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晋州JCのことども

2023-11-02 10:51:21 | 青年会議所
Letter中津JCのかたち 「#06 晋州JC」 (2003/02/27)


教科書ふうになるが、晋州(チンジュ)市は、大韓民国の南部、慶尚(キョンサン)南道の人口32万人の都市で、洛東江(ナクトンガン)支流の南江(ナムガン)にのぞむ道西部の行政中心地である。
豊臣秀吉による精神病的自己肥大としかいいようのない朝鮮出兵(文禄の役)、韓国でいうところの壬辰倭乱のさなか、1593年に加藤清正ひきいる12万の日本軍に対し、朝鮮側の6万人が晋州城に籠城し全滅した悲劇的な古戦場として知られている。
晋州城陥落のあと、かの地に駐屯したのが豊前中津藩主であった黒田長政の部隊で、晋州総督とでもいうべき占領将校は、耶馬渓出身の侍大将・毛谷村六助(けやむらろくすけ)だった。


晋州市の精神的象徴は、「義岩」(ウィナム)と「義妓祠」(ウィギザ)である。
「義岩」は見た目には何の変哲もない川べりの岩だが、1593年に晋州城が陥落し日本軍が祝宴を催したとき、宴のために集められた官妓の朱論介(ジュ・ノンゲ)の護国忠節の舞台となった場所である。
宴のとき、着飾って舞った論介は、泥酔した日本の侍大将・毛谷村六助を矗石楼(チョクソンヌ)の下の岩場に誘いだし、六助に抱きつくとそのまま岩下の南江の流れに身を投じ、自らの命と引き替えに六助を死に至らしめた。
その岩が現在「義岩」の名で残っており、この妓生(キーセン)の忠節の話は、韓国のだれもが知っている。矗石楼の隣に、論介の義挙をたたえた祠がある。
それが「義妓祠」である。


このような歴史的背景の都市だから、1900年代初頭からの理不尽な韓国併合(韓国では国権強奪とよぶ)や、戦後の李承晩(イ・スンマン)大統領の排日政策と相まって、以前は抗日感情が強い地域であったらしい。
晋州市のお祭りで、日本武者風の鎧を着せた人形を馬で曳かせ、見物人がその鎧武者人形に石を投げつけるといったものも過去にはあったそうである。
もちろん、現在は親日的な穏やかな学園文化都市で、北海道北見市と姉妹都市になったり、島根県松江市や愛知県豊橋市との青少年スポーツ・文化交流も盛んにおこなわれたりしている。


一方、中津JCと晋州JCの姉妹交流の歴史に目を移せば、その歴史は古く、そして燦々と輝きつづけている。
知ってのとおり、1973年(昭和48)に姉妹締結の調印をし、今年で交流30周年を迎える。
九州の多くのLOMが、隣国である韓国のLOMと姉妹交流をしている。
しかし、多くの姉妹JCは、数年に1度行き来をするだけだとか、交流といっても、メンバー同士が盃を交わす程度の交流がほとんどのようである。
中津JCと晋州JCのように、毎年の交流はもちろん、お互いの地域を巻き込んだ事業を展開してきた姉妹JCは希有なケースである。
とくに、1991~1995年度に実施された「中津国際交流青少年使節団」事業は、多くの両国中学生に国際交流の機会をあたえた。
また、JCの姉妹交流がきっかけで、サッカーU15韓国代表の選手が2名、柳ヶ浦高校にサッカー留学したこともあった。
日韓の近代史や現代史を考えると隔世の感があり、韓国、または晋州の人びとの心の広さに感謝せずにはいられない。


現在、姉妹交流30周年事業については、お互いによきライバルとして議論の限りを尽くしている。
私たちの先輩である中津JCシニアクラブと晋州JC特友会の方々も、真剣に交流30周年の意義を議論し、記念事業の成功のためにコミットしていただいている。
われわれの愛すべき晋州JCとは、ざっといえばこのような関係にある姉妹JCである。

Hanami in the USA

2018-04-07 10:06:15 | 青年会議所
Bruce Springsteen - Born in the U.S.A.



