SIDEWALK TALK

This website is brought to you by KIRIBAKO.NET

恋の西武新宿線

2024-08-20 10:04:09 | まち歩き


大学入学当初、僕は西早稲田に下宿していた。
部屋の環境もイマイチだったし、
地政学上の問題もあったから、
2年生に進学するとき中野区野方に引っ越した。

野方を選んだ理由はとりとめもない。
浜省の「西武新宿線」という曲が好きだったからだ。

通学は、野方から各駅停車に乗って、
高田馬場で山手線に乗り換えて一駅。
駅から大学の西門は徒歩1分以内という便利さだった。

卒業以来、野方を訪れたことはない。
いつか恋の西武新宿線に乗って、
自分のろくでもない素晴らしき青春の軌跡をたどってみたい。

浅草散歩

2024-03-06 08:57:54 | まち歩き
Letter東京で同年代の同業者(桐箱屋)と
隅田川辺の老舗鰻店で会食した。
あちらの方がお客様なのに、
お代は彼が負担してくれた。
さらに彼は下戸なのに昼酒までつきあってくれた。


その後、ジャスミンガールと待ち合わせして、
東京国立博物館で「中尊寺金色堂展」を鑑賞し、
浅草寺に向かう参道(仲見世)をぶらついた。


夜は彼女レコメンドの江戸蕎麦のお店を訪れた。
お店は向島の小路にひっそりとあって、
知らなければとてもたどり着けない。
イチローモルトのハイボールもうれしかった。


ほぼノープランの逍遙だったんだけど、
お江戸のシック(粋)みたいなものを感じられて、
少し贅沢な気分になった。

植民地の夜は更けて

2021-05-24 08:42:07 | まち歩き
Bistro Volaille植民地下のような時短要請の夜、
幼なじみと駅前のビストロに出かけた。
僕は日がな一日ダラダラしてたんだけど、
彼女の仕事の都合で、入店は19時前になった。


お店の入り口には時短営業のお知らせチラシ、
メニューボードの横にはラストオーダー20時のポップ。
なんとなくせわしない気分でテーブルに着いた。


シェフは心得ていてくれてたと思う。
シャア・アズナブルやフル・フロンタルさながらに、
通常の3倍のスピードで料理が運ばれてきた。
僕らは料理とワインに舌鼓を打って、
1時間半ほどでお店を後にした。


そして、まるで逃亡者のように
そそくさとタクシーに乗り込み、
街灯りが消えた薄暗い植民地の夜を駆け抜けて
家路についた。


コロナ禍の日曜日は無情の日。
前ぶれも、あいさつもなく、
問いと答えが逆になる。

二人歩記

2021-01-28 11:23:14 | まち歩き
Magic最近、近所に住んでる幼なじみと
食事に出かけるようになった。
彼女の家は目と鼻の先ほどの距離なんだけど、
何年間も会わないこともしばしばあった。


実をいうと、ガキのころはほとんど話したことがない。
けれど、そこは同級生マジック!
お互いを下の名前で「ちゃん」付けで呼び合い、
しどけない与太話に花が咲く。
もしかしたら、同級生マジックじゃなくて、
中年マジックなのかもしれないな。


こないだの土曜日、駅前のビストロに二人で出かけて、
ワインを2本開けた。
実はそのビストロ行きには、ある計画があった。
毎週土曜日、僕らと同い年の昭和40年男が、
駅のコンコースで、長渕剛の路上ライブをやってる。
その路上ライブを彼女に見せたかった。


彼女は、べつに長渕ファンではないらしいのだけど、
マイナー曲「二人歩記」が好きだという。
食事後、僕らは駅に向かい、
その昭和40年男に「二人歩記」をリクエストした。
彼をしても、このリクエストは意外だったようだ。

不要不急の集まり

2020-02-26 10:02:02 | まち歩き
pandemic連日、新型コロナウイルスの報道がかまびすしい。
生命に関わることだから、
ある程度は致し方ないとしても、
僕的には世間の反応は過剰に思える。


そんな騒ぎのさなか、
政府がいうところの「不要不急の集まり」に、
僕はのこのこと出かけてきた。
名古屋から先輩、神戸から後輩が、
満員の新幹線に乗って、遊びにきてくれたのだ。


