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■ 昨年(2024年)は安部公房の作品を集中的に読んだ。今年は作家を決めず(決めることができず)、読みたいと思う作品を読むことにした。
しばらく前に『青い壺』(文春文庫)を読んで、人の心理を描かせたら有吉佐和子の右に出る作家はいないのではないか、と思った。で、『華岡青洲の妻』(新潮文庫)を読み始めた。青洲の妻と青洲の母。この小説では華岡青洲をめぐる嫁と姑の心模様、愛の葛藤が描かれているから。
奥付で発行年月日をみると、1970年1月30日。買い求めたこの本は2025年1月20日、78刷。55年経つのに、いまだに書店に並び、読み続けられている作品。内容をカバー裏面の紹介文から引く。
**世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。その不朽の業績の陰には、麻酔薬「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母があった―(後略)**
■ 信濃毎日新聞に広告と一緒に入っていた「時刻表」。3月15日に運行ダイヤが改正された。
♪8時ちょうどのあずさ2号で・・・ 狩人の曲「あずさ2号」がリリースされたのは・・・、調べると1977年。50年近く前。
時刻表を見ると、新宿発8時ちょうどのあずさは、2号ではなく、5号。このあずさ、松本着は10時37分。ちなみに1977年当時のあずさ2号の松本着は11時47分だった。
2025年3月16日付信濃毎日新聞第一社会面(27面)
■ 日本世論調査会が15日にまとめた全国郵送世論調査で「読書離れ」が社会で加速していることが分かった、と記事は伝えている。今年の1月から3月にかけて、全国の18歳以上の男女3,000人を対象に行われた調査で、1か月に読む本(漫画と雑誌を除く)の冊数が0冊、つまり月に1冊も本を読まない人が44%だったとのこと。スマートフォンを使う時間が長くなり、読書時間が減る傾向にあることも記事は伝えている。
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ(ハヤカワ文庫)
本を所持することも読むことも禁じられた社会は本を読まない人にとってディストピアでもなんでもないのだろうか・・・。
■『江戸の火事と火消』山本純美(河出書房新社1993年)を読んだ。刊行から30年以上経過しているが、有難いことに、ネットで古書を買い求めることができた。
目次:「火消の道具」と「江戸の町づくりと防火対策」
「はしがき」によると、本書は『月刊消防』(東京法令出版)に昭和54年(1979年)から平成4年(1992年)まで、約13年もの長きに亘り連載された記事の半分を選んだものとのこと。書名の通り、江戸の火事と火消について、細かく項目が立てられ、各項目について記述されている。その内容は具体的で詳しい。
本書の内容紹介のために目次を載せる。
はしがき
江戸っ子と火事
幕府の火消
大名火消
江戸の華・町火消
火消の道具
江戸の町づくりと防火対策
江戸の大火
武家屋敷の火事
後を絶たない放火事件
あとがき
江戸防災年表
巻末に掲載されている「江戸防災年表」には町火消の組の数の変遷も記されている。以下にその一部を載せる(和暦年月日の月日は省略、漢数字をアラビア数字とした)。
1718年(享保 3年) 町火消結成令
1720年(享保 5年) 町火消いろは組結成(48組)
1730年(享保15年)町火消いろは組を10番組編成とする
1738年(元文 3年)町火消10番組を8番組とする(定員10642人)
以下略
年表には定火消の変遷も掲載されている。定火消は明暦の大火の翌年、1658年に組織されたと理解しているから、以下のところを見てあれ?と思った。
1650年(慶安 3年)幕府の火消役(定火消)2組結成
1657年(明暦 3年)明暦の大火
1658年(万治 1年)定火消4組(定員512人)となる
このことについて本文中に次のような記述がある(漢数字をアラビヤ数字とした)。