お花見日和の暖かい日が続いてたんだけど、
一転、今日は肌寒い。
夜はもっと冷え込むにちがいない。


よりによって、こんな日に、
こんな花冷えの夜に、お花見に呼ばれている。
いや、正確には、お花見に押しかけるかな?
隣町(宇佐市)のヨシミツ君がオーガナイズするお花見。
今回で3年連続の参加となる。


メンバーは、宇佐JC(青年会議所)OBを中心とした
ヨシミツ組の面々。
無礼を承知で、僕は彼らをサンピン呼ばわりしている。
こんな無礼者を、彼らは嫌々ながら温かく迎えてくれる。


お花見といっても、桜は見えない。
ヨシミツ君の会社奥深くの一室で飲んだくれるだけである。
そして僕は、散々宇佐JCの後輩たちに気をつかわせながら、
思いっきり彼らに悪態をつく。
そして、最後には酔い潰れる。


このろくでもない、すばらしき花見。
USAの皆さんには迷惑だろうが、
今夜も押っ取り刀で駆けつけるつもりだ。

はい!よろこんで

2016-12-03 13:28:33 | 青年会議所
Letter僕が所属してる青年会議所(JC)のOB組織
中津JCシニアクラブには奇妙な伝統があって、
卒業しているのにもかかわらず、
毎月、例会(という名の飲み会)を開催している。
来年、大恩ある先輩が会長職に就かれることになり、
その指名(絶対命令)で例会担当副会長を拝命することになった。


旅は道連れ、世は情け。
護送船団方式。
生け贄はひとりでも多い方が心強いと思い、
4人のメンバーに幹事をお願いした。
その幹事のひとりに、後輩のU君がいる。


実はU君とは、これまでそれほど親しくなかった。
たまたま(といっては失礼だけど)ここ2~3ヶ月の間に彼に会うことが数回あり、
僕の頭のどこかにトム・ハンクス似のU君の残像があったんだと思う。


先日、U君に幹事の依頼の電話をした。
すると「ただ今、お繋ぎできません」とのメッセージ。
10年以上も電話してないから番号が変わってるのか?
それとも、居丈高な先輩の僕が拒否られてるのか?
と思っていると、彼からコールバックがあった。


「滅多に連絡してこないヤツからの電話は、ろくな用事じゃないよな」
と僕が彼にいい、依頼内容を告げると、U君は即座に
「はい!よろこんで」
とにこやかに応えてくれた。


「はい!よろこんで」
忘れかけていたフレーズ。
正直、この僕も副会長職を拝命するにあたって、
どこか後ろ向きな気持ちがあった。
U君も、本音はめんどくさいにちがいない。
けれど、彼のJCらしい返事をきいて、
僕の心にポジティヴの種が少しだけ芽吹いた。

幹事長

2014-05-16 09:46:49 | 青年会議所
Yukokai2今年、僕は中津JCシニアクラブの幹事長を拝命している。
「幹事長」などときくと何やら権力の権化のようなイメージがあるが、
この会の幹事長はぶっちゃけお世話係、下足番である。


メンバー(もしくは、その親族)が他界したとき、
会員に訃報をお知らせし、供花・弔電・受付人員の手配する。
毎月11日に開催される例会という名の飲み会の段取りをする。
会長や先輩に叱られる。現役から煙たがられる。
幹事長の役目といっても、この程度のものなのだ。


にしても、ここ数年、例会が賑やかだ。
30人を下ることがまずない。
総会には50人を超えることすらある。
何なんだろうな?このおっさんパワーは...


