一昨日、歯医者へ出かけたついでに、前『メモ』で残した映画・『PLAN 75』を見てきた。
カンヌ映画祭で『特別表彰』を受賞した映画ではあるが、若手監督の作品で、『社会問題』を題材にした作品のためか、大阪の北部では『イオンシネマ茨木』しか配給されていない。
どうしても初日に見ておきたかったので、少し遠出となったが、思い切って出かけてみた。
(当日入手の案内ちらしを加工)
+**+
朝、『予約状況』を確認すると、『十分空』であったが、到着した2時間前には『残少』。開演時には『売切』となった。一番小さな『スクリーン』で、『感染対策』のため、定員の『70席』から少し減となっていたが、初日で『満席』に驚いた。
そして、もう一つの驚きが。この映画、『PLAN75 』を見に来た人は、殆ど『高齢者』。歩いておられる姿から、たぶん、『後期高齢者』ではと思われる方が多く、付き添いの方も、40代後半のように思えた。
どんな思いで、この『PLAN75』を見に来られたのだろうか・・・
この年齢の方々だと、小生と同じく、『親の看取り』を済まされた方もおられ、『自分の老後』を考えるためとも思えるが、どうなのだろうか・・・
こんなことを思いながら『開演』。
+**
暗い画面で、いきなり、どこかの施設で、銃の乱射があり、若者が、『社会に役に立たない人間は生きている価値がない』というような言葉を叫び(記憶が正しくないかもしれないが・・)、自決するシーンから、映像は展開し始めた。
前日、『現代ビジネス』のネット記事配信で、『日本は、今後、弱者を排除する社会になるのでは・・』という『問題提起』を、この映画でしてみたい・・との、監督インタビュー記事が出ていたが、いきなり『序章』で、この驚きの画像が・・。
『予備知識』なしで、この映画を見始めた方は、こんな『心の歪』から始まる『事件』と、未来の『政府』が法制化した『PLAN 75』。『最終章』で知らされる『尊厳死』への繋がりは、理解できないかもしれない。
途中、主人公が『高齢』を理由に『解雇』をされるシーンでも・・
具体的な『場面』は示されず、いろいろな『事象』をつなぎ合わせる中で『理解』を深めるなど・・、『監督』からの、盛りだくさんの『現社会』が抱えてている『課題』への問いかけを・・『映像』の中で読み取り、映画を見た個々人が『熟考』させられる構成となっていた。
映像が進む中、『二人の高齢者』が、この『PLAN 75』を受け入れるまでの『悩み』も映し出されたが・・、最後の『受入・決心』の所は、『オブラート』のまま・・
『この『PLAN 75』は、『高齢者』が受け入れることが、将来につながる』という『フレーズ』が、何度も『メイン映像』のバックの『テレビコマーシャル』などで流れたが、この『是非』については、この『映画』を見た方が、自ら『考えてほしい』と・・求められているように思えた。
たぶん、だれもが、こんな『制度』を受け入れるような『考え』になってほしくない・・との、『制作者』の『意図』なのであろう・・。
そして、『PLAN 75』を推進してきた『行政担当者』や『ケア担当』、最終受け入れ施設へ『高収入』で転じた『外国人実習生』などの『若い方々』と、冒頭、銃を乱射した『若者』との『心』『思い』の違いが、この『映画』の、もう一つの、大きな『テーマ』なのかもしれない。今、『高齢者社会』が進み、『格差社会』ともなる中で、『世の中の邪魔者』へどう向き合うかが、問われているように思えた。
+*+**
映像が進む中、『主人公』『ミチ』が、『最終施設』へ移る日の『前夜』、最後の『晩餐』で大好きだった『お寿司』を食べたあと、出前の桶を洗い、ふきんで丁寧に拭き、翌朝洗面台で、最後の『化粧』をしている場面が流れ・・・『もうここへhaへは戻ってこれない』という『覚悟』を表すシーンがあったが、前メモの、友人からの『On- CALL』で話した、母親を94歳で、『有料老人ホーム』へ入居させた時の事が、再び、目の前で重なり合った。
4カ月かけ、やっと入居を納得させたが、当日の朝も、まだ未練がましく、先に亡くなった父親の遺骨と写真を抱え、少額の現金をきんちゃく袋に突っ込んで家を離れた。ただ、車に乗り、マンションが見えなくなる所で、そっと手を合わせたが、これで、ひょっとすると・・もう戻ってこれないかも・・と『覚悟』を決めた時だったのだろうか。
