日々是好日

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信州松代城の今

2016年08月27日 | 日記
 お盆期間の8/13~8/16信州長野に一家総出で行ってきました。

 長野といえば善光寺、数年前からその善光寺さんとの縁が出来ましたので、皆さんとの交流や、盆踊り大会やなんかに孫たち共々参加したりと、いろいろ盛りだくさんの毎日を過ごしてきました。日中は金沢と変わらず厳しい暑さですが、暑くて目の覚める金沢と違って、むしろ寒さを感じるくらいの長野の朝晩ですからぐっすりと眠ることができ、十分な休養を取ることが出来ました。
 
 14日はみんなと別行動で、かねてから訪れたかった松代のお城跡を散策してきました。
 松代は長野市ではありますが、JR長野駅からバスで30分程と、思っていたより遠く、途中、戦国武将中NO1に私が好きな上杉謙信と好敵手武田信玄との長年の合戦の舞台川中島を通ります。この川中島も寄る心づもりでしたが、その心を萎えさせるほどの暑さなので今回はカット、松代駅前でバスを降りました。 松代駅は、駅とは言うものの長野電鉄屋代線の廃線に伴い2012年に鉄路は無くなっています。ほんの4年前まで鉄道があった駅としては駅前の静けさは拍子抜けでした。明治になるまでは藩政の中心地、その駅前という趣は感じられません。
 もともと駅前が松代の町の中心ではないのかもしれませんが、それにしてもという感じです。鉄道が信州にも伸びていよいよという時に、松代の町はそこに鉄路を引くことに反対し、国鉄の路線は現在の長野駅の位置になり、結果的に街の発展という点では後れを取ってしまったと聞いていますが、世界的に見てもそういう所は結構多く、ほとんどの町がやはり停滞を余儀なくされてしまったということです。
 おかげで、現在、歴史の息吹く、落ち着いた松代の町を目にすることができるわけですから、私たちにとってはありがたいことではあります。松代のお城跡は、その駅のすぐ裏にあるのですが、はじめは気づかず、強烈な日差しのもと、町中を大回りして15分程でやっとのことでたどり着きました。少しでも日陰を求めて歩こうとするのですが、11時ころのことでお日様は真上、思いっきり日光浴を楽しみました。
 

 町中が落ち着いて見える、ひどい表現をすれば活気がないと感じたのは、単に暑すぎて、そんな時間に外へ出てくるような素っ頓狂な人がいなかっただけかもしれません。お盆休みの真っただ中でもありますし。でも、そんな中でもレンタル自転車で松代の町を観光しているらしい中年の男性から、大きな声で呼び止められ、象山記念館はどこですかと聞かれましたが、どこをどう見ても観光の人としか見えないいでたちの私に道を聞くなんてどんな人なんと、ちょっとおいおいという感じを受けました。そういえば、くだんの松代駅の旧駅舎はレンタル自転車の受付をやっていたことも、その時思い出し、この暑いさなかに利用する人なんているのかなと思ったのですが、いましたね。

 その象山記念館も予定していましたが、今回の旅のテーマは戦国期の海津城と真田氏の松代城ということに決め、象山の生きた幕末の松代は次回にしようと、あまりの暑さの中でとっさに判断しました。
 
 建物遺構としては再建された太鼓門と北不明門、あとは本丸跡とそこを囲む石垣群とその周りの堀の一部しか残っていませんが、それなりに整備されていてなかなかに見ごたえがありました。
 西に南北に流れていたという千曲川は、大分流路が変わっていてまったく見えませんでしたが、海津城跡とある石碑の横を通って本丸跡の石垣に上がると、城より西方の連山の一番右端に見えるのが謙信が陣を張った妻女山らしいのですが目を凝らさないとわからないくらいでした。逆にあの山からだと、この海津城での炊飯の煙がよく見えるのか、どうなんだろうとも思いました。ともかく謙信がその煙を見て山を下り、先ほど通過してきた川中島での大合戦が始まったわけで、まさに戦国を代表する地に立っていたわけですが、謙信ファンの私にとっては妻女山は聖地にも等しいはずなのに、それほどの興奮はありませんでした。