Yukokai1毎月の例会は新入会員、
つまり卒業1年目の若造が担当する習わしになっている。
僕もかつて経験したが、これが意外にむずかしい。
200名超のメンバーに案内して、返信は30通くらいだった。
残りの170名は来るか来ないかわからず、
しかも当日に「ドタキャン」ならぬ
「ドタ来る」もめずらしいことじゃない。
どうやって店に予約を入れようかと、いつも途方に暮れていた。
ことしの新入会員も苦労しているはずだ。


今月と先月の例会には、10年ぶり以上ご無沙汰している先輩の出席が相次いだ。
JCの摩訶不思議さは、毎回くるヤツがたまに休むと不参加をなじられ、
たまに来た人には「よく来たな!」と賛辞の声を惜しまない。
この「らしい」矛盾を楽しみながら、幹事長職を全うしたい。

先輩後輩

2013-12-23 09:50:47 | 青年会議所
Chiechan夕べの酒は格別だった。
青年会議所(JC)の先輩後輩との飲み事。
気が置けない友人との時間は、何ものにも代えがたい。
僕がJCやっててよかった思うのは、
多くの得がたい友人に出会えたことに尽きる。


JCでは「先輩」「後輩」の上下関係が、いい意味で重要視される。
「今どき?」と揶揄されそうだけど、僕には居心地がいいし、
これこそJCの醍醐味だと思う。
英語圏(キリスト教圏)では、先輩後輩の関係はあまり重要視されず、
これらの単語のニュアンスにぴったり相当する英単語はないらしい。
この先輩後輩という、ある意味、超組織的メンタリティを含んだ関係は、
「若衆宿」の古俗をもつ南太平洋から東アジアにかけてのものだ
と何かの本で読んだ。


以下は論証なしの持論だが、「若衆宿」について少しふれたい。

日本における若衆宿は、
近世以前は南方的要素が濃い地域(近畿・中国・四国・九州地方など)には
当たり前のようにあった習慣(組織)である。
村社会の男子はある年齢(12歳前後か?)になると
地域の慣習として若衆宿という組織に入って、
そこで共同体のルール(ときには夜這いの仕方までも)を学びながら、
大人になった。
また、自警団的な要素も強く、
火事や災害のときの救急隊も若衆宿が請け負っていた。
自然、村の大人たちも若衆宿のリーダーにたいしては、
命令もできないし、むしろ敬って接していたらしい。


維新の元勲である西郷隆盛が、「郷中」とよばれていた
薩摩藩郷士の若衆宿のリーダー(お先師)だったことは有名である。
大久保利通・大山巌・西郷従道・東郷平八郎なども
西郷のいた下加治屋町の郷中の出身で、
少年時代、その郷中のお先師のもとで、さまざまな薫陶を受けた。

  
若衆宿や郷中には非常に厳しい規律がそれぞれに存在しており、
なかでも先輩後輩の長幼の序がもっとも重んじられた。
幕末の薩摩藩士が討幕運動のなかで、
お先師とよばれる郷中の先輩のことばひとつで、
死地に飛び込んでいったことを思えばわかりやすい。


では、どうして若衆宿の先輩の命令に、後輩は従順だったのだろうか?
「それは古俗だから」と断定してしまえば、身も蓋もない。
そこには、自分が所属している組織「若衆宿」にたいするプライドやリスペクト、
また、自分のすべてをかけて後進を指導していかなければいけない
という強烈な責任感があったのではないだろうか。
そうそう単純に比較できないが、
JCには若衆宿に通じる要素がたぶんにあると思う。
僕は JC のそういう雰囲気が、なんとも好きなのだ。


昨夜は二次会でサプライズがあった。
1軒目のお店で噂していたチエちゃんとの邂逅。
3年ぶりくらいの再会だったけど、あいかわらず笑顔がまぶしかった。
親友との楽しい飲み会の最後の最後に、花を添えてくれた笑顔だった。

心の故郷

2013-11-19 09:58:58 | 青年会議所
Gentenkaiki青年会議所(JC)シニアクラブ総会に久しぶりに出席した。
JCOBの親睦のための組織だから、
総会といっても形式的なものだ。
けど、もめた...
ある意味、JCの面目躍如といったところだろうか?


