日々是好日

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2016年 迎春

2016年01月06日 | 日記
 2016年が幕をあけました。金沢は雪もなく、おおむね好天に恵まれ、気温も暖かく過ごしやすいお正月3が日となりました。
 北極の氷は確かに減少しているが、逆に南極の氷は増加しているという報告も聞きますし、実際は本当に地球は温暖化しているのかとも思うのですが、今年だけではなく、ここ最近の金沢の冬を暮らす身としては、38豪雪や56豪雪が懐かしく思われるくらいに地球温暖化を実感する冬が当たり前になりました。
 3日には氏神様の椿原天満宮に初詣、椿原さんは、宮司さんのお話では、意識的に椿の木を多く、しかもいろいろな種類を植樹し、その結果椿原さんと呼ばれるくらいになったのだそうですが、確かに椿が見事です。天神さんとくれば普通は梅ですが、私たちの氏神様の天神さまは椿です。お話を伺うまでは梅か椿かなんて全く頭になかったのですが(もちろん意識すれば区別はつきますよ)、今年も参道の石段のわきの椿の木々を目で「ああ確かに椿だな」と確認して、半ば義務化したようなきらいもある初詣を済ませました。出かけるまでは億劫ですが、さすがに神様を前にすると敬虔な気分が高揚し、家内安全・商売繁盛をしっかりと祈願させていただきました。
 困った時の神様仏様が日本人の大多数だといわれますが、それを宗教心がないだの、不謹慎だのというのはちょっと違うのではと私は思います。心の根底では十分な宗教心を持ちあわせているのですが、それを発露する方法論が違うだけだと思います。現代の世界情勢の混迷は、そのほとんどが宗教がらみ、他の宗教に対する寛容の心がないことがその原因となっていますが、日本人は歴史的にも他宗教に対する寛容心が養われてきたというところはむしろ評価されていいのではとさえ思います。最近ではそれが怪しくなっている事件が、この日本で次々に起こりますので、一概に言えなくなってきてはおりますが。

 お天気に誘われて、天神さんでの初詣の後は、金沢の郊外の海辺・内灘の浜にお正月の日本海は「どんなんかな」(関西人はわかりますよね、笑福亭仁鶴師匠のギャグでんがな)と思って出かけました。お天気はいいのですが、意外にも波が高く、岸壁に次々に打ちつけては波しぶきをあげておりました。北斎の有名な『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)程ではありませんが結構な荒波が沖の方から次々に押し寄せる光景は、やっぱり冬の日本海はこうじゃなくっちゃという感じでした。この荒い海が美味しい魚、特に今の時期は鰤(ブリ)を育てるのですから有難いことです。
 ところが今年は、そのブリが極端に不漁で近江町市場にもほとんど並ばず、北陸新幹線効果で例年の2倍以上となっている観光客を嘆かせているとテレビで言っていましたが、うちではなんとかお正月の食卓に並びました。本当に有難いことです。
 2016年はいい年でありますように。

初詣はどこに

2016年01月06日 | 日記
氏神様の金沢・椿原天満宮
孫たちのお宮参りも、私の厄払いもすべて椿原さん。今年1年の無事をお祈りするのもやっぱり氏神様でしょう。

好きな映画は

2016年01月06日 | 日記
第3の男
終戦直後のウィーン、光と影、オーソンウェルズのハリーライムの魅力(悪人なのに)、ヒロイン・アリダヴァリの最後の中央墓地の並木道でのまっすぐ前だけ見て歩く姿の凛々しくも哀しい姿、ピエロを演じることになるマーティンス、原作ではこの二人が結ばれるらしいが、よくぞ監督のキャロル・リードはそんな安物のアメリカ映画のようなハッピーエンドにしなかったものです。拍手。そして、肝心のアントンカラスのチター、「第3の男」しかり「カフェ・モーツアルト・ワルツ」しかり。10回以上見ています。もう頭の中をカラスのチターが流れています。
全てが素晴らしい!

