【地獄の種類まとめ】 より、抜粋編集
https://happy-science.jp/info/2018/38030/
不思議な事に、死後あの世の地獄というところに行った人は、「私はまだ死んでない!」と思っている人がほとんどなのだそうです。
脈もなく息もしてないのに・・・・何日も食事をしてないのに・・・何日も寝てないのに・・・歩かないでもどこでもすり抜けて行けるのに・・・。
ですから、それが分かるまで、永遠に抜け出せない。あるいは、永遠と、あの世なのに生死を繰り返すことになるんですね~。
【それに気づき反省する!】たったこれだけの事で天国に行けるんですが、どうもそれが唯物的な頭では理解できないらしいんですね。
これを読まれた人は大丈夫だとは思いますけれど・・私も気を付けないと危険があぶない!(爆)
「殺生の罪」(命を奪う罪)によって行く地獄
等活地獄(とうかつ・じごく)
地獄のいちばん浅いところにある、殺し合って体をバラバラにしたり、粉々にしたりする地獄です。
等活地獄に堕ちた人は、赤鬼や青鬼のような獄卒に追いかけられて、頭を鉄杖(てつじょう)や鉄棒で叩きつぶされたり、刀で体を斬られたりして、地獄のなかで「死ぬ」のですが、どこからともなく涼風がふ~っと吹いてくると、死んだ人がみんな、ふわっと生き返ります。
人を殺めたりすることがどれほどの罪かということを教えるために、殺されては生き返るということをいつまでも繰り返します。
自殺者が行く地獄
等活地獄によく似ているのが、自殺者が行く地獄です。自殺者のなかには、自分が死んだことも分からない人が大勢います。ビルから飛び降り自殺をした人であれば、死んでからもビルの屋上に上っては、何回も何回も飛び降りをしています。「自分はぐちゃぐちゃになって死んだ」と思ったのに、しばらくすると生き返るため、また屋上から飛び降りるのです。
首吊り自殺をした人であれば、死んでからも、何度も何度も首を吊っています。それでも死ねないので、今度は地上に生きている人に取り憑いて、他人に首を吊らせるようなことをします。自殺者が行く地獄では、何度も何度も、死ぬ瞬間を繰り返し体験します。
やさぐれ者、アル中、駆け落ち心中、人間として無軌道な生活や破綻状態の生活(ギャンブル依存症など)をするような人など、家庭を省みない人たち、肉体的なことに関する恐怖心(いつ自分の生命が奪われるかが分からない)、「他人はみんな自分を害そうと思っている」「自分は死ぬんじゃないか。迫害されるんじゃないか」という恐怖心を持っていた人の行く地獄
無頼漢地獄(ぶらいかん・じごく)
ここはまだ浅い地獄で、日没後のような薄暗い世界です。この地獄は、怒りに燃えた人に殺される恐怖体験を繰り返します。
『大川隆法霊言全集』第26巻(非売品)では、室町時代に生きた女性・小桜姫の言葉で、この地獄の様子が語られています。
近くには川が流れています。ちょっと悪臭のある川で、あまりいい気持ちはしません。
それもそのはず、浅瀬には人間の死体が何体も沈んでおり、なかには片手だけ虚空に伸ばしている死体もあります。
しかし、近付いてみると、この「死体だ」と思っていたものが、実はまだ水のなかでうごめいていることが分かりました。彼らはまだ生きているのです。
そうこうしているうちに、川の上流のほうから、ワーッという声が上がりました。見ると、20人ぐらいの人々が、2人の男女を追い掛けて、こちらに来ます。どうやら、橋のたもとの所で2人とも捕まり、荒縄で橋のたもとに縛り付けられてしまったようです。男も女も2人とも、擦り切れて泥まみれになった着物を一枚着たきりです。男の額の傷からは血が滴(したた)り落ちています。
と、そのとき、雷音のような声がとどろきました。追っ手のなかで、いちばん大きな男です。身長は、優に3メートルはあります。また、その腕の太いこと、小桜の太腿を2本合わせたぐらいあります。
かがり火に照らし出された男のその顔は、話に聞く赤鬼そっくりです。ないのは角ぐらいで、口からは確かに牙(きば)とおぼしきものが生えております。
この大男の号令で、川岸で5人の男どもが刀を研ぎはじめました。大きな青竜刀(せいりゅうとう)のような刀です。川でジャブジャブと刀を洗いながら、砥石で刀を研ぐのです。シャリン、シャリンという、とても嫌な金属音が、冷え冷えとした空気を通して伝わってきます。
そのかわいそうな男女は、赤鬼の奴隷のように、こき使われていたのですが、とうとう2人で逃げ出して、追い掛けてきた彼らに捕まってしまったのです。
それから、2人が青竜刀で切り刻まれて、川のなかに、死体のごとく投げ込まれたシーンは、ご想像に任せるとしましょう。
この男女は、江戸時代のころ、村の掟(おきて)に背(そむ)いて駆け落ちし、結局は心中してしまった男女だったそうです。
