透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

火の見櫓の屋根の分類

2025-04-04 | A 火の見櫓っておもしろい

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 柱の本数に着目して火の見櫓を、火の見柱(柱1本)、火の見梯子(柱2本)、火の見櫓(柱3,4本)に大分類した。

更にこの中の火の見櫓について、櫓と屋根、見張り台の平面形の組合せによって中分類し、例えば櫓が3角形、屋根が6角形、見張り台が6角形の場合には366型と表記するということを考えた。櫓が4角形、屋根が8角形、見張り台が円形の場合には48〇型と表記する。

屋根と見張り台、脚部の小分類を考えている。脚部については既にまとまっているが(図表-1)、屋根と見張り台は検討中(手すりと床の構成の2点に着目して分類する)で、まだまとまってはいない。


図表-1 脚部の形の小分類


以下に屋根の小分類の試案を載せる。

屋根の小分類 円錐、多角錘の屋根を次のように分類する。

分類の視点は次の2点。

屋根の稜線(または母線)の形 
直線(①)、反り(②)、むくり(③)に大別される。例外的にSカーブ(④)しているものもある。

飾りの有無 
屋根に飾りが付いていることが多いので、飾りの有無を分類の視点に加える。飾りが付いているのは屋根の頂部か軒先であるから、この取り付け位置にも注目する。避雷針の扱いは未定。

上記の分類の視点に依れば、次のように分類(タイプ分け)できる。


左:直線、頂部飾り無し、軒先飾り(蕨手)有り 右:頂部飾り無し、軒先飾り無し


左:反り、頂部飾り無し、軒先飾り無し 右:頂部飾り有り、軒先飾り(蕨手)有り


むくり、頂部飾り有り、軒先飾り有り(フリルとするか?)


Sカーブ、頂部飾り有り、軒先飾り無し(極めて稀、と思われる)

これらの名称は硬い。もっとすっきり、楽しく・・・。


例えば下の火の見櫓は現時点では次のように分類される。

44〇型
反り屋根頂部飾り有り、軒先飾り(蕨手)有り
見張り台未定
たばね脚


 


「日本の近代6 戦争・占領・講和」を読む

2025-04-03 | A 読書日記

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360
『日本の近代6 戦争・占領・講和』五百旗頭 真(中央公論新社2001年)を読んだ。

既に何回も書いたことを繰り返すが、日本の古代史から近現代史まで、広くそして深く学ぶことはもう無理だから(と決めてかかる)、古代史と太平洋戦争に対象を絞って、関連本を読もうと思っている。

太平洋戦争関連本は、戦争の諸資史料を紐解いて、その推移を俯瞰的に記述するものと、個々人の戦争体験を記述するもの(本人により綴られたもの、本人に取材して書かれたもの)に大別されるように思うが、そのどちらも読んでいきたい。

後者で、本人によって綴られたものには、例えば藤原ていの『流れる星は生きている』(過去ログ)がある。この本には感銘を受けた。これは名著。多くの人に読んで欲しいと思う。また、取材に基づいて書かれたものには、例えば辺見じゅんの『収容所から来た遺書』がある。この本にも感銘を受けた。

さて、五百旗頭 真氏の『戦争・占領・講和』。

五百旗頭氏の著書『日米戦争と戦後日本』をIT君に薦められて読み、十を知っていて一を記述していると思わせる深い知識と豊かな表現に魅せられた(過去ログ)。それで、同氏の他の著書も読みたいと思っている。

書名から分かるが、『戦争・占領・講和』は『日米戦争と戦後日本』とテーマが同じで、「日米開戦」から戦後の「五五年体制の成立」までの政治史。前述の前者、太平洋戦争の資史料を根拠として示しながら、詳述している。

日本はなぜ対米戦争に踏み切ったのか、そこに至る政治的な動きはどうであったのか。日本は敗戦をどう受け入れ、その後の政治はどのように推移していったのか、が本書のテーマで、戦況の推移についてはほとんど触れられていない。このことは次に挙げる目次を見れば分かる。

  プロローグ「紀元二六〇〇年」と真珠湾
   「紀元二六〇〇年」
   真珠湾へ
1 日米開戦
   真珠湾への道 ―― 政治的決定
   最終方針へ
   ルーズベルトの「真珠湾」
2 敗戦の方法
   無条件降伏へ ―― 知日派の存在
   六つの選択肢
   「戦争犯罪人」か
   グルーの早期終戦論
   日本占領方針
3 戦後体制へ
   敗戦前夜
   成功の陰に
   東京とワシントン
   戦後日本に向けて
4 歩みだす日本
   吉田の組閣
   中道政権へ
5 保守政治による再生
   政治主体の確立
   民主主義とナショナリズム
  エピローグ 五五年体制の成立
   吉田時代の終焉
   保守合同の成果

