日経の朝刊に昨年から連載の『琥珀の夢』を毎日見ているが、ここ数日の内容が、父親や伯父の戦時中にかかわった事と符合し驚きである。
父親は戦時中の事の多くは語らずに亡くなったが、横須賀の海軍燃料廠と言う所で青年期を過ごしたようで、小さい頃に一度だけ、サントリーの偉い方が上官だったと話していたのを覚えているが、この佐治敬三さんの事だったのだろうか。
今年の春先に父親が残していた燃料廠の時代のアルバムや海燃会報を、横浜の市史資料室へ寄贈したが、燃料廠の玄関前での集合写真に、もしかすると写られていたのかもしれない。父親も大船(現三井化学)で燃料の実験をしていたらしく、小説に記載の結婚式をされた鎌倉八幡宮の近くには燃料廠の若い方々も沢山下宿をされていたようで、父親も下宿先の方と長年年賀状のやり取りをしていたのを覚えている。
何れにしても、戦後70年が経ち、父親も生きていれば90歳を超える年齢となっており、戦争中の事が忘れ去られるのが残念である。
又、伯父は、たぶん連載内容にある雨の神宮大行進と同じ年の昭和18年に大阪大学を繰上卒業し、技術将校を養成する学校へ入った様であるが、ひょっとするとご同窓だったのかもしれない。
伯父は養成所での生活を古ぼけた『反省録』というノートで残しているが、これも史実として残していただくため、東京都北区の中央図書館で現物を引き取って頂いた。
小説では、伊集院静さんが色々と丹念に史実に基づいて調べられ書かれているが、この他の太平洋戦争での歴史についてもまだ残す事が出来るかと思えるので、何とか正確に残してほしいとの思いである。
<伯父の日記>
<横須賀海兵団、燃料廠時代のアルバム>
父親は戦時中の事の多くは語らずに亡くなったが、横須賀の海軍燃料廠と言う所で青年期を過ごしたようで、小さい頃に一度だけ、サントリーの偉い方が上官だったと話していたのを覚えているが、この佐治敬三さんの事だったのだろうか。
今年の春先に父親が残していた燃料廠の時代のアルバムや海燃会報を、横浜の市史資料室へ寄贈したが、燃料廠の玄関前での集合写真に、もしかすると写られていたのかもしれない。父親も大船(現三井化学)で燃料の実験をしていたらしく、小説に記載の結婚式をされた鎌倉八幡宮の近くには燃料廠の若い方々も沢山下宿をされていたようで、父親も下宿先の方と長年年賀状のやり取りをしていたのを覚えている。
何れにしても、戦後70年が経ち、父親も生きていれば90歳を超える年齢となっており、戦争中の事が忘れ去られるのが残念である。
又、伯父は、たぶん連載内容にある雨の神宮大行進と同じ年の昭和18年に大阪大学を繰上卒業し、技術将校を養成する学校へ入った様であるが、ひょっとするとご同窓だったのかもしれない。
伯父は養成所での生活を古ぼけた『反省録』というノートで残しているが、これも史実として残していただくため、東京都北区の中央図書館で現物を引き取って頂いた。
小説では、伊集院静さんが色々と丹念に史実に基づいて調べられ書かれているが、この他の太平洋戦争での歴史についてもまだ残す事が出来るかと思えるので、何とか正確に残してほしいとの思いである。
<伯父の日記>
<横須賀海兵団、燃料廠時代のアルバム>