オッサン3人が集まってすることといえば、
ダラダラ飲みに決まってる。
土日の2日間、真っ昼間から深更まで、
小倉の街を飲み歩いた。


焼き鳥
鴨鍋
ラウンジ
ジンギスカン
焼きカレー
おでん
馬刺し


思いのほか、街は賑わっていた。
経済よりも生命が大事なことは論を俟たない。
けれど、不必要に怖がる必要はないように思える。
ま、個人個人の判断、自己責任なんだろうけど、
僕は、今週末、また不要不急の集まりに誘われている。

下高井戸

2018-07-17 09:49:51 | まち歩き
ShimotakaidoThis is my Soul Town
下高井戸


下高井戸の駅を降りると、
いつもトキメキと切なさが同時に去来する。
いつ以来だろう?
ひさしぶりに下高井戸をぶらついた。


19の秋、初めてこの街を訪れた。
それまで僕は、「shimotakaido」という音から、
「しもた街道」と勘違いしていた。
駅に着いて、「下高井戸」だということに初めて気づいた。
それ以来、僕は何度もこの街を訪れることになる。


京王線の駅をでて、日大通りを桜上水方面に歩く。
踏切付近にマックがあって、よくチーズバーガーを食べた。
左手に小学校があって卒業記念の壁画が楽しかったが、今はもうない。
交番を過ぎると三叉路になっていて、
角っこのたい焼き屋さんには今も昔も行列ができている。
その先は住宅街で、1回ずつ右折して左折すると
僕の散策は終わりを迎える。


下高井戸の隣に永福町がある。
ラジオドラマ「NISSAN あ、安部礼司 ~ BEYOND THE AVERAGE」で、
主人公 安部礼司と優ちゃんの新居があった街だ。
ドラマでは「Never Ending Happy Town」と英訳されていて、
縁起がいい街ということになっている。


下高井戸から甲州街道を越えて永福町に入ると、寺院が連立している。
それら寺院の出自は関東周辺らしく、江戸時代の寺町の名残じゃなく、
戦後(?)、何らかの施策で永福町に集められたようだけど、
その理由は僕にはわからない。


その寺院群のなかに、善照寺という浄土真宗のお寺がある。
善照寺の墓地に、「釋玅知信女」と刻まれた墓石がある。
僕は、上京するたびに、このお墓にお参りしている。


「釋玅知信女」を僕なりに意訳すると、
「玅」という字は、漢和辞典アプリによると
「美しい」or「小さい」という意らしいから、
「ちっちゃな知ちゃん」と訳したい。


その「ちっちゃな知ちゃん」が
永福町という縁起のいい街で眠っている。
切なさと安らぎがない交ぜな気持ちのまま、
僕はお墓参りをすませ、下高井戸の駅にむかった。

夏の終り

2017-08-31 09:48:35 | まち歩き
Coastline最近は聴く機会が減ったけど、
十代のころから浜田省吾の音楽に親しんできた。
浜省に、この時期にピッタリなお気に入りの楽曲がある。

「夏の終り」

夏の終わりに、海岸線を、窓を開けて車を走らせる。
潮風と波の音を感じながら。


こういうキザなシチュエーションはバタ臭くて、
実際にはやったことはない。
けど晩夏にドライヴしてると、この歌が頭をよぎる。


かといって、全面的にこの曲を支持してるわけじゃない。
メロディもサウンドもめちゃカッコイイんだけど、
歌詞にタオイズムを感じるところがちょっと気になる。
僕はまだ、老荘的気分に浸るには若すぎるんだろうか?


この曲がリリースされたのは1990年。
今の僕は、当時の浜省より歳を重ねている。
僕にもあと数年で、こういうタオイズムの境地が訪れるんだろうか?
この楽曲は大好きなんだけど、それだけはご勘弁願いたいな。

Keep on fighting!

