神と仏は争わない。
〈神が何か〉が分かられた方を、仏陀と言う。
故に、仏陀釈尊とは、この世あって神人、つまり、生き神様であり生き仏様である。
あの世にあって釈尊の神となる。
神道では、国津神(地祇)と天津神と言われる。
故に、神々は言われる、『我々が神界におれるのも、人間であった時、真摯に、法図を学び、
拝見・拝聞・拝受持と弘伝の菩薩行を為したからである』と。
更に、教えておきましょう。
人間である遥か以前に、以前の宇宙で元もと、小さなプリミティブ素粒子であった時、
その素粒子が集合され、あるヒトツなカタマリとなり、大神より、意識と生命とカタマリのボディを授かった。
この大宇宙が創造される遥か遠い昔の宇宙の創造での出来事である。
ある時に、存在するあらゆるものが一点に凝縮され、この大宇宙の創造に参加した。
どの宇宙の時でも、意識生命体として、神化向上を怠らなかった結果である。
この大宇宙内での人間の知性や思考ではとうてい、大神が分からない。なぜなら今だに、
神界でも神とは何かを追い求めているからである。
この大宇宙で、何度目の創造物としての体験学習であろうか?
気が遠くなるだけである。
しかしながら、アルのは永遠の一瞬の同時存在である。
天地を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA !
あやなわん・ありんがとわ!