だ。
だから、メモしたり、このようにタイピングしたりしている。

明日はわが身と思い、テレビを見ていて、すべての人の捜索がうまくいくようにひそかに願った。
みんな正月でも、自分さえわからないですごしている、この現実がすごく悲しかった。

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千日前ビル火災(母の日前日の悲劇)

2015-12-28 15:10:56 | 日記
大阪の、難波にあるビックカメラがあるところに、1972年5月13日の午後10時に、三階にある婦人服売り場からの火事で、7階のプレイタウンのキャバレーで118人の人が煙に飲まれて死んだ火災事故。

昔のこととはいえ、なんだかそこのビックカメラに行くと、不気味に感じる、今でも天井はむきだし、黒い色がきえていなくって、猫の声がきこえるのだ。
きっと、猫になって、なにかをいいたいのかもしれない、正月は不気味なぐらいきこえるのだ。

ホステスさんは、ママさんばかりで、次の日が母の日なんて、なんて悲しくむなしい火事なんだろうとおもう、煙の苦しさと暑さに我慢できないで、窓から飛び降りて死んだ人も22名もいるのだ、あそこのビルの前を通ると、薄ら寒い感じがするのは、たぶんわたしだけではない。

千日前ビルのあった通りは、今でもとてもにぎやかな繁華街である。
しかし、不自然なほど、小さな神様のやしろがあったり、お寺もありお墓もあるのだ。
悲しい母親が、働いていたあのプレイタウンは、今でも行くとかなしい。

ビックカメラの中にある、そこはなんだか、わからないようになっているのだが。
それでも、一番不気味に感じるのは、100均のところと、トイレなのだ。
トイレでも、その当時たくさんの人が死んだそうだ。

いまだに、黒い天井がむきだしのままで、リアルだからいったらみてほしい。
そして、7階のところに行くと、なぜか息苦しくなるのだ。
あのとき、煙を吸って、苦しんで死んだ女性のように、くるしくなる。

昔のこととはいえ、たくさんの人が死んだ場所だから、なにかをかんじるのかもしれない。
そして、そこは永遠に忘れることができない場所だ。
中国人がたくさん買い物に来て、そんな昔の悲劇はしらないかもしれないが。

私はそんな火災があったときは、大阪には住んでいなかった。
最近大阪に住んで、行ったときには、その場所はすこし、不気味な感じがした。
煙に包まれて、死んだたくさんの人が、浮かばれていないのかもしれないとおもい、少し悲しかった。

ずいぶん前に、そこは処刑場だったそうだが、それとかんけいあるのかもしれないとおもった。
人がたくさん殺されたところで、また火事によって人がたくさん殺される。
これは、いつになっても、呪いの連動かもしれないが。

「うつ病」は最悪死亡。

2015-12-28 09:42:31 | 日記
①「まぁ、いいや」と言えない完璧主義

 仕事を完璧にこなさないと気が済まない。与えられた仕事は最後まで責任を持って「自身の心身がどうなろうと」まっとうする。

 ②決まりごとを絶対守ろうとする几帳面さ

 ルールを守ったり、目標を達成したり、決まりごとを重視する傾向がある。柔軟な対応ができず、ストレスを溜めてしまうことが多い。

 ③無茶な要求に「NO!」と言えないお人好し

 その場の空気を読む能力が高いという傾向がある。相手の期待が読み取れてしまうため、自身の気持ちより相手の要求を優先してしまう。

 もちろん個人差はあるだろう。しかし、うつ病になりやすい人は「会社にとって都合の良い社員」であることは多い。過去にうつ病を患った私の妻も、この条件に見事当てはまっていた。大手通信企業の管理者であった妻は、過重労働や無理難題に対して「NO!」と言えない性格であった。責任感が強く几帳面、しかもNOと言わない。会社からすると使いやすい人材だったに違いない。