その3 琳派、京を彩る

2015年11月27日 | 日記
琳派誕生400年記念展
 智積院をでたのは午後3時半。朝8時過ぎに金沢を出てここまでで相当に疲労がたまっていました。あとは京都国立博物館の琳派誕生400年記念展です。初めに京都に行こうと思った時には、こんな展覧会もやってるのなら、時間があれば寄ってみようくらいの、あくまで智積院の等伯が目的でした。
 宗達・光琳・抱一の風神雷神図のそろい踏みしかり、琳派の作品がこんなに一堂に揃う機会なんてもうないかもくらいの規模ということを教えていただいて、これはもう絶対見なきゃとなりました。

 智積院と国立博物館の裏手とは道路を挟んで相対している位置にありますので歩いて博物館に向かいます。三十三間堂ももう一つの反対側にありますので、この界隈は人であふれていました。
 今年はもう一つ二つということらしいですが、色彩豊かな紅葉にめぐまれ、1000年の歴史を持つ神社仏閣がそこらに存在し、荘重な建物・広い構内を誇る、そのうえ新館まで増築された国立博物館で見逃せない展覧会まで開かれる、なんて京都の人は贅沢なんだ。
 でも、お魚は金沢の方がおいしいよなんて対抗しても仕方がないですよね。私の金沢もいいけど京都は本当にいいよなー。

 入館するのに5時間待ちという日もあったと聞いてある程度の待ち時間は覚悟していましたが、人が多い割には案に相違してすんなりと入ることが出来ました。ところが、鑑賞するのに長い列。下絵が宗達、書が光悦という「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」など、13メートルを超える大作の13メートル全面で列が動きません。こういう機会はもうないかもしれないしすぐ目の前で見なくてはと大分頑張って列に並んでいたのですが、しびれを切らして並ぶのはあきらめ、ところどころ列の切れ間から鑑賞することになりました。宗達と抱一の風神雷神図をはじめ他の絵もどこが空いているということなく全て列が動かず、同様な鑑賞になりました。疲れている私には膨大な数の琳派の絵をすべて見終わるまでに3回の休憩が必要でした。
 琳派の絵は私の眼には現代デザインに通じるデザイン画という印象です。先ほど見てきた等伯や狩野派とはっきり違います。等伯の長谷川派と狩野派の激しい対立は知られていますが、等伯や狩野探幽と宗達とはほぼ同時代に生きていたにも拘らず、その間の軋轢のようなものは伝わっていないように思います。私が知らないだけかもしれませんが。傾向が違うので棲み分けが出来ていたのかもしれないですね。
 超有名作「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」がなかったのは、次の機会に見なさいということでしょうか。
 すべて見終わったときは、いいものを見たという満足感とともに、本日一日計画をすべて完遂出来たという満足感もあり、朝からずーっと歩きづめの疲労もむしろ心地よく感じるほどでした。

 5時半に博物館を出て三十三間堂前バス停に並び、あとはバスに乗るだけだったのですが、京都駅行バスは全て満員で乗せてくれません。タクシーも空車は通りません。バス停の皆さんは仕方なく歩きはじめ、私の心地よい疲労感は吹っ飛び、なんとか方法はないかとあせりまくりましたが、どうすることも他に方法がないので私も歩きました。紅葉と絵画、自然と人工の美を満喫した高揚感を覚ますのに程よい運動と捉えたいところですが、疲れは半端でなくようようやっとの思いで京都駅に6時ころに辿り着きました。京都タワーがいい目印になっていました。
 京都駅6時40分発のサンダーバードの指定席ですので、食事をとる余裕はありません。駅弁でもと探すのですが見つからず、もうしょうがないと、ごった返しているコンビニで残り少ない弁当をようやくにして買ってホームに入りますと、なんとホームの中に駅弁売り場があるのです。京料理のおいしそうなカラフルな弁当が並んでいました。そうだった、京都駅はそうだったなと思い出しましたが後の祭り、見ないようにしてベンチで列車を待ちました。
 列車に乗りこんですぐにコンビニのとんかつ弁当430円を広げました。疲れ切ってはいましたが、ここまでくれば一安心、充実した一日のあれこれを思い出しながら食べたお弁当は、結構美味しかった。

