人間で言うところの親子関係が、お寺の関係にもあります。
新規にお寺が開創されたときに住職となった初代住職が
それ以前に元々住職をしていたお寺は親のようなもので「本寺」と呼びます。
逆に本寺にとっては我が子のようなもので「末寺」と呼びます。
現在でもこの本末関係が実質的に機能しているところでは、
相互に協力しながら教化活動や法務に携わっています。
大龍寺が開かれたのは349年前の
寛文元年(西暦1661年)のことです。
ご開山さまと称される初代住職は大盛玄尊大和尚。
「たいせいげんそん だいおしょう」と読みます。
もとは増福山興因寺(現在の山梨県甲府市)の第17代住職で、
この興因寺が大龍寺の本寺という立場になります。
近江出身で甲斐へと移った猪飼家という旗本がおり、
その系属の猪飼半左衛門正景氏が大龍寺開創に尽力していますが、
興因寺とも実質的な交際が無く、詳しい経緯は詳らかではありません。
なお、興因寺の本寺は小田原の大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)で、
最乗寺からすると、大龍寺は「孫末」ということになります。
新規にお寺が開創されたときに住職となった初代住職が
それ以前に元々住職をしていたお寺は親のようなもので「本寺」と呼びます。
逆に本寺にとっては我が子のようなもので「末寺」と呼びます。
現在でもこの本末関係が実質的に機能しているところでは、
相互に協力しながら教化活動や法務に携わっています。
大龍寺が開かれたのは349年前の
寛文元年(西暦1661年)のことです。
ご開山さまと称される初代住職は大盛玄尊大和尚。
「たいせいげんそん だいおしょう」と読みます。
もとは増福山興因寺(現在の山梨県甲府市)の第17代住職で、
この興因寺が大龍寺の本寺という立場になります。
近江出身で甲斐へと移った猪飼家という旗本がおり、
その系属の猪飼半左衛門正景氏が大龍寺開創に尽力していますが、
興因寺とも実質的な交際が無く、詳しい経緯は詳らかではありません。
なお、興因寺の本寺は小田原の大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)で、
最乗寺からすると、大龍寺は「孫末」ということになります。