**幕府の火消制度は早く慶安3年(1650)6月に火消役2人をおき、各4000石以上の者をもってあて、2組の消防隊を始めている。その後明暦大火を経てからは本格的な予防策をとり、防火のため防火堤、火除地、防火建築、煮売り行商の夜間営業禁止などの施策を行っている。**(31頁)
手元にある「江戸の主要防火政策に関する研究 ―享保から慶応までの防火環境とその変遷について―」森下雄治,山崎正史(地域安全学会論文集NO.19,2013.3)に示されている定火消の推移の年表には「万治1年(1658)成立」と載っている。相違が気になるが、確認する手立てがない・・・。
それから、1658年(万治 1年)に組織された定火消4組がどこにあったのか、ということ。このことについて、本書では**定火消の役屋敷は飯田町、左内坂、お茶の水、麹町におき、火消屋敷と呼ばれた。**(32頁)とある。上掲の論文では飯田町、麹町、御茶水、伝通院と示されている。左内坂(市谷左内坂)と伝通院、相違している。
市ヶ谷には(JR市ヶ谷駅の近く、武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス東横の坂道)下掲の標柱が立っている。
撮影日:2016.03.26
1658年(万治 1年)に組織された定火消4組の所在地について、拙書『あ、火の見櫓! 火の見櫓観察記』(2019年)で、私は次のように書きました(29,30頁)。
『江戸の火事と火消』に戻そう。
肝心の火の見櫓については「火の見櫓」と「火の見櫓再建」という節で6頁に亘って記述があり、火の見櫓の仕様も記されている。
火の見櫓に沼っている者として、本書が入手できたことが嬉しい。
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■ 3月になって読み終えた本は左側の3冊に図書館本の1冊を加えた4冊。右側の8冊は積読未読。2冊減って2冊増えてという状況が続く・・・。
今読んでいる『金閣寺』を読み終えたら、『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』山本智之(新潮選書2013年)を読もう。有吉佐和子の『華岡青洲の妻』(新潮文庫)も読みたいなぁ。
■ ネット注文していた三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)が届いた。今現在のカバーデザインが好みではないので、画像を確認して、そう、これこれ、と古いデザインのものを注文していた。発行年を奥付で確認すると、昭和45年2月15日。55年前の文庫! 初めて読んだ新潮文庫の三島作品は、どれもこのデザインだったかも知れない。違うかな。
用紙は変色し、活字は細かい。好きだな、こういう本。以前も書いたけれど、小説を「読んでいる感」が高まる。活字が細かいのは特に支障はない。リーディンググラス(老眼鏡ともいう )をかけて読むので。
今日(12日)、朝カフェ読書で読み始めた。
最近読んだ内海 健の『金閣を焼かなければならぬ 林 養賢と三島由紀夫』と酒井順子の『金閣寺の燃やし方』が夜道を明るくする提灯(って喩えが古いか)のように、読む先を案内してくれているかのようで、読みやすい。
読み始めたら、なぜか分からないが、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』が読みたくなった。またネットで古本を注文するかな。
『大災害の時代』五百旗頭(いおきべ)真(岩波現代文庫2023年)の巻末に掲載されている各章の注と参考文献。「第1章 関東大震災」の注に『江戸の火事と火消』山本純美(すみよし)(河出書房新社1993年)が掲載されていた。第1章の記述は江戸の明暦の大火にも及んでいる。で、前掲の書籍が注で掲載されていたという次第。
火の見櫓に沼っている者として、これは読まなければならない。今から30年以上も前に出版された本が入手できるだろうか・・・。できた。
これはネット時代の恩恵。
