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長野五輪ジャンプ団体・そこには原田を救った影の男がいた。

2014年01月12日 11時29分52秒 | ジャンプ

岡部孝信・彼こそが長野オリンピックスキージャンプ男子団体金メダルの立役者だった。

 

岡部は長野オリンピックのときは不調のぞんぞこにいた。世界ランク45位 不調の原因は重心が後ろにあったためだ。

重心の位置を修正するため好調だったワールドカップのビデオを何回も見た。

少しずつ理想のフォームを取り戻し始めた岡部は遅ればせながら団体のメンバーに選ばれた。 長野オリンピックの団体メンバーは岡部孝信・斎藤浩哉・原田雅彦・船木和喜の4人。岡部は団体戦の1人目に選ばれた。

 

1本目、条件は悪かったが121.5mでドイツに次ぐ2位。 しかし、自分のジャンプに満足していなかった。

2番手は斉藤、順調に飛んで130mをマーク。 つづく3人目は原田 雪が降って走路に積もりスピードがあがらない。 大丈夫かなと不安に思ったという。

 

90メーターのはるか手前79.5m 岡部さえも「え?」と言うほどの失速。4番手は舟木 しかし118.5m 順位は4位まで落ちてしまった。

金メダル確実と思われていた日本だったが一転ピンチを迎えることになった。原田の顔は何時もの顔ではなかった。

落ち込む原田に声をかけたのは岡部だった。「普通に飛んでよ」と声をかけた。

 

団体戦2本目 トップバッターの岡部に委ねられた。岡部は絶対飛んでやると固く心に誓っていた。1位になるには2本目130mが欲しい。

飛んだ 大ジャンプだ すごいジャンプだ 137m ジャンプ台のバッケンレコードを塗り替えた。 あの気持ちは個人戦ではないと岡部は言う。4位だった日本を一気に1位へ引きあげた。斉藤は無難に124mを飛んで次につないだ。

 

原田の2本目 いい風が吹いてきた。 高い 高い 上手いジャンプを見せてくれた。 足が折れるまで飛んでやると思ったと原田。137mと岡部に並ぶ大飛行だった。 ラストジャンプは船木 伸ばしてくる 伸ばしてくる 125m 逆転で金メダルを掴んだ。 原田が泣いている 泣き崩れている みんなが折り重なって喜んでいる。何度も流れた感動のシーンだ。

 

原田物語に常に付き合ってきた岡部だが、137mの最長不倒距離のジャンプがあったからこそ金メダルに手が届いたのである。当時を振り返り、岡部は雪がすこし積もっていたので転ぶ可能性があったから、あえてテレマークを入れなかった、それが心残りだったと回想している。 

 

岡部孝信(121.5m、137.0m)    斎藤浩哉(130.0m、124.0m)   

原田雅彦(79.5m、137.0m)     船木和喜(118.5m、125.0m)

                                                     (NHK「ヒーローたちの名勝負」から)