 やっぱり京都はいいなーと満足して金沢に帰りました。

京を彩る  その2等伯への旅

2015年11月24日 | 日記
東山通りの泉涌寺前バス停までもどって208系統のバスに乗り智積院に到着です。これを書いていて思い出しましたが、降車のために両替していると、バスの運転手さんが「早く早く」と怒気を含んだ声で急がすのです。渋滞で気が立っているのはわかりますが、せっかく楽しく観光している客に向かってその態度は何なんだ、スムーズにやってたじゃないかと今言い返しておきます.

 智積院は主な観光コースからはずれているせいか、京都が一番混雑するこの季節でもすいていました。拝観受付のすぐわきの収蔵庫に入室すると、長谷川等伯・久蔵親子を初めとする一門が描いたという「松に黄蜀葵図」、「桜図」、「楓図」、「松に秋草図」などの障壁画が襖に描かれたその状態で目にに飛び込んできます。幹や枝の激しい動き、紅葉や桜の写実性、空や池の抽象性、全体の構成といった面では圧倒されるものがありました。秀吉・千利休・狩野永徳といった史上の大物が絵の背景に存在することからくる迫力も感じました。ただ、いずれも桃山時代を代表する障壁画で金地に極彩色で描かれているはずですが、全体的に色彩に乏しく、私にはよく言われる豪華絢爛さという面はあまり感じられませんでした。作品の劣化を防ぐためや、当時の雰囲気をもたせるために照明を落としている部屋の薄暗さも影響していたと思います。
 私が入室した際の先客は4人のみ、1人は欧米系の50歳代くらいの外国人で、ゆっくりと時間をかけて鑑賞した私が退室した後も残っていました。日本の歴史には日本人ほど詳しくないはずですから、作品そのものに興味を惹かれていたのだと思いますが、郷土の先輩をちょっと誇らしく思いました。

 収蔵庫を出まして拝観券がセットになっている名勝庭園に向かいました。智積院に対する私の知識は等伯の障壁画どまりでしたので、目的を達した虚脱状態で、お寺さんには申し訳ないのですが、あとはついでのような気がしていました。ところが、やはり紅葉の色合いがもう一つの利休好みという庭園よりも、講堂の襖絵に目が点になりました。それは、先ほどの「桜図」、「楓図」のレプリカなのです。その鮮やかさに驚嘆させられました。金色ピカピカということももちろんあるでしょうが、楓や桜やその他描かれている対象の赤や緑や桜色等々、本物に私が感じられなかった豪華絢爛さがこれでもかというくらいに迫って来るのです。当時の人が度肝を抜かれたというのは本当に納得です。400年の時を経た本物の古色蒼然さを見た後これを見て、表と裏、完全な作品を目にしたという満足感でいっぱいでした。
 やっぱり京都に来てよかったとしみじみ思いました。

 上野の東京国立博物館の「松林図屏風」も七尾の美術館の企画展で見ましたし、等伯のもともとの出発点の仏画も七尾のお寺で何点か見せてもらったことがあります。襖に描かれた桐の文様を雪に見立てて一気に描き上げたという高台寺・圓徳院に現存する「水墨山水図」も見ました。等伯の世界をかなり目にしたことになりますが、ますます関心が深まりました。本法寺や大徳寺、妙心院にまだまだ見たい作品がありますのでまた京都に行くことになります。

 帰ってから、あの講堂には、現代日本画壇の第一人者田渕俊夫画伯の60点に及ぶ襖絵も奉納されていたことを知りましたが、現地ではわかりませんでした。写真で見るとこれも素晴らしい、でも後の祭りです。智積院にも足を運ぶことになりそうです。
(その3へ つづく)