イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

56.死海写本のクムラン

2006年09月18日 | Weblog
「クムランは、ヨシュア記に『塩の町』として登場しています。紀元前130~30年頃、約2千人のエッセネ派の人々が共同体を作って、ここで時給自足の生活をしていました。エルサレムを離れて、この荒野に移った理由としてはですね、次の聖句が挙げられています。
呼ばわる者の声がする、
『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
もろもろの山と丘とは低くせられ、高低のある地は平になり、険しい所は平地となる。
こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。
これは主の口が語られたのである』(イザヤ40:3~5)

 1947年の夏にですね、この付近でベドウインの少年が、いなくなった羊を探しているうちに巻物を発見しました。これが『死海写本』と言われるもので、紀元前3~2世紀に筆写された『イザヤ書』や『詩篇』、『光の子と闇の子との戦い』、『創世記外典』などがあります。
 当時の旧約聖書の写本は、一番古いもので紀元10世紀の写本でしたが、クムラン(写真)で発見された死海写本は、今から2千年以上も前のもので、世界で一番古い写本だと言われています。
 クムランからマサダまで山の洞窟が300もあり、その中に約600の書物が残されていました。当時はですね、ローマの属州になっていまして、異教の民に大切なユダヤ教の正典を奪われるのを防ぐため、隠したのではないかと思われています」

「ふ~ん。それにしても、2千年という長い年月によく耐えてきたもんだな」
「そうなんです。そういう長い年月に耐えてきたのは、4つの理由によると言われています。まずですね、耐久性のある羊皮紙であったこと、乾いた気候であったこと、素焼きの壷に入れられたこと、特殊なインキを用いていたこと、この4つの条件によって、2千年という長い間守られてきた訳です」
「なるほどな」

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