これが、1週間後『大腿骨骨折』で、最後の住処と決めた『ホーム』から『病院』へ。ここで最期を迎えるとは・・
『ホーム』へ送り届けた後、後片付けのため再び『居宅』を訪れたが、台所は隅々まで磨き、新しいふきんがかけられ、トイレやお風呂も、まがった腰で、掃除を済ませていた。
この三日前、『ホームキャンセルしてほしい』との突然の連絡を受け、大喧嘩し、『老いては子に従え』と、無理やり納得させたが、この時も、まだ『納得』できないままだったのだろうか。
こんなことが…この映像が進む中で思い起こされ・・
『もっと一人で、自由気ままに過ごさせていたら』『100歳でオリンピックが見れたかも』と『回顧』と『自戒』が重なり、この『End-PLAN』を、母親に、『自らの意思』ではなく『選択』させたことがどうだったのだろうか・・
もしこれが、だれにも相談できない『お一人様』だったら・・と、あらためて考えさせられた。
+*+*
さらに、母親とを重ねながら、画面を追いかけたが、いろいろと感じるところが多かった。
一つ目は、『PLAN 75』の『ケア担当』の方とのやり取り。原則、直接の『面談』が禁じられている中での『密会』『心付け』。夜の『15分相談時間』の『おしゃべり』・・・
母親もそうであったが、『高齢者』の『お一人様』は、『一日一度』でもいいから『誰かと接したい』『少しでも会話をしたい』と望んでいる方が多いかもしれない。
特に、父親が亡くなってからは、一人で『食事』をし、『お茶を飲む』事が続く『一人』で『一日』
東京から戻った時は、必ず『話を聞く』事にはしていたが、なかなか腰が曲がった『高齢者』なので、自ら一人では外へ出かけられず、長時間付き合わされた・・・
なんとか『要支援』が認定された頃、市が運営する『包括支援センター』の『ケアマネ』さんが時々訪ねてこられ、ヘルパーさんも『福祉会』からの派遣だったので、『週2回』、なんだかんだと『おしゃべり』をする事の楽しみが、出来始めていたが・・・
市が『ケアマネ業務』を『民間委託』したとたん、『定型的』な『ケアプラン』が作成され、これを『民間会社』の『ヘルパー』さんへ、そのまま『委託』することになり、『会話』は殆どなくなり、特定の『ヘルパー』さんを拒否することが多くなり始めた。
『ケアプラン』の見直しで、『室内清掃』や『入浴補助』は不要なので、『おしゃべり・1時間』を入れてほしいと申し入れたこともあるが、『個人的な会話は禁じられています』『お茶やお菓子は受け取れません』などの理由で、『ヘルパー派遣会社』から、『個人的会話』が拒否され、楽しみにしていた『おしゃべり』は、さらに少なくなってしまっていた。
この映像でも、『主人公・ミチ』は、ホテルの『清掃業務』を『解雇』されるまでは、日々、打ち解ける相手がいて、『人と話す』ことが出来、『カラオケ』で『人と接する』事で、日頃の『もやもや』や『鬱憤』を発散させていたのが・・、いきなり『お一人様』となると、この『PALN 75』の『担当者』からの『CALL』は、『唯一』の『話し相手』だったのかもしれない。
いつだったか、テレビで、『オレオレ詐欺』の『かけ子』へ『声が聞きたい』から、何度も『電話』をしてもらっていた・・との、冗談みたいな話も流れていたが、やはり『人と話す事』が出来なくなることは、『人生』で『最大』の、つらいことなのかもしれない。
この『メモ』を書きながら、あらためて思い起こすと、最後の住処としての『老人ホーム』を『拒否』し続けた理由が、父親が亡くなってからしばらくして、夏場体験入所させた時の、『トラウマ』だったのかとも思われた。
この時は『2泊3日』であったが、『扉のない個室型グループホーム』的な所で、帰って来るや否や『監獄みたいだった』との感想が。『二度と行かない』と話していたが、一つは『フロア以外、外へは出れない』『体調を聞くだけで、ほったらかし』。どうも『体操』なんかは『拒否』したようである。そして、さらに詳しく聞くと『紙おむつ』を付けさせられ、漏れをしていないかどうか、若い男性担当者が『オムツ』へ手を入れたようである。これが『決定的拒否要因』で『老人ホーム』も『同類』とみていた感がある。
