LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

ラールキラー

1998年01月16日 | パキスタン・インド日記
1月16日 (金) デリー (HARE RAMA GUEST HOUSE)

最悪の夜だった。喉の気管がふさがっている感じで激痛がはしる。イスラエリのバカどもは一晩中うるさかった。9時半ベッドから起きて薬を飲もうとしたがどれが風邪の薬か分からないのでそれらしいのを選んでとりあえず4粒放り込んだ。インドの病院、行くべきか?

11時オートリクシャーに乗ってパキスタン大使館へ(30rs)。11:15着。昨日12時にこいと言われていたのだが早く着いてしまったので、係官の機嫌を損なわないよう「ナマステー」と笑顔で迫りすかさずパスポートをもらった。バスでコンノートまで戻り写真をP/UP、糸屑が写し込まれていていい出来ではない。

鉄道のタイムテーブル(20rs)を買ってメインバザールへ。バナナ(8rs)を栄養の為と、パキスタンの寒さ対策にセーター(100rs)を買った。すごく込んでいると言われているニューデリー駅の2階の外人専用オフィスへ行ったがガラガラだった。朝発はスリーパーが無いと言われたので夜9時5分発に変更。ここに行く前、大使館の帰りにノーザントレインリザベーションセンターを覗いてみたが、バッグにカメラがあるからと追い出された。

3人でリクシャーに乗りラールキラー(デリー城)へ。途中登り坂がありさすがのリキシャマンも重過ぎたようで自転車から下りて押したりして苦しそうな姿に少し心が痛んだ。(チップや廊下と思った)が25rs渡してさっさとバイバイした。さてラールキラーであるが外観はともかく内側は店があるほか特筆すべきものは無し。歩き疲れただけ。

ラールキラーから重い足を引きずって20分、ジャマーマスジッド(モスク)へ。付近はすごい人出でこじきも沢山迎えてくれた。内部はこれまた特筆すべきもの無し。

オールドデリーの繁華街を歩く。今、モスリムはラマダン中で太陽が沈むのを待つ人が食い物屋の前で座って待っていた。それはお預けを食らっている犬のようであった。リクシャはちょっとむごいのでオートリクシャーで宿まで戻ってきた。夕食の後実家に電話すると送ってもらっているはずのフィルムがまだ着いていないとのこと。心配になって田場さんに電話すると水曜日にゆうパックで送ってくれたとのこと。さんざん金を使わないようにケチっているつもりでも国際電話をかけて大金払わされるとけちけちしていることがアホらしくなってくる。

薬とりあえず3回飲んだが、それが風邪薬なのかどうかもわからず効いている様子も無い。また恐ろしい眠れない夜になるのか、今夜も。