月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

芭蕉は密偵だったのか?

2013-01-29 18:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは!月乃和熊(ツキノワグマ)です!!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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芭蕉は密偵だったのか?

松尾芭蕉は、寛文12年(1672)27歳のときに、伊賀上野から江戸に出て8年間「桃青」と名乗り、現在の日本橋室町1丁目付近の借家に住んでいたそうだ。

住まいは、日本橋から江戸橋にかけて続く魚河岸に近く、早朝から魚を満載した舟が漕ぎ寄せられ、早朝から威勢の良い掛け声が飛び交い、店の表に並べられた魚を求めて大勢の人が集まり、大変賑やかなことであったろう。

芭蕉は延宝6年(1678)俳諧宗匠として独立し、宗匠として迎春の心意気を高らかに詠んだ句が、石碑に刻まれた句だという・・・

が、なんと書いてあるのかさっぱり読めないのであります

ところで、芭蕉忍者説というのはご存じだろうか?

1.そもそも、芭蕉は伊賀上野出身で、藤堂藩に仕えていた芭蕉は武士であった。
2.伊賀は伊賀忍者の地。
3.どうやって、数度にわたる旅の費用を捻出したのか?
4.旅における一日の移動距離が、徒歩にも関わらず50km以上もあった。
5.松島やで有名な句を詠んだとされる松島には立ち寄らず、石巻に立ち寄っていた。
6.以上のことなどから、実は仙台伊達藩を探るための幕府の密偵だったので、旅費や通行手形などが問題なく手に入った。

などがその理由だが、まさしく歴史ロマン!
月乃和熊(ツキノワグマ)としては、芭蕉は密偵であったら良いな~と思っています。
皆さんはどう思われますか?

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