本書の最後に五百旗頭氏はまとめとして次のように書いている。

**戦後の経済国家は、成功の中で培った利益還元構造とそこでの既得権者に公式資源を奪われて、全体合理性をまたも喪失している。戦前とは違った衣をまといながらも、歴史は繰り返している。**(414頁)

**他国民と世界の運命に共感をもって自己決定する大政治の脳力を今後の日本は求められよう。なぜなら、真珠湾から五五年体制までの歴史のように、全面的自己破産を通して再生するという型を、もう一度繰り返す自由を、われわれには与えられていないからである。**(414頁)

本書を読んで感じたのは歴史は人がつくるという至極当たり前のことだった。

本書は2001年に発行された。それ以降のこの国の政治的状況はどうであろう。拙ブログには政治的なことは書かないことにしているが、奪われたはずの繰り返しを進めてはいないだろうか・・・。


  


どっちが先なんですか?

2025-04-01 | A 火の見櫓っておもしろい


 貫通やぐらって、どっちが先なんですか? って訊かれることがあります。

小屋を先に建てて、その後でクレーンで吊り上げた火の見櫓を突き刺すんです。

これホント。

焼き鳥だって、後から竹串を刺すでしょ。


写真提供:渋崎建設(撮影2011年12月)






ブックレビュー 2025.03

2025-03-31 | A ブックレビュー


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 3月の読了本は9冊(2冊は図書館本)だった。

『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』内海 健(河出文庫2024年)

『生体解剖 九州大学医学部事件』上坂冬子(中公文庫1982年8月10日初版、1983年2月10日4版)

『江戸の火事と火消』山本純美(河出書房新社1993年)

『金閣寺』三島由紀夫(新潮文庫1960年9月15日発行、1970年20刷)

『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫1970年発行、2025年1月20日78刷)

『女流 林芙美子と有吉佐和子』関川夏央(集英社2006年 図書館本)

『金閣寺の燃やし方』酒井順子(講談社2010年 図書館本)

『名古屋テレビ塔クロニクル』長坂英夫 編集(人間社2018年)

『名古屋テレビ塔クロニクル2』長坂英夫 編集(人間社2025年)


『金閣寺』と『華岡青洲の妻』、印象に残る作品が小説ということに、小説の力を感じる。


「冨田美穂 牛木版画展」

2025-03-29 | A あれこれ

 長野県朝日村のギャラリー・BLUE HOUSE STUDIOで始まった『冨田美穂 牛木版画展』に行ってきた。今日(29日)の午後、会場でギャラリートークが行われた。

冨田美穂さんは武蔵野美術大学の学生の時に北海道の牧場でアルバイトをして、すっかり牛に魅せられたという。卒業後に北海道に移住して、牛をモチーフに木版画の作品制作を続けている。


小さなギャラリーに20人くらい集まっただろうか。遠く東京や横浜、山梨県の北杜市から来村された方も。


木版画というと、例えば棟方志功の作品のようなざっくりとした、グラフィックな作品が浮かぶ。だが、冨田さんの作品は実に細密で、牛の毛並みが極細の線で表現されている。作品を鑑賞して、毛並みの表現には木版画が適しているなぁ、と思った。極細の一定幅の線が引けるから。いや、誰にでも引けるというものでもないか。冨田さんはこのような表現を版画で可能にした、と解すべきかもしれない。

制作は2か月、3か月にも及ぶとのこと。冨田さんに、これ程の長期間、制作を続けさせる魅力が牛にはあるということだろう。会場に展示された作品に、冨田さんの「牛愛」を感じた。どの作品も牛は落ち着いていて、優しい目をしている。牛も冨田さんが好きに違いない。


会場:BLUE HOUSE STUDIO
長野県東筑摩郡朝日村針尾1037−6

会期:2025年3月29日(土) ~ 4月13日(日) 会期中無休
   10:00-17:30  


   


「日本の近代6 戦争・占領・講和」五百旗頭 真

2025-03-28 | A 読書日記

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320

■ 戦後80年。「新しい戦前」。軍事化加速、軍事費膨張、日米軍事一体化。

今年は太平洋戦争に関する本を読もうと思う。「日本の近代」全16巻の第6巻『戦争・占領・講和』五百旗頭 真(中央公論新社2001年)を読み始めた。

480
4月は積読状態の太平洋戦争関連本を読もうと思う。別のジャンルの本も読みつつ。

戦前から負けることが分かっていた太平洋戦争。なぜ始められ、どのように推移したのか・・・。


 


知らなかった・・・

2025-03-24 | D 新聞を読んで

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 3月23日(日)の信濃毎日新聞の子ども向けの紙面の「知りたい! ホントの恐竜」という連載に上掲した見出しの記事が載っていた(*1)。

なぜ、恐竜は絶滅したのか?

