感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

貧乏でも暇はある。

2022-12-10 | 野鳥 バードウォッチング

 

例の病気が一段落して、世の中は日常をすっかり取り戻した、と言っていいと思う。

病気の騒動が故に、天から降ってわいたような、あの突然の2年間、人生において初めてと言っても過言ではない、フリー(辞職した時間に追われない自由)な期間をどう過ごして今日に至ったのかと思ってみる。

その期間、鳥の観察の趣味を得たことは、とりわけ大きな収穫だったと思っている。

仕事を辞めた2年間、毎日のように双眼鏡とカメラ片手に出かけた裏の公園で、どれだけたくさんの鳥たちと出会った事か。

さて、

日常が戻ってきてみると、最近、気持ちが何やら忙しない。

フリーな2年間、毎日家にいたころと違って、仕事や何やらで今は週に5日は、昼間は家にいない。

出かけるとなると、朝も鳥を見るどころではない。

”鳥をみる”と言う心の余裕が以前ほどに無くなってしまった毎日。休みの日もあるので、時間がないわけではないのに、心に余裕がないわけだ。

寒い朝が続くようになればなおさらで、公園に出かけるどころか、裏のえさ場に鳥の餌を入れに行くのも、億劫になる。

そんな今朝は、朝から晴天で、寒さは結構なものだけど、裏庭に出てカメラを久しぶりに手にしてみた。

 

寒さに丸まる嘆きバト。

秋口から冬場をこの辺りで過ごすユキヒメドリ。

あまり歓迎しないオキナインコ達。えさ場は荒らすは、うるさいは。

キツツキは冬場の鳥と言ったイメージ。1年中いるけどね。

この目つき。

ハウスフィンチも定住組。

彼も定住組。

苦心の末の餌場は、大きな鳥よけの為のネットで囲って。カラスやインコやハトが食べ尽くすのを防ぐのが目的です。

 

日々の暮らしに追われる毎日ではあっても、暇と言える時間はあるもので、そんな時間は、作ろうと思えば作れるものである。

貧乏でもいくらでも暇はある。

貧乏暇なしと言う時の、この貧乏と言う言葉の意味には、生活の質と言うか、気持ちの上での余裕と言うか、そんなものに構っておれない、心の貧しさの例えがあるのかもしれないな……などと、自分の暮らしを振り返って思ってみたり、そんな土曜日の朝。

 

 


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