醤油ほど、多目的で万能な調味料はない。
和食はいうまでもなく、
僕は、ステーキも塩コショウにお醤油だけというのが
ベストソースだと信じている。
現に、若いころ訪れたNYの有名ステーキハウスでも、
卓上にキッコーマンの瓶が置かれていた。
醤油を発明した人物はハッキリしている。
信州(木曾だったか?)出身の僧侶、覚心(かくしん)だ。
覚心は、鎌倉時代初頭のひとで、
晩年、臨済禅の巨人になる。
その経歴は、醤油同様オールマイティで、
年少で地元の神宮寺で経書にふれ、
奈良の東大寺で受戒し華厳経を修め、
高野山にのぼり密教を学び、高僧某から相伝を受けた。
その後、京に上り禅に転向し、
宋から曹洞禅を持ち帰って間もない道元に就いて修行し
戒脈を授けられた。
さらに入宋を思い立ち、
今の浙江省の経山(きんざん)にのぼって修行し、
ついには開悟し印可を得た。
その印可の宗旨が、臨済宗だった。
帰国後、この輝かしいキャリアにより、
権門勢家や巨刹から招きがあったりしたが、
権力の煩わしさを嫌い、
紀州由良の西方寺に逃げるように転出した。
覚心は、味噌好きだった。
とくに、宋での修業時代、
経山寺で食べた味噌の味が格別だった。
幸い西方寺のちかくに上質の水があり、
その水で味噌をつくってみたところ、
経山寺時代と同レベルの味噌ができあがった。
これが、こんにち僕らが「きんざんじみそ」(金山寺味噌とも)と
呼んでいるなめ味噌の起源となる。
しかし、目的のなめ味噌以上に、副産物として、
歴史的調味料が偶然にできあがった。
経山寺味噌の味噌桶の底に、黒い液体が溜まっていた。
この液体で物を煮ると、
それまでの調味料「ひしお」などの及ぶところじゃなかった。
これが、今でいう醤油の祖先の誕生だった。
書き連ねてきたように、覚心は仏教史上の巨人といえる。
だが、日本史の中では無名にすぎず、
教科書にも載っていないと思う。
覚心は生涯をかけてさまざまな仏教を修めたが、
そのことは社会や歴史にはさほど影響を与えず、
偶然できた醤油は後世の僕らに多大な恩恵をもたらしている。
現代においては、その恩恵は日本のみならず、
世界中の人びとが享受しているといっていいと思う。
以上は、「勉強のための勉強は意味がない」
という典型例だと思うが、どうだろう。
最後は、勉強嫌いの言い訳になってしまったような...
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