目次の「第5章 火消の道具」と「第6章 江戸の町づくりと防火対策」
さて、これから読もう。
■ 日本の古代史から近現代史まで万遍なく学ぶことは諦めている。で、これから先は太平洋戦争の関連本を読もうと思ったのは昨年(2024年)だったか。その前から、数は多くはないけれど、読んでいた。印象に残るのは次の2作品。
第二次世界大戦敗戦、シベリヤ抑留。極寒、飢餓、重労働・・・。過酷な状況下、希望を捨てることなく必ず生きて帰還するのだ、と仲間を励まし続け、自らも家族と再会することを願い続けていた山本幡男さん。だが、仲間たちの精神的支柱であった山本さんは病魔に襲われる・・・。
この本のあとがきに藤原ていさんは次のように書いている。**私が死んだ後、彼らが人生の岐路に立った時、また、苦しみのどん底に落ちた時、お前たちのお母さんは、そのような苦難の中を、歯をくいしばって生きぬいたのだということを教えてやりたかった。(前後省略)**
名著だと思う。何年か前にこの本を読んだときは、泣きに泣いた。
しばらく前、想雲堂という松本市内の古書店で『生体解剖 九州大学医学部事件』上坂冬子(中公文庫1982年)が目に留まり、買い求めていた。上坂冬子さんは、太平洋戦争の末期、墜落したアメリカの爆撃機B29の搭乗員のうちの8人を生きたまま解剖し、死なせた凄惨な事件の全貌を明らかにした。
読み終えた今、何を書いたものか、定まらない。ただ言えることは、太平洋戦争がなければこの事件は起きなかった、ということ。このことのみ記して読書録としたい。
遠藤周作はこの事件を題材にした小説『海と毒薬』を書いている。この小説をいつ読んだのか、記憶にない。講談社文庫のカバーが地味だ。読んだのは大学生の頃だったか・・・。
■『金閣を焼かなければならぬ 林 養賢と三島由紀夫』内海 健(河出文庫2024年)を読んだ。本年(2025年)1月14日に生誕100年を迎えた三島由紀夫の代表作『金閣寺』を再読する前に読んでおこうと思って。
著者の内海 健氏は精神科医。専門は精神病理学(本書のカバー折り返しに載っている著者のプロフィールによる)。内海氏は精神病理学の知見によって、ふたりの精神構造がどにように変わっていったのか、そのプロセスを分析する。青年僧・林 養賢はどのように変わっていき、金閣寺に火を放つに至ったのか。『金閣寺』 を書いた三島由紀夫はどうであったのか。
分析は専門的であり、哲学的でもあって、難しく、内容が理解できたとは言い難い。単行本が文庫化されたということは、よく読まれているということだろう。
『金閣寺の燃やし方』酒井順子(講談社2010年 図書館本)を読んで、「金閣寺を描いた三島由紀夫、林 養賢を描いた水上 勉」と括ったが、本書で、三島由紀夫は金閣寺にばかり関心があったわけではなく、林 養賢が陥った精神的な病のことについて、理解していたということを知った。そう、あくまでも林 養賢個人ではなく、病について。
**三島由紀夫は(中略)調書や公判記録などの一次資料にも目を通している。だが、養賢個人に対して関心を示した跡がない。**(49頁)
**三島は執筆に先駆けて入念な調査を行った。だが、それはあくまで小説の題材の渉猟である。そこに養賢に対する感情移入は一欠片もみられない。**(196頁)
**ミンコフスキーの『精神分裂病』(1927)は本格的な精神病理学のモノグラフであるが、ある程度の読解力があれば、門外漢にとっても格好の入門書となる。三島の分裂病に対する筋のよさの一部は、そこに由来している。**(78頁)
**三島の分裂病に対するセンスは秀逸である。**(246頁)
内海氏は精神分裂病という今では使われていない呼称を意図をもって使っていて、その理由も書いている(62頁)が、ここでは略す。
三島由紀夫の作品を納めた文庫は全て古書店に引き取ってもらったので、『金閣寺』を改めて注文した(*1)。本書により、『金閣寺』の違う読み方ができるような気がする。再読が楽しみ(過去ログ)。
*1 現在書店にある新潮文庫の『金閣寺』はカバーデザインが好きではないので、古いデザインのものを入手するためにネット注文した次第。