彼ら自身は、実際は、村人に追われて殺されたわけではありませんが、「追い掛けられて、村人に殺されるのではないか」という恐怖心でいっぱいだったために、その恐怖心が死後の世界でも続いており、こうしてまた、人殺しの好きな連中に捕まっているということでした。
「他人からもらいたい」「人のものをパッと取っていきたい。奪いたい」 「甘い汁を吸えるような話があったら、ガボッと噛みついて、自分のものにする」いつも満たされない気持ちの人が行く地獄
餓鬼地獄(がき・じごく)(餓鬼道)
現代人が非常に行きやすい地獄の一つ。
骸骨のように手や足、顔が痩せ細り、おなかだけがポコッと出ている姿の人が大勢いるところです。
この地獄の人たちは、とにかく欲しくて欲しくてしかたがない気持ちでいっぱいです。「何かを自分に与えてほしい」という気持ちの表れで食べ物を欲しがりますが、いつまでも満たされることはありません。
おなかを空かせて岩山を這い上がり、やっと見つけたおいしそうな食べ物をいざ口に入れようとした瞬間にガスになってボッと燃え上がってしまったり、喉の渇きを我慢しながら砂漠を這い回り、やっとオアシスにたどり着いて水をガバガバッと飲もうとすると、その水が蒸発してなくなってしまったりします。
さらに、もっと気性が荒くなってくると、同じ餓鬼地獄に堕ちた他の地獄霊を食べてしまう人もいます。しかし、あの世では、実際には肉体はないので、「食べた」と思った相手がまたポコッと現れてきます。逃げられたと思って、もう一回、食べにかかっても同じで、いつまでたってもおなかは満腹になりません。
浮気、不倫、三角関係、不特定多数との肉体関係、男女の関係で道を踏み外す傾向が非常に強かった人、男女関係において著しく間違った生き方をした人が行く地獄
色情地獄(しきじょう・じごく)(血の池地獄)
ここも現代人が行きやすい地獄の一つ
お互いに嫉妬心にあおられて心は地獄になります
阿修羅地獄の近くにある「色情地獄」は、男女の絡みを”永遠”に行っているのですが、その姿は非常に見苦しく、ぬかるんだ田んぼの泥沼のなかで、ミミズがたくさんかたまって戯れている姿に似ています。そこを「最高の世界だ」と思って生きている人たちが大勢いるのです。
人を責めさいなんだり、人の悪口ばかりを言ったりしている人や「とにかく、悪口を言ったり、人を傷つけたりすると、スッキリする」という気持ちで悪口を言い続けているタイプの人、また、世間の悪口、政府の悪口、人の悪口を並べたて、不幸を自分以外のもののせいにして自らを正当化するような人や、言葉で人をずいぶん傷つけているようなマスコミやジャーナリズムの人が行く地獄
阿修羅地獄(あしゅら・じごく)(阿修羅道、阿修羅界)
この地獄には、昔の兵士や、過去の戦争などで殺し合った人たちもたくさんいます。
ただ、現代では戦争が少なくなってきていることもあり、この地獄に堕ちた人たちは、お互いに非難合戦をしたりしています。
やがて、あの世で弓矢の使い方を覚えたりして、お互いに殺し合うようになったりしますが、ここでも、殺しても殺しても相手が死なないため、”永遠”に相手を傷つけることを繰り返しています。これを、ほとほと嫌気がさすまで続けるのです。
さらに、この地獄の現代的な変形として病院が出てくることもあります。
昔は、鬼が出てきて、地獄の釜でグツグツ煮たり、鉄棒で叩き潰したり、釘を打ち込んだりすることが多かったのですが、現代では地獄も少し変わってきていて、阿修羅界のなかに病院のようなところがあるのです。そこに運び込まれて、集中治療室のようなところへ行くと、医者や看護師が出てきます。
医者はマスクをかけていますが、口が耳まで裂けています。患者は、「やめてくれ」と言って暴れますが、ベッドに縛りつけられ、解剖されて、殺されてしまいます。
阿修羅地獄では、残忍な殺され方を繰り返し何度も体験するようになります。なぜなら、その人の心の映像において、恐怖体験のみが展開しているからです。自分が恐れるものを引き寄せて、その映像ばかりを見るのです。
煩悩に身を焦がした人や、怒りの炎や嫉妬の炎で、人を焼き焦がした人、短気で、すぐにカッとくる人、何かを聞くと、すぐにカッときて、逆上し、見境がつかなくなる。そして、あとで我に返ったら、いったい自分は何をしていたのか、何のために怒っていたのかがわからない、このような人が行く地獄
火焔地獄(かえん・じごく)
阿修羅地獄で止まらず、「火焔地獄」というところまで堕ちて、毎日、炎に焼かれて、阿鼻叫喚の生活を送る人々もいます。
「自分は短気だからだ」と説明をつけているかもしれませんが、それは必ず反作用を受けるのです。怒りの炎が、その心が、他の人を傷つけ、また、自分自身の仏の子としての本質をも傷つけているのです。