この問いに、おじ(い)ちゃんは「メキシコのユカタン半島に巨大な隕石が落下して、地球の環境が激変してしまったから」くらいしか答えることができない。ユカタン半島は知っていた。いつ頃かは知らなかった。隕石の大きさも具体的には知らなかった。

記事には、約6600万年前ということ、巨大な隕石は、直径が約10kmだったということが書かれている。知らなかったのは、この時、海の生物の7割以上が絶滅したこと。それから、陸上の生物のなんと9割が絶滅した、ということ。絶滅したのは恐竜だけじゃなかった・・・。知らなかった。考えてみれば、恐竜だけ絶滅するということはないはずだ。

記事はこの出来事を紹介した後、次のようなことを伝えている。
**(前略)今は、この時の絶滅と同じくらい、もしかしたらより壊滅的な大量絶滅のまっただ中かもしれないからです。例えば、ここ50年ほどで魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類といった脊椎動物の68%が姿を消しているという記録があります。**

ぼくは、ここを読んで思わず「えっ!」と声を上げてしまった。知らなかった、こんなに深刻な事態だなんて・・・。


*1 連載記事の執筆者は北海道大学総合博物館教授・小林快次さん


ブログ移行のお知らせ

2025-03-23 | A あれこれ

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午後カフェで「女流」を読む

2025-03-23 | A 読書日記


■ 『女流 林芙美子と有吉佐和子』関川夏央(集英社2006年 図書館本)の後編、「有吉佐和子的人生」を午後カフェで読んだ(3月22日)。

ぼくが有吉佐和子のことで覚えているのは、フジテレビの昼の帯番組「笑っていいとも!」に出演した時のこと。通常、友だちの輪で呼ばれたゲストの出演時間は10分か15分くらいだったかと思うが、有吉佐和子は、ほぼ番組の時間めいっぱい出演し続けたこと。この時のタモリの苦笑いも記憶に残っている。

この「番組ジャック」のことが、本書にも取り上げられていた。有吉佐和子から次のゲストに指名された橋本 治は、この一件について、次のように書いているとのこと。**有吉佐和子の「乱心」でも「テレビジャック」でもない、打合せどおり一時間全部を有吉佐和子のトークだけで埋めることになっていたのだ、と橋本 治はのちに書いている。**(214頁) 

このようなエピソードを引くと、本書は俗っぽい内容か、と思われそうだが、そうではなく、優れた人物評伝だ。

本書には次のような橋本 治の有吉評が紹介されている。**小説家として女として、バカにされまいと思って異様に頑張ってきた人であった。**(219頁)
**彼女ほど女が働くことの重要さを、実人生でも作品世界でも強調した人はいなかった(後略)。**(219頁)

関川さんは、「有吉佐和子的人生」の最後で、有吉佐和子を次のように評している。
**有吉佐和子は、近代文学的第一人称をになうことが、おそらく生理としてできなかった。つまり「私の内面」をえがけず、えがこうともしなかった。
吾妻徳穂であれ、自分の祖母と母であれ、華岡青洲の母と妻であれ、また他のどんな女性であれ、自分以外の、しかし自分とどこか似た人を主人公に据えたとき、彼女の持ち味である「物語」は強靭な骨格をともなって成長することができた。**(220頁)

なるほど。『華岡青洲の妻』に有吉佐和子の自信に満ちた力強さ、書きっぷりの凄さを感じたが、その理由(わけ)が分かった。

関川さんは、あとがきで前編の林芙美子と後編の有吉佐和子について、**才能があって過剰なまでに個性的、そして生命力にあふれすぎた「女流」(後略)**と書いている。これが総括的な評。


さて、次はまだ明かせない目論見のために『名古屋テレビ塔クロニクル』と『名古屋テレビ塔クロニクル2』(人間社)を続けて読むか、それとも、太平洋戦争関連本の『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』山本智之(新潮選書)を読むか、どっちにしようかな・・・。