■ 塩尻のえんぱーく内の市立図書館で目に留まった『金閣寺の燃やし方』。
積読状態解消に向けて『大災害の時代』五百旗頭 真(岩波現代文庫)を読み終え、『金閣を焼かなければならぬ』内海 健(河出文庫2024年)を読み始めようとしていたが(この書名、金閣を焼かねばならぬと入力してしまう)、その前に似たような書名の『金閣寺の燃やし方』酒井順子(講談社2010年)をこの機会に読もうと思った。で、借りてきて一気読みした。
昭和25年(1950年)に修行僧の林 養賢の放火で焼失した金閣寺。この事件をモチーフに、三島由紀夫と水上 勉が小説を書いている。酒井順子さんは『金閣寺の燃やし方』で、三島由紀夫の『金閣寺』と水上 勉の『金閣炎上』を取り上げ、三島由紀夫と水上 勉、ふたりの作家とこのふたつの作品を論じている。
ぼくが三島由紀夫の『金閣寺』を初めて読んだのは高校生の時、以降数回読んでいる。『雁の寺』『越前竹人形』『飢餓海峡』『金閣炎上』、それから『五番町夕霧楼』。水上 勉の多くの作品の中で、読んでいて、書名を挙げることができるのはこのくらいしかない。水上作品の「暗さ」に惹かれて、これらの作品を読んだのは大学生の時(たぶん)。
ふたりの作家、ふたつの作品について、実に簡潔で明快に対比的に書かれているところを引用する。尚、このブログでは引用記号として**を使っている。
**理をもって、表から養賢へと近付いた、三島。情をもって、裏から養賢を理解しようとした、水上。**(122頁)
**上空から見たような観念上の美の物語として「金閣寺」を書いた、三島。(中略)下から金閣を支えていた庶民の労苦に美を見る、水上。**(208頁)
**私は本書において、裏日本を体現する作家である水上 勉の湿り気と、表日本しか見ようとしなかった三島由紀夫の乾き方とを比較しようとしているわけですが、(後略)**(223頁)
と、こんな感じ。 もっと簡潔にするように、というリクエストがあれば、ぼくは次のように答える。「金閣寺を描いた三島由紀夫、林 養賢を描いた水上 勉」。
ぼくが本書のまとめとして読んだのは次の箇所。
**三島と水上も、正反対の個性を持つ作家のようでありながら、金閣寺を通じて、意外な近距離で対峙しているのでした。**(254頁)
『金閣寺』だけでなく、『金閣炎上』も再読しようかな・・・。
酒井さんは、林 養賢の生地の京都府舞鶴市成生と水上 勉の生地の福井県大飯郡本郷村(現・おおい町)を訪ねている。ともに若狭湾に面した寂しいところ。三島由紀夫は東京生まれの東京育ち。祖父の平岡定太郎は兵庫県印南郡志方村上富木(現・兵庫県加古川市志方町上富木)の生まれ。酒井さんはこの地も訪ねている。作家論、作品論を書くために必要なこととだろう。
さて、『金閣を焼かなければならぬ』内海 健(河出文庫2024年)を読もう。
■ 島崎藤村の『夜明け前』を加賀乙彦は日本の近代小説の白眉、と評している(NHK人間大学テキスト「長編小説の楽しみ 世界の名作を読む」1994年10月から12月期)。高島俊男は『お言葉ですが・・・』(文藝春秋1996年)で、この長編小説について**へたくそな小説で、あんなものを名作という人の気がしれないが(後略)**(68頁)と手厳しい評価をしている。これは極端な例だろうが、評価は人それぞれだ。このような例を挙げて断るまでもないが、本を読んで感じたことをずっと書きつづけているが、それらはあくまでも私の個人的な感想に過ぎない。
高校の同級生・IT君に薦められて読んだ『日米戦争と戦後日本』五百旗頭(いおきべ)真(大阪書籍1989年)は論考の展開が分かりやすいことに因るのだろうが、読みやすかったし、文章がすばらしかった。それで、五百旗頭氏の他の著書も読みたいと思った。たまたま新聞広告で『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫2023年)を目にした。広告で次のように紹介されていた。**阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震に被災者として関わり、東日本大震災の復興構想会議議長を務めた政治学者による報告書。**