話が少し横へそれたが、この『PLAN 75』は、『余生』を送ることができない『制度』のようであるが、もし『高齢者』が『最後の住処』として、『何』を選ぶのであれば、『人との係り』なのかもしれない。毎日、みんなが集まって『体操』をすることは、『強制』ではなく、個人の『尊厳』を守りながら、ちょっとした『声掛け』が、最も重要なのかもしれない。
そして、今回の『PLAN 75』の役柄設定では、担当した方は、いづれも若い方で、少し違和感は残り・・『75歳の娘・息子』となると『40代後半』。さらにこの下の『Z 世代』となると、『孫』となり、『高齢者』とのふれあい、『声を掛け合う』ような場を作る事も、『時代ギャップ』が大きすぎ、さらに難しいのかもしれない。
今、一部の山間部の町村などでは、『里山ふれあい』などで、『若者』と『年配者』が『対話』し、お互いを『尊重』する動きもあるようだが、都市部では、その『機会』はほとんどない。・・
『地域』の『夏祭り』など、『交流行事』があればいいのだが・・。『双方』引き出すことは、さらに難しいかもしれない。
今、多くの『PLAN 75』世代は、集団就職などで都会へ出て、住居を構え、『故郷』を失った方も多いと思われるが、この世代の、子供や孫たちは、ますます『核社会化』し、『人間社会』を知らなくなってくる可能性もある。
二つ目は、『PLAM 75』を勧め、『入所早々』に『尊厳死』に導かれた、長年あっていなかった『叔父』を、施設から連れ出した、『町役場担当者』世代。
『親が亡くなれば、『親戚』が判らなくなる』『連絡を取ることもなくなる』という、『現実』なのかもしれない。『親とは・・』『高齢者とは・・』。若い方にとってどうなんだろう・・
これが『PLAN 75』が『法制化』される『根底要因』の一つなのかもしれない。
現在の会社生活も、『雇用の流動化』や『能力主義』などが進むなか、『年長者』という『配慮』も薄くなり、『長幼の序』としての『会話』は失われ、ますます『おしゃべり』は、途切れてしまう事も想定される。
ある友人が、市の『ボランティア活動』の中で、お一人になられた高齢の商社マンの『英語でのお茶会』に、外大生を派遣したり、梅田への買い物へ、美大生が付き添ったりなど、『会話』が弾む『独居老人ケアー』を行っているが・・・こんな事で、『親』を含めた『高齢者』との『係り』の、ちょっとした『糸口』が見つかれば、『いたわりの心』が芽生え、一部の『ゆがむ若者』の『心』は、変えれるかもしれない。
さらに、この作品では、この背景となる、『高齢者』が抱える『社会問題』が、次々と『提起』されている。
『75歳』を過ぎた『高齢者』の『再雇用』の難しさ。生きていくために『年金』を補填するだけの、『低賃金』を確保することすら難しいようである。
『お一人様』の『住宅事情』。長年住み続けた『公営住宅』も、『30代』で『入居』すれば、すでに『築40年以上』『老朽化』が進んだ『限界アパート』となっており、早晩追い出しが・・
『事故物件』とならないよう、なかなか貸してもらえる、『アパート』などは少ない。
『3世代同居』の現実。『孫』たちの『ベビーシッター』が必要な時は『いいおばあちゃん』で『重宝』されるかもしれないが、成長すれば『部屋を開けて』が、『現実』であろう。
そして、究極の『生活困窮者』を演じるためか、『炊き出し』の映像も流れた。
三点目は、この『PLAN 75』の『特典』が、あまりにも『高齢者』が『お一人となった時』の『死後の始末』についての『不安』の『解消策 』が、『赤裸々』に流れた。
『集団で火葬します』『無料です』『お骨も適切に処理をします』『遺品も処分します』『施設へ行くため、家を出るときには、鍵をかけないでください。担当者が後刻伺います』など・・
そして、この『PLAN 75』を受け入れると、『10万円支給』『何に使っても構いません』とも
『困窮』した『高齢者』は、受け入れざるを得ない内容…とも感じた
そして、この『PLAN 75』の『申込み』は『自分で文字が読め、書き込めないと無理』のようである。映像途中に、『カラオケ申込』ができない『ミチ』の友人がいたが、彼女のような『字が書けなくなった高齢者』は、対象から外されるのだろうか・・・
