月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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景虎

2013-01-21 18:00:00 | 歴史こぼれ話
諸橋酒造(旧栃尾市、現長岡市)の越乃景虎
生涯酒をこよなく愛した上杉謙信が元服したころ、長尾景虎と名乗り栃尾の城主となったことからネーミングされたという。

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景虎

景虎というと上杉謙信の幼名と思われがちだが、幼名は虎千代といい、元服して長尾景虎と名乗った。
謙信が元服したころの越後は、一族でいがみ合い、内乱が頻発する国であったが、謙信は天才的な軍事采配でこれを統一。

長尾氏は本来平氏で、源氏の上杉氏に家臣として越後の守護代を務めていたが、関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎(まさとら)と名を改めた。
その後、関東管領に任命されると、将軍足利義輝より輝の一字をいただき上杉輝虎(てるとら)と名乗った。

それでは上杉景虎とは誰かというと、北条氏康の七男である北条三郎が、永禄13年(1570)4月に上杉氏に人質として送られ、人質ながら謙信の養子となった折に、謙信より自身が元服した時の名前である「景虎」を贈られ、上杉景虎と名乗った。

天正6年(1578年)3月に謙信が没すると、景虎は義兄の上杉景勝と家督を争い御館の乱が勃発する。
緒戦は北条方の援軍を期待し、武田勝頼や芦名氏などと図った景虎方が優勢であったが、冬になると雪のために北条方の援軍も見込めず、しかも勝頼が景勝側と和睦を結んだため、景勝は次第に追い詰められ自刃して果てた。

”景虎”は上杉氏の盛衰を見つめていた名前なのでありました。

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