LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

パキスタン最後の夜

1998年01月29日 | パキスタン・インド日記
1月29日 (木) ラホール (YWCA)

朝7時祐司君に起こしてもらう。
7:45AMオートリクシャーに3人で乗りバードシャヒーモスクへ。なんとなく嫌な予感はしていたのだが、目的としていた集団礼拝は明日の朝だとのこと。この集団礼拝、ラマダン明けの朝10数万人もの人がここラホールにあるアジア最大のモスクに集まって祈りを捧げるもので、たまたまピンディーの宿においてあった雑誌NATIONAL GEOGRAPHICに写真が載っていたのを読んでいた。

それを中根さんはどうしても見てみたいと思っていたらしく、この日の為にラホールに下りてきたのだ。私も圧倒的な写真を見てその場を見られるのなら、と中根さんの申し出に乗った形になった。とにかく明日だということが分かったのですごすごと昨日歩いた道を歩いてYWCAに戻ってきた。

9時頃バザールはまだ開いてなく閑散としていた。YWCAからちょっと南に行った所に食事(チャイ3rs、サンドイッチ12rs)が出来る所を発見。まだラマダン中だというのに不良モスリムが一杯いた。食っていいのか?と聞くと、ここだけはいいのだ、とチャイをすすりたばこを吹かしていた。何なんだ、こいつらは!

そういえばフンザの雑貨屋の親父、アリアバードのバス停前のレストランでもたくさんの奴等が物を口に運んでいた。まあフンザの人たちは人種的にも土地的にもちょっと違うだろうから、と思っていたがラホールの人間もこの調子だとは。ラマダンはエジプトに続いて2度目だがいまだ良く分からず。何事にも例外があるのだろう。たばこを売っている所でハイライトスーパーマイルド赤パッケージ(15rs)発見。見慣れた青パッケージもあった。日本製の(多分)未発売のたばこがこんなに安く売られているのは驚きである。味もうまい。いつもおいしく吸っていたパキ製タバコ「K2」もなかなかいけるが。

今日から4日間パキはEID HOLIDAYという休みに入るらしい。イギリス人曰く「国境は閉まるんじゃないのか?」そんなあほな話しはないと思いながらも心配ではあるのでツーリストインフォメーションへ。そこは閉まっていたが近くにいたおっさんが「開いてる」というのであいているのだろう。

その後またバザールをうろつく。車、特にリクシャーから出る排気ガスと砂埃で空気の汚さといったらない。太陽も霞んで見える。電話局のような所から実家に久々に電話(1分60rs)。親がいなかったのでフィルムがついたかどうかいまだ分からず。

午後5時ごろ歩き疲れてYWCAに戻りベッドに横になってるとあっという間に気を失った。その間にあごと首を蚊に刺された。途中祐司君が買っていたパキ&世界地図付1998DIARY(約90rs)を私も欲しいと思ったがこれまた荷物になるのが嫌でまた諦めた。途中で別れた中根さんが戻ってくるのを待ってからまたまたPIZZA HUTへ。メニューは全く昨日と同じ物。7時頃行ったので店内はガラガラであった。

おめでとう。本日5:35pmとうとうラマダンの全日程終了。皆喜び溢れる夕食を取った事だろう。めでたし。めでたし。自分の分だけカードで支払おうとしたが駄目で、皆から金をかき集めて払った。明日パキを出る際少しでもパキrsの手持ちを少なくしたい為の行動であった。

YWCAのスタッフも全員休暇に入り今夜は客だけである。(日本人3人、イギリス人5人)あ、そういや変なパキ人1人いたっけ?明日からインドに戻る。お金どこに隠そうか。今夜も中根さんに緑茶を入れてもらい飲む。

インドのビザ切れの為に急遽来たパキスタンであった。あっという間の12泊であったが来て良かったと思う。カラコルムハイウェイの素晴らしく雄大な景色。多分もう2度とパキを訪れることはないと思うがもし来れたならば夏のフンザからMtラカポシの雄姿を眺めたいものである。ぴったりラマダンの期間に入り、不便であったが外人特権で飲み食いしたし何といっても後半ホテルのレストラン通いでいいものを沢山食べた。せっかくネパールのトレッキングでやせたのにかなりふっくらしてきた気がする。

本当に優しいパキ人。元インドとは思えないほどインド人とは違う。これほどまでに人間性を変えてしまう宗教って何なんだ?いい奴等が多かった。明日からは本家インドが待っている。またいらいらする毎日なんだろうな。フンザのハイダーじーさん、元気かなぁ?