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「地獄少女」の宿命。

2014年12月09日 19時02分28秒 | 映画

晴らせぬ恨みを晴らす必殺シリーズが長きに渡り放映されたように、人を少しでも恨んだことがある人が多いと言うことですね。
「地獄少女」も晴らせぬ恨みを晴らす少女として人気がありました。
しかし「地獄少女」も人を恨み、恨まれ、最後は大変な方法で恨みを晴らし、現世で地獄流しを永遠にしなければならなくなった運命で、決して正義の味方ではないということですが、全ての始まりは昔どこでもあった「人身御供」。
豊作や安全を願って、処女の少女を生き埋めにする悪風習です。
これは古い時代からあって、神代の時代、出雲で「イザナギの尊」が「ヤマタノオロチ」を退治したのも、年に一回「ヤマタノオロチ」に「人身御供」をしていた時、出雲に降り立った「イザナギの尊」が「人身御供」になる少女を救うために「ヤマタノオロチ」を退治したと言うことですが、ようは多くの河川が洪水し多大な被害にあっていたので「人身御供」していたということです。
ということで「地獄少女」の誕生辺アニメと実写をご覧ください。








「鬼畜」(きちく)は、松本清張の短編小説。
この映画は「砂の器」と同時上映で、私がまだ若い頃初デートで見に行った映画で大失敗でした。

気の弱い男がある日、3人の隠し子を押し付けられ、動転して親とは思えない行動に出てしまうさまを描いたサスペンス・タッチの人間ドラマ。松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画化した問題作。印刷屋を営む竹下宗吉と妻のお梅。ある日、宗吉の愛人が3人の隠し子を宗吉に押し付けて失踪した。妻のお梅は子どもたちに辛く当たり、やがて、末っ子の赤ん坊が不慮の事故で死んでしまう。お梅が故意に仕組んだと察した宗吉は残る2人も何とかしなければと追い詰められて行き……。

鬼畜とは、もとは仏教用語で、仏教の概念である六道のうち、餓鬼と畜生の二道をあわせた「餓鬼畜生」の略語である。
上記の用語が転化を重ねて、人を人とも思わないような残酷な行為、非道な行為をする人間を指して言うようになった。





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