中津JCシニアクラブは現在200名超の会員がいて、
そのうち会費を納めているのは約150人ほどらしい。
未納したところで取り立てなどなく、緩やかに運営している。
今回もめたのは、ある年齢に達したら会費を免除したらどうか
という議論だった。


僕の年齢ではピンとこなかったけど、
存外デリケートな話のようだ。
対象年齢の一部の人にとっては、
会費免除は「もう来なくていい」というサインに感じるらしい。
結局、総会中には議論が尽くせず、
結論は次回に持ち越しになった。


僕はシニアクラブではまだまだ若造だから、
肩をすぼめてこの議論を聞いていた。
その中で最もシンパシーを感じたのは“くま先輩”のひと言だった。
くま先輩は間もなく古希を迎える。
けれど、払えるうちは会費免除など真っ平御免だというのだ。


「JCは心の故郷。青春の故郷に会費を払うのは喜びだ」
というような論旨だったと思う。
くま先輩には理事長時代を含め現役のとき、
本当に叱咤激励(いや叱咤だけだったかな?)していただいた。
正直いうと最初は辟易してたのだけど、
親しくお付き合いいただくうちに
先輩のJC愛深さ故のアドバイスだと気づいた。


総会後、僕はくま先輩に話しかけた。
「先輩が良いこと言ったの、初めて聞きました」
強烈なゲンコツが僕の頭上に飛んできたのはいうまでもない。

明日の結婚式

2012-03-16 11:11:50 | 青年会議所
Weddingちゃんと数えたことはないけど、
僕は少なくとも、結婚式(披露宴)に100回以上は出席している。
週に4回出たこともあったし、3日連続なんてのもあった。
けど、それは20代、30代のころのことで、
40歳を過ぎてからは、年に1度あるかないかになった。


今年は、ひさしぶりのラッシュ。
毎月のように招待されていて、
この3月で早くも5回目の出席をすることになる。
まぁ、確かに懐具合は苦しいんだけど、
それでも結婚式は出席すれば楽しく、幸せな気分になれる。


明日は、公私ともにお世話になっている先輩のご子息の披露宴。
先輩は、僕の仲人でもある。
少し緊張している。
なぜなら、VIPの皆さんのアテンド係を先輩から仰せつかっているからだ。


大学とJCの先輩でもあり、総理経験者のVIPの方とは、
過去2度ほどお目にかかったことがあるし、
ケータイに電話をいただいたこともある。
けど、僕ごときを覚えているはずもなく、緊張度は今からMAXだ。
とはいえ、僕の担当はこの方じゃないんだけどね...


とにかく、明日の披露宴は禁酒と決めた。
終わってから、同じくアテンド役を命じられている仲間と
居酒屋にでもいって、ゆっくり飲もうと思う。

ヨシミツ君

2008-12-03 15:07:44 | 青年会議所
Yanagigauraヨシミツ君は、隣町の宇佐市柳ヶ浦に住んでいる。
僕にとっては、いわゆる幼なじみだ。


こないだ、田舎では珍しいことに、
鈍行に乗って隣町の柳ヶ浦まで飲みにいった。
そのヨシミツ君に誘われたからだ。
謙遜だろうけど、
ヨシミツ君曰く、柳ヶ浦には4軒しか飲み屋さんがないらしい。


僕らがいったのは「ラムネ屋」という居酒屋で、
土曜の夜のせいか、フルハウス。
ジモピーしかこない店だからかな?
その夜の来客全員とヨシミツ君は顔見知りだった。
あるグループには後輩もいたようで、焼酎を瓶ごと差し入れていた。


ヨシミツ君とは幼なじみといっても、同じ街(市)じゃないから、
しょっちゅう会ってたわけじゃない。
数年間も会わないこともあった。
それでもアラフォーになった今も、時たま盃を交わす。


ヨシミツ君と僕が出会ったのは、父親同士が親友だったからだ。
ヨシミツ君の父君は、若かりしころ、
地元である宇佐市にJCがなかったため、中津JCに所属していた。
そこで僕の亡父と知りあい、意気投合したらしい。


そのうち、宇佐にJCが設立されることになった。
ヨシミツ君の父君は、お人柄からか、その初代理事長に推された。
スポンサーJCはわが中津JCで、そのときの理事長が僕の親父だった。