誰かの『補助』を受け、『PLAN 75』へは申し込みをするとなると、『自らの意思で・・』という事が失われ、『秘匿性』でも正しいのかもしれない。
もし『家族』が『代筆』するとなると、それこそ『姥捨て山』。『尊厳死・委託』となる。
もしこのような『法制』が、今後『制定』されたとなったとしても、『自らの意思』という事をどう担保するかも課題であろう・・
最後の方で、この『PLAN 75』の『受付過多』になり、『火葬待』や『遺骨処理問題』の課題も流れ、『政府の無計画性』も『如実』となっていたが、『支度金10万円』を含め、先の、現政府が、『コロナ対応』で取った対応も思い起こしてしまった。
一方、『受付』が始まったが・・待合室のテレビで、『PLAN 75』のコマーシャルが頻繁に流れると、テレビを消す方がおられたり、受付横の立看板へ、トマトを投げつけられた映像など、『反対意見』を持つ方が、多くおられる事も描かれていた。
ラストの『最終受入施設』では、『主人公・ミチ』などが、『健康チェック』で、だまされ、『安眠』させられるが、この無機的に並べられた『ベット』の『映像』を見た際、父親が最後に植物状態で転院した、薄暗い病院が、再び頭をよぎった。
途中で、海外(フィリピン)から来ている研修生の、家族や、教会での『祈り』の映像なども流れたが、今回の『PLAN 75』の背景となる、『お一人様にしない』。どこかで『家族』のようなつながりができる、『コミュニティ』などが、必要なのでは・・との提言なのだろうか
*++*
この映像の中では、『高齢者』が『世の中の厄介者』『隅っこへ追いやる』といった、『年下の者』が感じているらしいことは、『明確』には示されていなかったと思う・・
『現代ビジネス』にも書かれていた『社会派リアリズム・サスペンス映画』であり、当初考えていたような『PLAN 75』より『Serious』な内容であつたので、もう少し勉強してみたい。
この映画を見て、押しつけの『PLAN』を『自らの意思』で『選択』するのではなく、『自らの将来を考えるプラン』を、急いで作り上げることの必要性を、改めて感じた。
ただ、『格差社会』がある限り、究極は『お金しだい』のような所もある。
先の『メール』で、友人が提案してくれた『自助 PLAN 75』
『Self-PLAN 75』の策定を急ぎたい。
*+*
昨日から、途中途中『Call』を受ける中で取りまとめたので、支離滅裂かもしれない。
このあと、21時からも『On-Line ワイガヤ』の招集がかかっており、とりあえず、見直しが出来ていないままで、一旦終了
カンヌ映画祭で『特別表彰』を受賞した映画ではあるが、若手監督の作品で、『社会問題』を題材にした作品のためか、大阪の北部では『イオンシネマ茨木』しか配給されていない。
どうしても初日に見ておきたかったので、少し遠出となったが、思い切って出かけてみた。
(当日入手の案内ちらしを加工)
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朝、『予約状況』を確認すると、『十分空』であったが、到着した2時間前には『残少』。開演時には『売切』となった。一番小さな『スクリーン』で、『感染対策』のため、定員の『70席』から少し減となっていたが、初日で『満席』に驚いた。
そして、もう一つの驚きが。この映画、『PLAN75 』を見に来た人は、殆ど『高齢者』。歩いておられる姿から、たぶん、『後期高齢者』ではと思われる方が多く、付き添いの方も、40代後半のように思えた。
どんな思いで、この『PLAN75』を見に来られたのだろうか・・・
この年齢の方々だと、小生と同じく、『親の看取り』を済まされた方もおられ、『自分の老後』を考えるためとも思えるが、どうなのだろうか・・・
こんなことを思いながら『開演』。
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暗い画面で、いきなり、どこかの施設で、銃の乱射があり、若者が、『社会に役に立たない人間は生きている価値がない』というような言葉を叫び(記憶が正しくないかもしれないが・・)、自決するシーンから、映像は展開し始めた。