 450年も前の話だし、今立っている城はどう見たって江戸期のものだし、それよりなによりめっちゃ暑くて頭がまともに回転しなかったのです。真夏の旅に感動はついてこない、少なくとも青年期をはるかに超えてしまった身には、季節を選ばなくてはと思った次第です。今訪れることができる松代城は、そういうわけで戦国期のものではなく、やはり2016NHK大河ドラマ「真田丸」の真田昌幸の長男・信幸が、大阪城落城すなわち弟信繁の死後に、上田城から移って整備した江戸期の城です。
 そういう歴史の目で見れば、また違った感動があるのではと思います。もちろん真夏の時期を避ければ、特にこれからの紅葉の時期にでも訪れると、周囲には自然があふれ、なかなかに趣深い感動があると思います。

ラグビー観戦(同志社ー慶応)

2016年06月13日 | 日記
 6/12は第99回目という国内最古の大学ラグビー定期戦・同志社対慶応を観戦というか応援に金沢市西部緑地公園陸上競技場に行ってきました。
 我が母校同志社大学のラグビー部は、関西の強豪・古豪と必ず枕詞のつく、大学選手権3連覇を含む4回の優勝を誇る文字通りの強豪なのです。ところがここのところ、30年ばかしは決勝への進出もかなわぬ、それどころか関西リーグにおいても入れ替え戦まで経験するという、強豪だったという言われ方までされても甘んじて受けねばならない状況に陥っておりました。練習に取り組む姿勢が甘いのではといった批判も時々耳にしていました。
 しかししかし、そんな部外者の無責任な声を跳ね返して昨年は8年ぶりに関西リーグ優勝を勝ち取ってくれました。毎年どんなに前評判が芳しくなくても、春の定期戦などで関東強豪校に信じられない点差で大敗しようと、関西はもちろん全国大学選手権でも優勝してくれるのではという期待を持ち続けてきました私にも、ひさしぶりに感動をもたらせてくれました。
 慶応大学に素晴らしいラグビーで快勝した昨季の大学選手権は、さらに期待が膨らみましたが、残念ながらあと一歩のところで準決勝進出はならず、あとは今年以降に持ち越しとなっていました。そして今年春シーズン、明治にはほんのすこし届きませんでしたが早稲田、釜石を大差で撃破、まさか我が金沢で組まれるなんて思いもしなかった対慶応定期戦です。どんなラグビーを見せてくれて、そして勝ってくれるのか、期待に胸をふくらませて30度を超えるというなか競技場に行ってきました。
 結果は22-28で敗戦。残念ではありましたが失望はありません。すごく意欲的にやりたいことに取り組んで練習しているのが伝わってくる戦いぶりでした。トライ数は4個の同数、コンバージョンキックが慶応はすべて成功、同志社は1個のみ。その差で負けましたが、慶応の4個はすべてど真ん中、同志社はすべて両端、入れば御の字の場所でした。このことから私はむしろ同志社のは戦術的に獲ったトライのように、慶応の得点には偶発性を感じました。
 FWも負けていたし、もっと大差での敗戦もあったという論調の多かったネットの書き込には、いったいどういう風に見たらそう見えるのか不思議です。FW戦もむしろ勝っていたと私には見えました。今は失敗を恐れず完成目指して挑戦し続けている最中で、選手たちは結構戦い方に自信を持っているのではと思いました。秋にはきっと逆転していると確信しています。
 やって楽しく、見て楽しく、そして勝つ!が同志社の目指すラグビーと聞いていますが、本日は私には、本当に「見て楽しいラグビー」でした。
同志社ラグビー部の皆様、秋には、楽しくやって、そして勝ってください。期待しています。

 

