最初のまち、「ハイデルベルグ」についた。
この洋菓子屋さんみたいな名前のまちについて、僕はなんの知識もない。
ガイドさんの解説によると、
神聖ローマ帝国時代の選帝候(要するに、この地域の領主 or 王?)の居城だった「ハイデルベルグ城」と、
ドイツ最古の大学「ハイデルベルグ大学」で有名なまちらしい。
ハイデルベルグ城は、旧市街地を一望する小高い丘の上にたっている。
城の歴史は14世から16世紀、
日本史でいえば「建武の新政」から「関ヶ原の戦い」までのながきにわたり、
歴代領主(選帝候)たちよって増改築がくり返されたそうである。
だからゴシック、バロック、ルネサンスなど、それぞれの時代の建築様式が混在している。
イギリスから美人の奥さんがきたというだけで英国様式の城塔を建て増したり、
イタリアに旅行して見たルネサンス様式が気に入ったからといって城館を新築したり
と、相当な搾取の上にできあがった城だということが見てとれる。
江戸城などは明暦の大火で本丸天守閣が焼失したのにもかかわらず、幕府は再建せず、
むしろ江戸のまちの防火対策に心をくだいた。
財政的な理由もあったであろうが、
平和な時代に天守閣など無用の長物だという平衡感覚もあったにちがいない。
むろん、現在も天守閣は再建されていない。
かつて驕奢をきわめたそのハイデルベルグ城も、いつの戦争によるものなのか、
城のあちこちが打ちこぼたれていて、今は廃城にしか見えない。
つぎの宿泊地「ローテンブルグ」にむけて、
チボーさんのバスは古城街道をネッカー川沿いに南下している。
このネッカー川沿いの左右上方の山上にはたくさんの城址がのこっていて、
つぎからつぎへと古城があらわれる。
あまりにも多いので、ありがた味がだんだんとなくなり、名前はすべて失念した。
かつてネッカー川はこの地域の物流運送の大動脈で、
これらの古城は、その商品を強奪する山賊たちの拠点だったそうである。
一般的に、われわれ日本人がイメージする
日本の城のスタンダードは姫路城や熊本城などに代表されるスタイルで、
そのはじまりは織田信長の安土城であることはまぎれもない。
いわゆる都市城(キャッスル/castle)である。
安土城以前は防御に主眼を置いた山城・城砦(ダンジョン/donjon)で、天守閣などなかった。
城主はふだん山の麓にいて、敵が攻めてくるとダンジョンに籠もり、これを防いでいた。
信長がどういった構想で天守閣を発明したかはわからないが、
南蛮(スペイン・イスパニア)からきた宣教師にヒントをもらったのではないだろうか。
当時からキリスト教の城壁市にはかならず教会があり、
まちの中の1番高い建物は聖堂(カテドラル)であり、構造物としても精神的にもまちの象徴であった。
西洋文化受容に並々ならぬ意欲があった信長のことである。
「南蛮の城の絵を描いてみろ」といったかもしれず、
その絵のカテドラルを見て、「この塔はなんだ」ときいたとしても不思議はない。
古城街道の城たちは、ハイデルベルグ城はキャッスルといえるが、
他はたぶんにダンジョンとよぶべきものだった。
ドイツには、
ハイデルベルグ、ブランデンブルグ、ニュルンベルグ、ハンブルグ、今から向かうローテンブルグなど
「ブルグ/burg」や「ベルグ/berg」が最後につく地名が多い。
ガイドさんに「ブルグ」の意味をきいてみると、「城壁都市」や「砦」の意だそうである。
おとぎ話にでてくるような華麗で瀟洒な城には、べつに「シュルフ/schloff」という単語があるらしい。
かといって、単純に「 schloff = castle 」、「 burg = donjon 」というわけでもなさそうである。
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