行きつけの書店で注文していた。昨日(03.01)読み終えた。
本を読む時、論じられるテーマについて、どのようなことが取り上げられているのか、そしてその内容がどのように書かれているかによって、「なるほど感」が大いに違う。『日米戦争と戦後日本』と同様に、『大災害の時代 三大震災から考える』でも、五百旗頭氏は、少なくとも私が知りたいと思うことに関し、的確なトピックを取り上げ、それを分かりやすい文章で書いている。付箋を何箇所も貼った。巻末に掲載してる各章の注はなんと18頁、参考文献も14頁にも及ぶ。こうして論考の根拠をきちんと示している。そのリストに載っている『江戸の火事と火消』山本純美(河出書房新社1993年)を読みたいと思う。こうして本が増えていく・・・。
「関東大震災」では江戸時代にまで遡り、明暦の大火についても、大火及び被害の概要、幕府の対応について、適度なボリュームで記述している。火除け土手、広小路、耐火建築、定火消、大名火消、町火消、火の見櫓、半鐘、太鼓などのことばも使われている。すばらしい。江戸の大火についてのみ書かれた本ではないのに。
本書で取り上げられる三大震災(関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災)についても、前述のような観点、即ち災害の様子、被害の実態はどうであったのか、国や社会は災害に対してどう対応したのか、復興がどのように進められたのかを検証し、詳述している。「第4章 東日本大震災2」では福島原発の大事故について、事故とその後の対応を詳細に記述し、また、五百旗頭氏が議長を務めた復興構想会議の様子も明かされる。この章を読むだけでも意義があると思う。
五百旗頭氏の他の著書も読みたい、いや、読まなくては。
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塩尻駅近くのY字路の▽敷地に立つ京呉服屋さん 2025.02.28
■ 左側の幹線道路はよく通るが、今までこのY字路を意識したことがなかった。昨日(2月28日)「あ、Y字路!」。このY字路に気がついた。建物の角をカットすることで出来る壁面を『Y字路はなぜ生まれるのか?』に倣って角壁面と呼ぶことにする。
本書の著者・重永 瞬さんは角壁面の長さはY字路の印象を決める重要な要素だとして、長さはが長いほどマイルドな印象になり、短いほどシャープでメリハリのあるY字路になると、書いている(81頁)。
この建物の角壁面の長さはおよそ2m(ポーチの床のタイルから割り出した)。このくらいの長さだと、マイルドでもシャープでもない、ニュートラルな印象だ。
もっと角壁面の長さが短い、できればゼロの建物を見つけたい・・・。320
国土地理院/地理院地図Vectorを用いて作成
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■ 「少年老い易く学成り難し」この言葉を実感している。
2月の読了本は9冊。うち、7冊が単行本で新書が1冊もない。珍しい。
『「お静かに!」の文化史 ミュージアムの声と沈黙をめぐって』今村信隆(文学通信2024年)
ひとり静かに対峙したい作品もあれば、同行者とあれこれ感想などを語りながら鑑賞したい作品もあるということになんとなく気がついてはいた。本書を読んで私なりにそのことがはっきりした。
『諏訪の神 封印された縄文の血祭り』戸谷 学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)
諏訪は深い。それはなぜ? ドキュメンタリー映画「鹿の国」を見たことにより、「諏訪学」を勉強したくなり読んだ。
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会 編(人間社文庫 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)