春爛漫

2016年04月23日 | 日記
 金沢の櫻は、気象台発表で4/4満開となりました。それに2日早い4/2、あまりの青空に誘われて午後4時犀川ベリに出かけました。4月ともなると4時と言えどもまだ明るく、写真にはいい感じの光線が降り注ぎ、腕には関係なく見事な桜を撮ることが出来たと自負しております。
 土曜日で、満開の桜、青空無風とあって川べりには老若男女・大勢の市民が繰り出しており、その上にいまだに続く新幹線効果によるたくさんの観光客も加わり、まるで繁華街の様相を呈しておりました。地盤沈下の激しい最近の繁華街より賑わっているようにさえ見えましたが、そういえば、金沢最大の繁華街香林坊で、「金沢の繁華街ってどこですか」と観光客に聞かれて、「ここですけど」と答えたと娘から最近聞かされた笑えない話を思い出しました。それはともかくとして、普通に想像される繁華街並みの賑わいを見て、お花見はこうでなくっちゃと、日ごろは、人混みには苦い顔つきしか向けない私も、何か心が沸き立つような感覚がありました。櫻っと来たなら、穏やかではおられない、つい浮き浮きした気分になる、そんなごくごく普通の日本人の一人である私も、ようやく、暗くて寒い冬から解放されて訪れた春を、この日は2時間かけて満喫してきました。
 まだまだ明るい6時に帰宅しましたが、2時間ぶっ続けで歩くとさすがに相当にくたびれましたが、体力の維持のためにも、健康のためにも体を動かさなければということを意識してやらなければならない年齢に入ってきましたので、そのためにもいい時間を過ごしました。

 

 
 何にでも理屈をつけなければ動けない語れない、「老い」という、考えたくない触れたくない言葉が浮かんでしまうお花見と、その総括でした。


白山遠望

2016年03月21日 | 日記
 3/21の金沢は気持ちよく晴れ渡り、春近しを思わせました。
 家にこもっている場合ではないと所用を終えた夕方4時、カメラを携えて家を出ました。犀川縁の散歩のつもりだったのですが、思いの他に風はまだ冷たく時間も遅いし、それより何より、医王山方面の山々の姿がいつも以上にくっきりとすぐ近くに明瞭に見えているので、眺望の良いところということで卯辰山まで車で出かけることにしました。
 思った通りで、いや期待以上に、今までで一番といっても過言ではないくらいの山々の姿でした。何しろ白山まで拝むことが出来たのですから。
 何度も通っている展望台から白山が見えるなんて全く知りませんでした。なるほど案内板には白山の文字があるのを今日確認しましたが、といっても文字だけで白山の姿は案内板には写っていないのですから、いまだかつてその方向に白山らしき姿など見たことがなかったし、見えるなんて期待したこともなかったのは自然な流れといって差支えないはずです。しかしながら、今日は確実に、一段高いところに真っ白い白山が鮮明に顔を出していました。
 やっぱりお天気に誘われてこの展望台まで足を運んでこられたという、傍におられた、詳しそうな年配の方に確認しましたが、間違いないということでした。日本200名山を制覇したといってましたからほんとに間違いないはずです。というより、何より他の山々を従えて盟主ぜんとした眺めですから、やっぱり間違いないです。
 お隣の立山を眺めて大友家持は何首も歌を詠んでいるそうですが、私も白山で一首詠みたいところだったのですが、何のセンテンス(?)も浮かびません。歌を詠めるのが立身出世の必須条件のひとつという奈良の都の時代にあったとしても、私の場合はやはり名をあげることなどかなわなかったわけで、結局、昔も今も私自身の境遇は大して変わらないのかーと変に納得させられた一瞬でありました。
 帰宅してから、パソコンに取り込んだ、望遠で撮った画像を拡大して確認しましたが、今まであちこちで眺めてきた白山の姿がそこにはありました。雪のない黒い部分が目立つ周囲の山の中にあって、ひとり真っ白い姿が際立っておりました。冬の空気は澄んでいるといいますが、本当に今日はそんな日だったのだと思います。