祇園囃子が聞こえる

2017-07-29 09:32:53 | まち歩き
Letter順子ママのリハビリ病院は、お城の近く。
2~3日前から、送り迎えのとき、
祇園車を目にするようになった。
昨日の朝は日舞(?)の音楽も流れていたし、
夕べは花火の音が遠くで鳴っていた。
祇園祭がはじまったようだ。


中津祇園は、中津を代表するお祭りであり、
僕らに梅雨明けと鱧のトップシーズン到来を知らせてくれる。
祇園祭エリアの人たちは、博多祇園山笠の「山のぼせ」同様、
お祭りがちかづくと仕事が手に付かなくなるらしい。


僕が生まれ育った家は、ぎりぎり祇園祭エリア圏外だった。
だから家のすぐ近くでおこなわれるお祭りでありながら、
参加したことがない(参加できなかった)。
ガキのころは、祇園祭にちょっとした憧憬の念をもっていた。


僕らは普通、中津祇園のことを「祇園」と呼び捨てにする。
けれど僕の子供時分、お年寄りたちは「お祇園さん」と
「御」と「様」を付けて呼んでいた。
それも「おぎおんさん」じゃなく、
「おぎょんさん」という発音だったように思う。


くりかえすが、僕はお祇園さんには参加できない。
だから浴衣で繰りだして、祇園車を見上げながら、
から揚げを肴に、生ビールを喉に流し込もうと思う。
これが、傘鉾公国の住民のお祇園さんなんだ。

この街の夏が過ぎてゆく♬

おにいちゃん ガールフレンド ういヤツ

2017-01-07 10:20:50 | まち歩き
Letterわがまちの新春恒例行事、
商工会議所主催の新年賀詞交歓会。
昨夜も300人を超える有象無象たち、
もとい、多士済々が集っていた。
別に楽しい会ではないけど、
これに出席するとたくさんの知人に新年の挨拶できるから、
何かと便利がいいんだよね。


会場に入るなり、ガールフレンドから
「終わったら飲みいこう」と声かけられた。
結局、4人で街に繰りだした。


年長のDさんは、僕のおにいちゃん的な存在。
20代のころ、地元に帰ってきた僕に、
まちのことやJCについてあれやこれや教授してくれた。
なによりも、悪いことはたいがいDさんに教わった。


ガーフレンドのマキちゃんとは、かれこれ30年のつきあいになる。
家族ぐるみというか、それ以上のつきあいで、
独居老人のおふくろを気にかけてくれていて、
僕以上におふくろんちに足を運んでくれている。


そして殿軍は、後輩といっていいのか?
どういうつながりなんだろう?
ナイスガイのY君。
理由はよくわかんないけど、
こんな僕を師(何の師だよ?)と仰いでくれてる。
好青年にしか見えないんだけど、
実は「やぶれ」の資質をもっていると僕は感じている。
音楽の趣味が似通ってるところも、気が合う理由なのかもしれない。
ともかく、ういヤツです。


何の利害関係もない飲み会ほど楽しいものはない。
おにいちゃん、ガールフレンド、そしてういヤツ。
このろくでもない宴は、愛おしくなるほど素晴らしい。

祇園祭

2015-07-18 15:17:16 | まち歩き
Letter街をぶらついていると、
鉦打ち(お囃子)のお稽古が聞こえてきたり、
祇園車の車建てを目にすようになった。
そっか、中津祇園の季節なんだ。


中津祇園は、中津を代表するお祭りであり、
僕らに梅雨明けと鱧のトップシーズン到来を知らせてくれる。
祇園祭エリアの人たちは、博多祇園山笠の「山のぼせ」同様、
お祭りがちかづくと仕事が手に付かなくなるらしい。


僕が生まれ育った家は、ぎりぎり祇園祭エリア圏外だった。
だから家のすぐ近くでおこなわれるお祭りでありながら、
参加したことがない(参加できなかった)。
ガキのころは、ちょっとした憧憬の念をもっていた。


僕らは普通、中津祇園のことを「祇園」と呼び捨てにする。
けれど僕の子供時分、お年寄りたちは「お祇園さん」と
「御」と「様」を付けて呼んでいた。
それも「おぎおんさん」じゃなく、
「おぎょんさん」という発音だったように思う。


くりかえすが、僕はお祇園さんには参加できない。
だから浴衣で繰りだして、祇園車を見上げながら、
から揚げを肴に、生ビールを喉に流し込もうと思う。
これが、傘鉾公国の住民のお祇園さんなんだ。