SIDEWALK TALK

先輩後輩

Chiechan夕べの酒は格別だった。
青年会議所(JC)の先輩後輩との飲み事。
気が置けない友人との時間は、何ものにも代えがたい。
僕がJCやっててよかった思うのは、
多くの得がたい友人に出会えたことに尽きる。


JCでは「先輩」「後輩」の上下関係が、いい意味で重要視される。
「今どき?」と揶揄されそうだけど、僕には居心地がいいし、
これこそJCの醍醐味だと思う。
英語圏(キリスト教圏)では、先輩後輩の関係はあまり重要視されず、
これらの単語のニュアンスにぴったり相当する英単語はないらしい。
この先輩後輩という、ある意味、超組織的メンタリティを含んだ関係は、
「若衆宿」の古俗をもつ南太平洋から東アジアにかけてのものだ
と何かの本で読んだ。


以下は論証なしの持論だが、「若衆宿」について少しふれたい。

日本における若衆宿は、
近世以前は南方的要素が濃い地域(近畿・中国・四国・九州地方など)には
当たり前のようにあった習慣(組織)である。
村社会の男子はある年齢(12歳前後か?)になると
地域の慣習として若衆宿という組織に入って、
そこで共同体のルール(ときには夜這いの仕方までも)を学びながら、
大人になった。
また、自警団的な要素も強く、
火事や災害のときの救急隊も若衆宿が請け負っていた。
自然、村の大人たちも若衆宿のリーダーにたいしては、
命令もできないし、むしろ敬って接していたらしい。


維新の元勲である西郷隆盛が、「郷中」とよばれていた
薩摩藩郷士の若衆宿のリーダー(お先師)だったことは有名である。
大久保利通・大山巌・西郷従道・東郷平八郎なども
西郷のいた下加治屋町の郷中の出身で、
少年時代、その郷中のお先師のもとで、さまざまな薫陶を受けた。

  
若衆宿や郷中には非常に厳しい規律がそれぞれに存在しており、
なかでも先輩後輩の長幼の序がもっとも重んじられた。
幕末の薩摩藩士が討幕運動のなかで、
お先師とよばれる郷中の先輩のことばひとつで、
死地に飛び込んでいったことを思えばわかりやすい。


では、どうして若衆宿の先輩の命令に、後輩は従順だったのだろうか?
「それは古俗だから」と断定してしまえば、身も蓋もない。
そこには、自分が所属している組織「若衆宿」にたいするプライドやリスペクト、
また、自分のすべてをかけて後進を指導していかなければいけない
という強烈な責任感があったのではないだろうか。
そうそう単純に比較できないが、
JCには若衆宿に通じる要素がたぶんにあると思う。
僕は JC のそういう雰囲気が、なんとも好きなのだ。


昨夜は二次会でサプライズがあった。
1軒目のお店で噂していたチエちゃんとの邂逅。
3年ぶりくらいの再会だったけど、あいかわらず笑顔がまぶしかった。
親友との楽しい飲み会の最後の最後に、花を添えてくれた笑顔だった。

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