⚫穢れた水仙婆一派(今日)
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馬鹿も一心の嘘を暴きます!
水仙の嘘を暴きます!
本日二本目です。
どのカテゴリーに入れようか...
とても悩みましたが、ここにしました。
夕食を食べながら何となく見ていた番組...
その中でとあるジャーナリスト(でいいのかな?)が「コタツ記事」という言葉を使っていました。
その方は、
こたつに入って、テレビを見ながら思ったことを書いたような記事
と説明していました。
若者をターゲットにした分かりやすく説明する番組だったので、そのような分かりやすい説明をしたと思うのですが...
その話を聞いて爺は思いました。
ネットにはこたつ記事どころか、間違った記事もたくさんあります。
本人の意思ひとつで、ある事象を全く違う事象に書き変えても、それに気付かない人も多くいます。
そして、そのような内容に敏感な人が多いと、事象について書いた人の情報は炎上します。
それは、映像コンテンツでも、ブログのような文字ベースのコンテンツでも同じです。
こたつ記事のほとんどは、何も掘り下げることなく書かれています。
思ったことをそのまま書けばいい...
という意味ではうらやましくもありますが、爺はいつもバックボーンのある記事を書きたいと思っています。
たとえ、おバカでフフフと笑ってしまう内容でも...
2時間以上かけて書きます。
その割に誤字脱字が多いことお詫びしますm(_ _)m
感情に流されて記事を書くのはとても楽です。
しかし、そのような形で綴られた言葉は、こたつ記事でしかありません。
自分のために自分のことを書くのであれば、こたつ記事でもいいのですが...
他者について書くのであれば、そこにはジャーナリズムが生じます。
そして、ジャーナリズムが生じるのであれば...
同じことをただ繰り返し叫んでいては、周りから不信感が生まれ、身を滅ぼすことでしょう。
false information(嘘の情報)などは論外です。
書いてあることの真偽はそこには書かれていません。
それを気付かずに読む人もいます。
考えながら読み...
そして信じる方もいます。
逆に
考えながら読み...
異論を唱える人もいます。
どのような反応があるかは分かりませんが...
最大の要因は、こたつ記事であることです。
書き手は、理屈が通らないもの以外、否定する権利はありません。
そんなことを考えた爺でした。
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