弘前ねぷたの裏側を「見送り絵」といいます。※写真は津軽藩ねぷた村のものです。
大抵、中国古典に出てくるご婦人が描かれているのですが、なぜ「見送り絵」と言うのか・・・・
先日行った津軽藩ねぷた村で案内の人が教えてくれました。
津軽は夏が短くて、ねぷたが終わると同時にあっという間に秋の気配になっていく。
だからねぷたが通り過ぎると同時に、その短い夏を惜しみながら見送る・・・・ので「見送り絵」というようになったそうな・・・・。
・・・・・・が、しかし。
ねぷたが終わったとたん連日猛暑が続くここ弘前・・・・・
感慨深くねぷたを見送ったのに・・・・・おいおい・・・・津軽人は体がついていかないよ
ということで先日参加した職場のねぷたをご紹介。
鏡絵(表側)は水滸伝から「一丈青奮戦之図」・・・・女将軍の勇ましい戦いっぷりデス。
いつの時代も「女は強し」・・・・・?
弘前のねぷたは青森ねぶたのハネトのように跳ねたりはせず、この大型ねぷたにつけられた綱を持ってねぷたを「引っ張る」のです。
大型ねぷたの後ろには囃子方(ウチのは太鼓2個・・・・団体によっては4つも6つも
)。
歩いてヤーヤードーと掛け声をしながら振り返ると真後ろに大きな扇
灯りのともった大きな扇を背負って歩く・・・・・・沿道で見るのとは全く違う迫力になるんです~
前には小型のねぷたも1台。この前にさらに「角灯篭」や「組みねぷた(人形の形をしたもの)」などあり。
弘前のねぷたが扇である理由。
それは藩祖・津軽為信の幼名が扇丸だったから。
台座にあたる「開き」と呼ばれる部分には牡丹の絵。
それは津軽家の家紋が牡丹だったから・・・・とか。
津軽藩のおひざもと、城下町弘前ならではの伝統を守る弘前ねぷた。
一段と好きになってきた・・・・
また来年