同上。
『狛犬学事始』ねず てつや(ナカニシヤ出版1994年1月20日初版第1刷発行、2012年6月10日初版第7刷発行)
狛犬と括られる一対の獅子と狛犬。両聖獣の違いは口の開閉、角の有無、体の色。それから設置位置の左右、そのどちらか。参道狛犬の大半は石造で体に色は付けられていない(例外はあるだろう。岡谷で見た参道狛犬は木造で着色されていた。過去ログ)。設置位置は両者の相対的な関係だ。像の固有の違いに注目するなら、それは口の開閉か角の有無。
このふたつの特徴の違いのどちらかで獅子か狛犬かを見分ける場合、著者は角の有無に着目し、角が有れば狛犬、無ければ獅子だと判断するとしている。角は制作時、設置時、設置後のそれぞれのフェーズで欠損してしまうことがあり得るのに、なぜ、角の有無なのか、その理由を本書から読み解くことはできなかった(読み落としてないないと思うが)。
言うまでもなく、前提が違えば、その後の論考から導き出される結論も違ってしまう。狛犬に角が必須であるなら、頭頂部にほぞ穴をあけ、別のパーツにした角を穴に差し込むという方法もある。この方法を採れば前述のようなトラブルに対処することができる。
ぼくは獅子と狛犬それぞれの顔の造形で、口の開閉が異なるから、それで判断する方が蓋然性が高いと思う。
『イモと日本人 民俗文化論の課題』坪井洋文(未来社1979年12月25日第1刷発行、1983年1月31日第8刷発行)
『稲を選んだ日本人』坪井洋文(未来社1982年11月25日第1刷発行、1983年2月15日第4刷発行)
弥生は稲作社会という単一的な捉え方ではなく、稲作と畑作は等価値であって両者が互いに影響を及ぼしあっているとみなければならないという主張。
『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社2024年10月23日初版、2025年2月10日3刷)
Y字路に関することを、もれなく網羅的に、そして論理的に論じている。すばらしい!文章は硬くなく、楽しく読むことができた。
『「戦後」を読み直す』有馬 学(中央公論新社 中公選書2024年)
内容をきちんと理解することができなかった・・・。専門用語が使われているわけでもないが。
『青い壺』有吉佐和子(文春文庫2011年7月10日新装版第1刷、2025年2月15日第34刷)
帯に累計70万部突破!!とある。およそ50年前に発表された作品が今よく読まれている。人間模様の「あるある描写」故か・・・。
松本清張の短編推理小説にありそうなラスト。
積読解消に向けて、3月も読む。
2025.02.28
■ 3減3増。なかなか積読状態から抜け出せない。左が2月の読了本。右が未読本。4冊まで減ったが、2月25日に4冊増えて8冊になった。
諏訪についてもう少し勉強しようと買い求めた『諏訪学』。版元で品切れ。希少本とかで、ずいぶん高かった。太平洋戦争関連本を読むことにしているので買い求めた『日本軍兵士』と『続・日本軍兵士』。
昨年(2024年)は安部公房を読んだ。今年も一人の作家の作品を集中的に読もうと思っていたが、一人に絞り込むことができなかった。で、作家を決めないで「読まなきゃ本」を読むことにした。まず浮かんだのが三島由紀夫の『金閣寺』。三島由紀夫の作品について、2021年1月2日のブログに、**ぼくは『金閣寺』(過去ログ)だけでいいなぁ。** と書いている。『金閣寺』を読む前に読んでみようと思ったのが『金閣を焼かなければならぬ』。著者の内海 健氏は精神科医。
積読状態が長いのは『鋳物』。高校の同級生IT君に薦められていた『日米戦争と戦後日本』五百旗頭 真(大阪書籍1989年)を読み、他の著書も読みたいと買い求めた『日本の近代6 戦争・占領・講和』。それからやはり太平洋戦争関連本の『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』。もう1冊、上坂冬子氏の『生体解剖 九州大学医学部事件』。遠藤周作の『海と毒薬』でも取り上げられた事件。
当然だけど、早く読みたい本ばかり・・・。