苦しまなくて、いいんだよ。 | |
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「苦しまなくて、いいんだよ。」の中のエピソード動画です。
"やんちゃな感情"をより成熟した良質な心へと成熟させるには?
動画のエピソード該当部分をご紹介します。
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P216
..."やんちゃな感情"をより成熟した良質な心へと変容させていくためには、植物を育てるときのことがヒントになると思います。
たとえば、フルーツの種(苗木)を植えるとしましょう。それが元気に育ち、たわわな果実を実らせるにはいったい何が必要でしょうか?肥沃な土壌、光、水、そしてできれば、私たち人間の心を込めた世話があればなおよしですね。これら果実の豊かな生育に必要な環境的要因、それは「縁」と呼んでもいいでしょう。これらの縁をそれぞれ心にあてはめれば、肥沃な土壌→受容、光→気づき、水→思いやり、人間の世話→理解、と対応させることができるのではないでしょうか。
すなわち、怒りであれ、欲であれ、慢心であれ、悲しみであれ、あるがままにまるごと受け入れられ、気づきの光が当てられ、思いやりによって潤いを与えられ、正しく理解されて、適切な対応が図られたとき、それらの未熟な心も確実に良質な心へと成熟していくことと思います。
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「苦しみ」も同じこと、と引き続き語られます。
まず、「苦しみ=私」ではないことに気づくこと。
そして、「苦しみを観る私」が「苦しみ」のあるがままを観察し、苦しみのありようやその生じる過程を理解していくこと。
ありのままを観察する、苦しみを理解していく、こうしたプロセスそのものが「智慧」となっていくということ。
こうしたことに、ひとつひとつ、コツコツと取り組んでいくこと。あきらめないこと。
自分には無理~と、なんだかがっかりしたら、ブッダのこんな言葉を思い出したりします。
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「友よ、あなたも善をなすことができる、どうして自分自身を蔑視されるか」
社会の中で多くの人は自分自身を、自分は能力がないと思って軽蔑し、意気阻喪して、善なることをすることができない。ブッダはこの仏語で注意されたのです。
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<仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会(ポー・オー・パユットー著) p43、より>
なんだか、元気になります
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