感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

瀬戸内の海辺の村で暮らした幼少期(その2)

2019-06-12 | 遠い昔の記憶

幼稚園に上がってからは、学校が休みになるたびに、
また、夏休みや冬休みにも、必ずおばあちゃんの家に行っていたようだ。

そんな生活が、しばらく続いた。

当時は、まだガスも引かれてなく、炊事はすべてかまどだったし、
お風呂は五右衛門ぶろ。

家の斜め前には、お墓があり、お墓の脇に結構な松林があって、
そこで風呂の薪に使う落ち葉や木の枝を拾ってくる仕事も手伝ったりした。

夏場は、毎日風呂を沸かしたりせず、「塩水は、あせもにいいんじゃ。」と
裏の海で行水することで済ますこともあった。
夕焼けが少し残る、薄暗がりの中で、おばあちゃんと二人
裸になって海に入った時の一コマも記憶にある。


おばあちゃんが、仕事に出かけた時は、一人で留守番をした。

裏の海岸は、人もほとんど来なくて
私だけの遊び場だった。
海岸の砂地に流れ着く色々な物を物色しながら
その海岸で時間を過ごすことが多かった。

当時は、カブトガニの甲羅が、たくさん流れ着いていた。
まだ、その当時は、カブトガニが瀬戸内に生息していたと言う事なのだろう。

流れ着く漂流物は、瀬戸内のいろんなところから流れ着いてきたわけで、
そんなことに思いをはせながら、一人いろんな想像をして過ごした。
私の空想好きは、おそらく、このころの一人遊びが
その土台となっているのではないかと思っている。


大好きだったおばあちゃんとの二人暮らし。

ほんとに好きだった。
多分、叱られたこともあるんだろうけど
叱られた記憶が全くない。
可愛がってもらった記憶しかない。

私がおばあちゃんを独り占めした期間は、
大阪に出ていた母の弟、おばあちゃんの一人息子のおじさんが
大阪を引き上げて、家族を連れて帰って来て終わることになる。

私が中学校に上がる少し前だったと思う。




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