下の画像は明治時代の住居表示です。奈良の家の「みせの間」の梁に残っていました。この屋敷札に書かれているのは住所の〇番△号に当たる部分です。
漢数字で書かれていますが、旧字体なので、わかりやすく現在の漢字で右側に添え書きしておきました。
第二百四十二番屋敷…
明治時代は建物一つ一つにこんな風に住所(戸籍にも使われていました)が通し番号で付けられていました。その後この方式に色々と不便さが有ることが分かり、明治末頃現在の様に〇番(地)△号と変更されました。
「○○番屋敷」、あるいは「△△番戸」というのもありましたが、は大昔の番地だと覚えてください。
松原でも古~い家なら残っているかもしれませんが、珍しいものなので載せてみました。
さあ、10連休も今日が最終日。
明日からまた楽しい学校と
中間考査に向け頑張りましょうね