それから29年の時を経て、2003年、
ヨシミツ君は宇佐JCの理事長に、そして僕は中津JCの理事長になった。
なんと親子二代で同期の理事長をするという奇縁に恵まれた。
以来、それまで以上に親(近)しくなった。


この夜、
この飲み会 -といっても二人っきりだけど- を定例化してホーム&アウェイでやろう
という提案がヨシミツ君からあった。
もちろん、僕は二つ返事でOK!した。


つぎは僕のホーム、中津での開催となる。
完封勝ちするつもりだ。

リンタツ先輩

2008-08-19 14:09:28 | 青年会議所
Rintatsu_senpai3リンタツ先輩、未だ衰えず!
リンタツ節、ますます健在!


昨夜、すでに卒業した中津JCの例会に出席した。
どうしてノコノコと出かけたかというと、
例会講師が「リンタツ」こと林達夫先輩(東京JCOB)だったからだ。


リンタツ先輩は「JC愛の伝道師」とでもいうべき先輩で、
その講演数は間もなく1400回、
600以上のLOMで講演をしたというモンスターだ(失礼!褒め言葉のつもりです)。


1400回にも及ぶ講演の演題は、すべて「JCと浪花節」。
義理と人情の大切さを、独特のべらんめえ調の毒舌で後輩たちに訴える。
昨夜、ひさしぶりに拝聴したけど、何度聴いてもすばらしい。


2003年、僕が中津JCの理事長を拝命したとき、
最初の講師例会はリンタツ先輩と決めていた。
そして、二つ返事で快諾していただいき、その熱い JC MIND を注入していただいた。
その恩義(義理)に応えるべく、昨夜はご挨拶に伺ったのだ。
当然、僕のみならず、リンタツ先輩にご講演いただいた歴代理事長は全員出席していた。


きのう東京からいらっしゃって、
夜10時まで2時間半の講演をハイテンションでこなし、
深夜12時まで後輩たちにつき合う(先輩はお酒をほとんど嗜まない)。


サスガ!リンタツ先輩。
御年76歳。
いつまでもご健勝でいて、デキの悪い僕ら後輩を叱りとばしてください。

御用納め

2007-12-28 09:35:43 | 青年会議所
Account_book唐突だけど、昨夜、河豚を食べた。
JC の後輩 H 君が、来年、
日本 JC のかなりおエライ?役職を拝命したということで、
彼への激励会的な飲み会だった。


JC の出ゴトは、すべて手弁当。
日本 JC の常任理事ともなれば、かなりの(想像を絶する)出費だと思う。
JC が好き以上の何ごとかがなければ、とてもできることじゃない。
H 君の滅私奉公に敬意を表したい。


くわえて H 君は、僕の JC 理事長時代、
女房役の専務理事として僕と LOM を支えてくれた。
だから、後輩の中でもひときわ特別な存在だ。
彼とのひさしぶりの会食は楽しく、あっという間に時が流れた。


こう書けばいかにも僕がおごったみたいだけど、
きのうの飲み代はすべて(二次会も)、この宴席の発起人で僕の仲人でもある
N 大先輩に大盤振る舞いをしていただいた。
N 先輩は面倒見がとびきりよく、
後輩への飲み代なんかを恩に着せるひとではないが、
当然ながら恐縮してしまう(て、いうわりには、好き勝手に暴言を吐いてましたけど)。
N 先輩、あらためてご馳走になりました。
美味しゅうございました。


さて、きょうが御用納めというところが多いと思うけど、
弊社も、ご多分に漏れず、きょうでお終い。
9連休です。
うらやましがられるけど、経営者としては複雑。
メーカーは、工場が稼働してナンボ。
9日分の出荷額を取りかえすことなんて、夢のまた夢。


とはいえ今朝、朝礼で9連休の話をしたら、社員のみんなはうれしそうだった。
ことしは、お盆あたりまでモーレツに忙しかった。
猛暑の中、ガンバってくれた社員のことを思うと、
セコイこといわずに、気持ちよく年末年始を過ごしてもらうのが一番。
来年のためにも、じゅうぶんに英気を養っていただきたい。


1年間、お疲れさまでした!