 うつ病になりやすい人は、心身の不調があっても簡単に仕事を休んだりはしない。多くの精神科医はこう言うだろう。「仕事を減らしてもっと休みなさい」と。ただ、それが簡単にできる人はそもそもうつ病にならない。いくらつらくても仕事を優先してしまう人だからこそ、うつ病になるのだ。

 「うつ病予備軍」の家族から受けた相談をまとめると、「治療が必要かもしれない」という自覚を彼らが拒否する理由のほとんどが以下3つに分けられる。

 ①仕事が忙しくてそれどころではない

 「この仕事が落ち着いたら…」といつまでも言い続ける人は多い。しかしうつ病は、往々にして「休めない時期」に限って発症する病気である。

 ②人事考課や昇進に影響するのが恐ろしい

 「会社にあるメンタルヘルス相談室」には行きたくないと訴える人も少なくない。「アイツは戦線離脱した」と思われるのが恐ろしいのだ。

 ③自分はうつ病になるほど弱い人間ではない

 「警察官の夫がうつ病を治療してくれない」と相談を受けたことがある。「うつ病は弱い人間の病気だ。おれはうつ病じゃない」と抵抗していたという。

 以上、3つの理由には共通点がある。「他者の評価を気にしている」という点だ。うつ病になりやすい人は周囲の声に対して敏感に反応する。「職場の人に迷惑がかかるから」という理由も、「仕事ができないと思われたくない」という他者の評価を気にする心理の裏返しである。

 確かに、ある程度、他者からの評価は必要である。給料をもらって生活をするには、会社から見捨てられるわけにはいかないだろう。ただ「治療の必要性」を認めない限り、遅かれ早かれ、その時はやってくる。職場のストレスを我慢し続けた30代の男性会社員は、「突然、体がいっさい動かなくなった」と言う。心身の叫びを無視し続けたツケは大きい。

 ストレスチェック制度は、会社側に課せられた義務である。厳密に言うと、労働者側にチェックを受ける義務はない。労働者はチェックや医師の面談を拒むこともできる。結局、ストレスチェック制度は単なる仕組みであり、その仕組みによって自分を守るかどうか、最終的な判断は本人に委ねられる。

 自身のうつ病に気付く一つの指標が「残業時間」である。長時間労働でうつ病発症のリスクが2倍になるという研究結果も出ている(米科学雑誌プロスワン 2012)。こういった客観的で明確な基準があるのだ。思い当たる節があるなら、ストレスチェックを受験し、その結果を真剣に受け止めてみてはどうだろう。

 実は、私の姉はうつ病を苦に自殺している。やはり真面目で責任感が強く、仕事もできるほうだったが、徹底的に「頑固」でもあった。最後に話をしたとき、「自分さえ我慢すれば何とかなる」と呟いたのを覚えている。周囲に迷惑を掛ける自分を最期まで許せなかったのだろう。しかし、残された家族としては「迷惑を掛けてでも生きていて欲しかった」、そう思わざるを得ない。

 「自殺」は深刻な問題である。減少傾向にあるとはいえ、いまだ毎年2万5000人以上が自殺している。特定できた動機のうち、「うつ病」は常にトップだ(警察庁自殺統計 2014)。彼らは決して死にたかったわけではない。命を投じても解放されたいと願うほど苦しかったのだ。

 会社の評価は大事だ。周囲に迷惑を掛けないに越したことはない。ただ、いずれも「生きていればこそ」の話である。「治療が必要かもしれない」という自覚は、生きるための第一ステップなのだ。

 本記事のタイトルを一見して、あなたは誰を想像したのだろう。ひょっとしたらあなた本人かもしれないし、誰か思い当たる「あの人」がいるかもしれない。もし、「あの人」が、「治療が必要かもしれない」という自覚をためらっているのなら、あなたが背中を押してみてはどうだろう。人生は長い。潔く足を止めて治療に踏み切ることが、残りの人生を楽しく生きる最短の道であることを伝えてあげてほしい。

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