感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

門田隆将著、最後の証言3部作

2021-12-10 | 人物、映画、本、漫画、ドラマ

春にアマゾンで日本から取り寄せた門田先生の本6冊、最後の1冊を読み終えた。読んでよかったと、思っている。門田先生に感謝。

太平洋戦争の生存者の証言を実際に聞き、彼らの言葉を借りて書いたドキュメンタリー本、最後の証言の第3部、大和沈没編。

昭和20年4月7日午後2時20分、総員退去の艦内放送があってから間もなく、大和は左舷を下に傾けて、東シナ海の海の中に沈んでいったと、書いてある。

北緯30度43分、東経128度04分。この場所に大和が沈んでいると、書いてある。

乗組員、3332人中、3056人が帰らぬ人となり、生存者はわずか、276人という事になる。

4月6日に投錨していた瀬戸内の三田尻沖から出撃し、豊後水道を南下する時、大分県の海辺に咲く桜の花を見ながら、そこで船に向かって手を振る人たちを見ながら、大和は出撃したという事だ。

その時に軍人さんたちが見た桜が、今も九州の地には咲いていることだろう。私もその同じ桜を目にしたいと思った。豊後水道を過ぎるとき、皇居のある方角に向かって宮城遥拝をし、天皇陛下万歳と叫んだと書いてある。

戦争を肯定も否定もしたくない、その時、天皇陛下と国と家族のことを思った兵士の方々の気持ちを考える。靖国で会おうと言い合った彼らが、靖国をどれほど慕い、また意味をもって語ったかを思う。

天皇を靖国を安易に色々と言いたい一部の人がいる。歴史をどうとらえるかは、人ひとりひとり、それぞれが持つ解釈があり意見があるのは当たり前だ。しかし、その時、天皇陛下を思い、国を思い、靖国で会おうと命を散らした方々の英霊は、靖国を訪ね、皇居を訪ね、家族を訪ねたことだろう。

その思いは、とても尊く、政治的に利用されたり、歪められたりしてはならないものであるのは、確かである。靖国は政治とは関係ない次元のもので、他国にあれこれと言われる筋合いなど一切ない。

コロナが終わって、日本帰国が叶う時が来たら、靖国を訪ね、呉を訪ね、英霊に手を合わせることができるならと、そんな気持ちになっている。

そして、いつか、できるなら、祖父が38歳で戦死した場所、その海も訪ねてみたい…なんて。

 

さて、大和の本を読み終わったところで、家の倉庫に眠っていた大和のプラモデルの存在を思い出した。

アメリカのラジコンや電車といった玩具?専門店に行ったときに、偶然見つけたタミヤの大和1/350、100ドルくらいで買った代物、その時は”なんでこんなところに?”と不思議なめぐりあわせを感じ、私が買って作ってあげないとなんて、思ったんだ。昔、軍艦好きの弟と一緒に空母のプラモデルはよく作っていたけど、戦艦大和は作ったことがなかったなと。

今がこれに手を付けるときか…ちょっと勇気がいるかな…。



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