⚫穢れた水仙婆一派(今日)
まだ読んでいない方は、こちらをどうぞ!
馬鹿も一心の嘘を暴きます!
水仙の嘘を暴きます!
UB...
今朝も不満大爆発させていますね。
先日の記事で終わりと話していませんでしたっけ?
しかも、爺の誹謗中傷でブログのリンクが出来ない人が増えたとか...
これは過去に何度も触れているので、今回はスルーします。
問題は、
コメント欄が無い記事は、記事の幸せのためにも無断でリンクさせてもらう。
という発言です。
そもそも、無断で他人の記事にリンクを貼ることが、社会的にルール違反です。
UBの記事は、間違いを正さなければ、こちらが泣き寝入りになるので勝手に転載していますが...
そんな爺ですら、記事やコメントの転載は必ず了解を頂いています。
まして、コメント欄がない方は、無い理由がある方です。
触れられたくないことがあるから閉じていると思いますし、それが一番分かるのはUB本人ではないでしょうか?
無断でリンクを貼ることに正当性を訴えても、納得する方はいないでしょうし、同意する方も皆無だと思います。
社会のルールを完全無視して、オリジナルを貫き通す神経が理解出来ません。
しかも、何かトラブルがあったみたいですが、トラブルの話より、爺に対する誹謗中傷の方が圧倒的に多いという困った状況です。
1ヶ月くらい前に
kogetagaku様へ
というタイトルで、
これで終わりにします
と書き...
ほんの先日、改定を繰り返して、内容がコロコロ変わった記事でも、爺に対して
それではさようなら
と書いています。
にも関わらず、この仕打ちって...
だから、誰もが離れていくのです。
とお伝えしたいですが、もう読まないという話ですね。
自分の発信した言葉や、仲間に発信させた言葉に責任が持てないUBを未だに信頼している方の気が知れません。
それ以上の手のひら返しも書かれていました。
UBは過去に何度も話しています。
自分の記事は、備忘録のために書いている。
気に入らない人は読みに来ないで。
と。
しかし、今回は
ブロガーの渾身の力を傾けて書いたものを読んでいただくことはブロガー冥利でないかと思うからです。
中略
コメント欄がなければ、記事の幸せのために了解なしでリンクさせていただくこともあります。
だそうです。
なんでしょうね?
読むなと言ったり、読んでもらうことがブロガー冥利だと言ったり...
記事の幸せ...
理解不能です。
読んでもらうことがブロガー冥利だと言うなら、
IDを持たない人は読むな
IDの無い人はコメントするな
コメントで否定をするな
(卑猥なコメントは別ですが、爺は否定するコメントは悪意ではないと思います)
という、ブログの基本概念を無視したオリジナルルールを作らないで、正々堂々コメント欄を開けばいいのに...と思う次第です。
記事の幸せなんて、UBの勝手な発言でしか無いと思うのは私だけでしょうか?
記事の幸せではなく、コメント欄が無いことに対する配慮を最優先に考えるべきだと思うのですが...間違っていますか?
そこに書き込まれるコメントは、本人がどう言おうが周りの評価なので、甘んじて受けるべきだと思います。
爺は、余程トンチンカンなコメントで無ければおざなりの返事は書きません。
否定されるコメントにも、きちんと返事を書いています。
その上で、トンチンカンな発言をされた時のみ、おざなりの返事を書くようにしています。
それは過去にコメントを下さった皆様やコメントのやり取りまで読んで下さっている方ならご理解頂けるかと思います。
一点、コメント欄を開けると卑猥なコメントが入るということは、良くないと思いますし、気の毒だと思いますが...
それ以外の問題は「身から出た錆」だということが、どうして理解出来ないのかが不思議でならないです。
そして、自身の発信した言葉に責任を持ってもらいたいものです。
何度、手のひらを返せば気がすむのでしょう???
そして...
読まないと話したUBにためになる知識を書きたいと思います。
ブログにアップした記事は、アップした時点で公の文章になり、記事をクローズさせない限り、誰でも自由に読むことが出来ると再三話しましたが、全く通じずに、
Unknownや通りすがりはコメントを書くな。
気に入らないのなら読むな。
と声高に繰り返しています。
しょうがないので、もう少しためになる話を書いて締めくくります。
blogの意味を分かってUBは発言していますか?
blogは「Web log」の略で、「log」元々コンピュータの利用記録が語源となる記録という意味です。
blogとは、本来ネットに記録する事を指します。
それが日記形式で記録できるという特徴があったので、現在のブログの形になりました。
しかし、blogは日記として使う方が多くいますが、日記ではありません。
ホームページのひとつというのが正しい意味です。
昔はホームページをゼロから苦労して作っていました。
爺もインターネットが国内に入ったばかりの頃、遊びで試行錯誤しながらホームページを作ったことがありますが、当時はホームページを作るには手間と時間が必要でした。
しかし、blogという概念が出来たおかげで、誰もが簡単にホームページが作れるようになったのです。
爺のblogは、ホームページの概念を未だに残しています。
それは、メニュー画面やサブメニュー事に記事の行き来を簡単に出来る機能を付けているという点です。
そんなことをしなくてもいいのですが、ホームページで大切なのは読みやすさと情報へのアクセスのしやすさなので、手間ではありますが、コツコツメニュー等を作っています。
そして大切なことがもうひとつ。
「Web(ネット)」という重要な言葉が冠に付いています。
これの意味することは、ネット上にあるので、誰もが読むことが出来るものということです。
その本質を勝手な解釈でねじ曲げても、blogのルールから反していますので、意味の無い発言にしかならないことを、胸に深く刻んで欲しいと思います。
そして、気に入らない人に読まれたくないなら、blogの公開設定を自分のみにするか、書かないこと。これしか方法が無いことを再認識して下さい。
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