「華岡青洲の妻」を読む

2025-03-22 | A 読書日記


『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫1970年1月30日発行、2025年1月20日78刷)を読んだ。

江戸時代の紀州。世界で初めて全身麻酔による乳癌の手術に成功した医者、華岡青洲。青洲による麻酔薬の危険な人体実験に競って身を捧げた青洲の妻と母。青洲を愛するが故の嫉妬による争い。

しばらく前に読んだ『青い壺』、その第四話で有吉さんは財産争いを描いている。実家に来て母親に嫁ぎ先の財産争いのことを話す娘。

**「(前略)下のお姉さんは、私は貸衣裳で結婚式あげたって言い返すわ、中のお姉さんは、結婚するとき大きいお姉さんの振袖借りようとしたら断わられたって今頃になって言い出すし、ね。大きいお姉さんに言わせると断ったのは姑で、私は知らないってことになって」
「やれやれ」
「大きい兄さんが目を据えるみたいにして、ときに姉さん、持参金はいくら持って行ったんだい、なんて訊くしねえ」
「嫌だわねえ」
「私、姉さんも妹もいなくて本当によかったと思ったわ。中の姉さんって下の姉さんより貧弱な嫁入支度だったって、そこまで問題にするのよ。(中略)出産祝いは一番多く受け取っている筈だってまぜっ返すのよ。もう滅茶滅茶だった。百カ日まで、集まってはそんなことばっかりやりあってたんですもの、おかげで私まで、くたくただわ」**(77,8頁)

長々と引用したのは、有吉さんが、このように家庭内の争いをよく知り、それを描くのが実に上手いということを知って欲しかったから。『華岡青洲の妻』でも、ふたりの女の争いが描かれる。

**「(前略)お堅い御家風の中でまめやかにお育ちと伺(うかご)うております加恵さんを、震の嫁にはこのひとよりないと見込んで伺いましたのでございますよってに」**(22頁)

震(後の青洲)の母親(於継)に強く請われて嫁いだ加恵。それが・・・。

**母親は、妻には敵であった。独り占めを阻もうとする於継の無意識の行為もまた嫁に対する敵意に他ならなかった。**(75頁) と、有吉さんはストレートな表現をここではしている。

ものがたりの終盤。於継は既に亡くなっている。有吉さんは加恵の義妹に次のように言わせる。

**「(前略)お母(か)はんと、嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。なんという怖ろしい間柄やろうと思うてましたのよし。こないだもお母はんの法事で妹たちが寄ったとき、話す話が姑の悪口ばかり。云えば気が晴れるかと思うて、云わせるだけ云わせて聞き役してましたけども、女(おなご)二人の争いはこの家だけのことやない。どこの家でもどろどろと巻き起り巻き返ししてますのやないの。(後略)**(215頁)

この小説が発表されたのは1966年、およそ60年前のこと。だが、今もその頃と、嫁と姑の関係の根っこの部分、心の奥底の嫉妬心は変わらないのかもしれない。このことが今尚この小説がよく読まれているということの証左、ではないか。

『有吉佐和子のベスト・エッセイ』(ちくま文庫)に『華岡青洲の妻』について書いたエッセイが収録されている。手元にないので、記憶に頼るが、美談の陰の嫁と姑の争いはそっと隠しておいて欲しかった、というような文章(だったのか、記憶が曖昧だが)を目にして(耳にしてだったかもしれない)、有吉さんは嫁と姑の争いは醜くない、と書いていた。

読み終えて思った、有吉佐和子はどんな人だったんだろう、と。『女流 林芙美子と有吉佐和子』関川夏央(集英社2006年)。図書館でよい本を見つけた。早速、本書の後半「有吉佐和子的人生」を読もう。


 


二八会 早春の宴

2025-03-22 | A あれこれ


 保育園の時から一緒だった仲間の親睦会、二八会。昨日(3月21日)の早春の宴にメンバー8人が集まった。午後5時開宴。円卓を囲み、ビールに日本酒に焼酎を飲んで、飲んで・・・。あれこれ話して、話して・・・。楽しいひと時を過ごす。






締めはいつもの通り、FM君手打ちの蕎麦。有段者が打つ蕎麦は実に美味い。あっという間の3時間。みんなで片付けて(酔っていても片づけはみんな手際よい)、8時半ころお開き。次回は花見の宴、かな。

気の置けない仲間がいる幸せ。 みんなに感謝。


 


久しぶりの

2025-03-21 | A あれこれ


22025.03.21 08:47AM

「そうか、もう君はいないのか・・・」


 


