限りない欲望
民族性の違いは思考方法まで違う?
何が正しく何が間違いなのかは分からないが
モンゴルでは問題が生じ他者に協力依頼する時
こんな事で困っているから協力・解決して欲しいという
今まで問題解決に費やした経緯や状況を説明するのが
普通であるがモンゴルではない(こちらが要求しても)
やれるかだけである
何度、状況説明を求めても頑なに情報開示をしない
仕方ないから私なりの方法で手順を踏み
依頼された解決策を行い結果報告をする
大体、失敗報告が多い
結果報告をすると我々も同じような事で
万策尽きたという話が出てくる
報告していてムカッとする
依頼を引き受けた時から言ってた事である
これは共産主義国家独特の思考方法なのか
これじゃ自由主義国家に負けるはずである
と私は思考を停止した
増やして減らす
失敗の繰り返しを堂々巡りするだけのやり方に見える
何が問題で成功する手前で挫折しているかの情報開示がない
君なら出来るかという単純な依頼で相談に来る
報告していてやる気をなくしてしまった!
やる気を起こすには
こういうやり方で今まで失敗したから成功する別の方法は
ないだろうかという思考が現地人には欠落している
こちらも失敗例(前例)を聞かされれば
同じやり方を省き新しい考え方で挑戦できる
解決方法を見つけ出すかもしれない
私が彼らと
同じ失敗をして喜んでいるように見える
人間なんて大して変わらない脳しか
持っていないのだ!
見方の変化
自由主義国家が如何に素晴らしいかという事は
一人の失敗例を公表し新たな成功例への道筋を示す
失敗した事例の情報開示こそが一番大切だという事を
理解できないのか
ワザと公開しないのかは分からない
(ここが共産主義国家の嫌いなところである)
他人のいいとこ取りだけして肥え太るから
権力に固執し国家全体がよくならない
そんな気分悪い一日を過ごしてしまった
(超~無駄な時間を使い過ぎた)
新たな解決方法を思考する能が失せてしもうた
こんな国だから経済も国力も人間も
世界でいつも底辺をウロウロしているのだろう
その癖!欲だけは強欲である