画像中ほどの白い峰々(見越山、高三郎山、奈良岳、大笠山など)が途切れた右側の黒が目立つ山の後方にちょっぴり白い頭を出しているのが白山です。2枚目の画像はその望遠画像です。1枚目の画像では右端奥に見えています。
 
 市民憩いの卯辰山はお天気が良いとはいえ、まだまだ冬ですので人出はほとんどありませんでしたが、あと10日もすれば桜が満開で賑わうはずです。今や遅しと桜の木には蕾が鈴なりでした。


大寒波襲来の後

2016年01月27日 | 日記
 とうとう雪が金沢にもきました。沖縄にまで降ったのですから当然と言えば当然ですが、最近の冬はその雪が金沢では当然ではなくなっています。あまりにも降らないので、娘は車のタイヤを冬用スタッドレスに履き替えずに今年の冬を乗り切ろうと目論でいたくらいです。なにしろガソリンスタンドで1回交換すると4000円かかるんです。冬替えると春またノーマルタイヤに戻さねばならず、また4000円。ということで今年はこのまま行けるところまで行き、うまくいけば春にたどり着けるのではという計算でした。ところがこの大寒波。
 朝になって車が出せず、私自身がやっとの思いで自分で交換していた私の車で出勤となりました。おかげで私は車なし、どこへいくにも雪のなか歩きになりましたが、日ごろの運動不足を歩いて解消しようと務めはじめた身には有難いです。くそっ!

 ところがところが、26日には24,25日の暴風雪が嘘のように晴れ上がりました。折よく午前中の仕事がなくなりましたので、ご近所の兼六園・金沢城公園に雪見としゃれ込みました。もちろん歩いて行きましたよ。雪でじっと家の中に閉じ込められて毎日を過ごし、ようやく訪れた春に満を持して外に出るといった雪国の冬を、三日間で体験するがごとくで、とても家の中でパソコンに向かっている場合ではありませんでした。掲載しました写真にありますように全くの青空、風もなく絶好のお散歩日和、休日でもありませんので観光客もまばらで、思う存分に撮った写真が300枚。選りすぐりの3枚をアップしました。

 公園もお城も白銀に輝いていました。足元の雪はまだまだ深かったのですが、朝から晴れ上がりましたので樹上の雪はほとんど消えており、兼六園を代表する景観の雪吊も雪のない姿でしたが、青空を背景にくっきりと浮かび上がってそれはそれで見応えがありました。石垣の博物館といわれているお城の石垣に雪が張り付き、海鼠(なまこ)塀の黒さと白壁の文字通りの白、空の澄み渡った青、対照の妙とでもいうのかとにかく一冬に一度あるかないかの光景を満喫しました。
 今回も外国人観光客の姿、特にアジア系、言葉から察するに中国・台湾の人たちを多く見かけました。北陸新幹線開業以来金沢の町は大いに賑わっていますが、国の内外を問わず本当に色々な処から観光に来られています。飲食店の賑わいも半端ではなく、和食のお店など常連さんが断られるという話もよく聞きますし、現に今年の我が町会の新年会もお店の確保に難渋したというくらいです。

 
 夕食時、幻の名酒ともいわる越乃寒梅、わが家では本当に幻なのですが、その焼酎をいただきました。私たちの加賀の国にも美味しい名酒は多いのですが、焼酎はあまり聞きません。十年古酒乙焼酎が正確な名称ですが、10年熟成のアルコール度数43度、極めて僅かな量で長期貯蔵しているため、極限定商品となっているというその本当に貴重なお酒を、温い燗で、これまた贅沢にも冬の日本海のお魚を肴に味わいました。
 そんなにお酒の味がわかるということもないのですが、辛口の中にもほんのり甘さを感じ、くせもなく滑らかな口当たりなのでひとりでに杯を重ねてしまいます。女房にそんなに一気に飲むのはもったいないといわれて、我に返って杯を置きましたが、本当に美味しい。
 
 午後からの一仕事を終えた後の、これまた至福の時でありました。