「金閣寺」を読む

2025-03-20 | A 読書日記

320
 三島由紀夫の(などと書く必要もないだろうが)『金閣寺』(新潮文庫1960年9月15日発行、1970年2月15日20刷)を読み終えた。下掲の拙ブログの過去ログを見ると、この小説を高校生の時に細かな活字の文庫で読み、後年、大きな活字になった文庫で読んだことがわかる。そして今回また細かな活字の文庫で読んだ。

 
この小説を初めて読んだのは高校生の時。新潮文庫(昭和44年18刷、定価120円)だった。2008年7月2日(*1)の記事に**小さな活字で組まれていて今読むのはきついです。**と書いている。


上の記事を書いてまもなく、大きな活字で組まれた新潮文庫を買い求めていて、7月21日の記事に次のように書いている。**『金閣寺』新潮文庫を読み始めました。昔読んだ文庫本は活字が小さくて、老化が始まっている眼ではつらく、版が改まって大きな活字になった最近の文庫本を買い求めました。**

リーディンググラス(老眼鏡とも言う)を使うようになった今、小さな活字が全く苦にならなくなった。それに小さな活字で読む方が小説を「読んでいる感」が高まる。それで、今回ずいぶん古い本をネットで買い求めた。

しばらく前に読んだ『金閣を焼かなければならぬ 林 養賢と三島由紀夫』内海 健(河出文庫2024年)のカバー裏面には『金閣寺』について、三島由紀夫の青春の総決算となる最高傑作と書かれている。また、ぼくが今回読んだ文庫の解説文に、中村光夫氏は**『金閣寺』が三島氏の青春の決算であり、また戦後というひとつの時代の記念碑であることはたしかですが(後略)**(265頁)と書いている。

共に『金閣寺』は三島由紀夫の青春を括る作品で、最高傑作だという評価。ぼくも三島由紀夫の作品をひとつだけ挙げるとすれば、『金閣寺』(過去ログ)。

精神科医が『金閣寺』の主人公の溝口の精神分析をするくらい、三島由紀夫はこの作品で溝口の心の動きを描いている。このことを知って、今回は読んだ。

最後の一文。**別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ㇳ仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。**(257頁 *2)

なぜ溝口は生きようと思ったのか・・・。金閣寺と心中するつもりで、小刀と睡眠薬のカルモチン100錠入りの瓶を所持していたのではなかったのか。

**私はたしかに生きるために金閣を焼こうとしているのだが、私のしていることは死の準備に似ていた。自殺を決意した童貞の男が、その前に廓へ行くように、私も廓へ行くのである。**(217頁)

注意深く読み進めれば、この一文に気がつく。溝口は金閣寺と決別して生きようとしていた。

金閣寺との決別とは、実は有為子との決別ではないか、と思い至った。そう、有為子と決別して生きようという溝口。これはなんとも俗な解釈だが・・・。


*1  金閣寺が焼失したのは昭和25年(1950年)7月2日未明。
*2 最新版は文字が大きいためにページ数が多くなっている。また、解説文は恩田 陸が書いている。


「華岡青洲の妻」有吉佐和子

2025-03-18 | A 読書日記

320
■ 昨年(2024年)は安部公房の作品を集中的に読んだ。今年は作家を決めず(決めることができず)、読みたいと思う作品を読むことにした。

しばらく前に『青い壺』(文春文庫)を読んで、人の心理を描かせたら有吉佐和子の右に出る作家はいないのではないか、と思った。で、『華岡青洲の妻』(新潮文庫)を読み始めた。青洲の妻と青洲の母。この小説では華岡青洲をめぐる嫁と姑の心模様、愛の葛藤が描かれているから。

奥付で発行年月日をみると、1970年1月30日。買い求めたこの本は2025年1月20日、78刷。55年経つのに、いまだに書店に並び、読み続けられている作品。内容をカバー裏面の紹介文から引く。

**世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。その不朽の業績の陰には、麻酔薬「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母があった―(後略)**





8時ちょうどの

2025-03-17 | A あれこれ


 信濃毎日新聞に広告と一緒に入っていた「時刻表」。3月15日に運行ダイヤが改正された。

♪8時ちょうどのあずさ2号で・・・ 狩人の曲「あずさ2号」がリリースされたのは・・・、調べると1977年。50年近く前。



時刻表を見ると、新宿発8時ちょうどのあずさは、2号ではなく、5号。このあずさ、松本着は10時37分。ちなみに1977年当時のあずさ2号の松本着は11時47分だった。