前日、『現代ビジネス』のネット記事配信で、『日本は、今後、弱者を排除する社会になるのでは・・』という『問題提起』を、この映画でしてみたい・・との、監督インタビュー記事が出ていたが、いきなり『序章』で、この驚きの画像が・・。
『予備知識』なしで、この映画を見始めた方は、こんな『心の歪』から始まる『事件』と、未来の『政府』が法制化した『PLAN 75』。『最終章』で知らされる『尊厳死』への繋がりは、理解できないかもしれない。
途中、主人公が『高齢』を理由に『解雇』をされるシーンでも・・
具体的な『場面』は示されず、いろいろな『事象』をつなぎ合わせる中で『理解』を深めるなど・・、『監督』からの、盛りだくさんの『現社会』が抱えてている『課題』への問いかけを・・『映像』の中で読み取り、映画を見た個々人が『熟考』させられる構成となっていた。
映像が進む中、『二人の高齢者』が、この『PLAN 75』を受け入れるまでの『悩み』も映し出されたが・・、最後の『受入・決心』の所は、『オブラート』のまま・・
『この『PLAN 75』は、『高齢者』が受け入れることが、将来につながる』という『フレーズ』が、何度も『メイン映像』のバックの『テレビコマーシャル』などで流れたが、この『是非』については、この『映画』を見た方が、自ら『考えてほしい』と・・求められているように思えた。
たぶん、だれもが、こんな『制度』を受け入れるような『考え』になってほしくない・・との、『制作者』の『意図』なのであろう・・。
そして、『PLAN 75』を推進してきた『行政担当者』や『ケア担当』、最終受け入れ施設へ『高収入』で転じた『外国人実習生』などの『若い方々』と、冒頭、銃を乱射した『若者』との『心』『思い』の違いが、この『映画』の、もう一つの、大きな『テーマ』なのかもしれない。今、『高齢者社会』が進み、『格差社会』ともなる中で、『世の中の邪魔者』へどう向き合うかが、問われているように思えた。
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映像が進む中、『主人公』『ミチ』が、『最終施設』へ移る日の『前夜』、最後の『晩餐』で大好きだった『お寿司』を食べたあと、出前の桶を洗い、ふきんで丁寧に拭き、翌朝洗面台で、最後の『化粧』をしている場面が流れ・・・『もうここへhaへは戻ってこれない』という『覚悟』を表すシーンがあったが、前メモの、友人からの『On- CALL』で話した、母親を94歳で、『有料老人ホーム』へ入居させた時の事が、再び、目の前で重なり合った。
4カ月かけ、やっと入居を納得させたが、当日の朝も、まだ未練がましく、先に亡くなった父親の遺骨と写真を抱え、少額の現金をきんちゃく袋に突っ込んで家を離れた。ただ、車に乗り、マンションが見えなくなる所で、そっと手を合わせたが、これで、ひょっとすると・・もう戻ってこれないかも・・と『覚悟』を決めた時だったのだろうか。
これが、1週間後『大腿骨骨折』で、最後の住処と決めた『ホーム』から『病院』へ。ここで最期を迎えるとは・・
『ホーム』へ送り届けた後、後片付けのため再び『居宅』を訪れたが、台所は隅々まで磨き、新しいふきんがかけられ、トイレやお風呂も、まがった腰で、掃除を済ませていた。
この三日前、『ホームキャンセルしてほしい』との突然の連絡を受け、大喧嘩し、『老いては子に従え』と、無理やり納得させたが、この時も、まだ『納得』できないままだったのだろうか。
こんなことが…この映像が進む中で思い起こされ・・
『もっと一人で、自由気ままに過ごさせていたら』『100歳でオリンピックが見れたかも』と『回顧』と『自戒』が重なり、この『End-PLAN』を、母親に、『自らの意思』ではなく『選択』させたことがどうだったのだろうか・・
もしこれが、だれにも相談できない『お一人様』だったら・・と、あらためて考えさせられた。
+*+*
さらに、母親とを重ねながら、画面を追いかけたが、いろいろと感じるところが多かった。
一つ目は、『PLAN 75』の『ケア担当』の方とのやり取り。原則、直接の『面談』が禁じられている中での『密会』『心付け』。夜の『15分相談時間』の『おしゃべり』・・・
母親もそうであったが、『高齢者』の『お一人様』は、『一日一度』でもいいから『誰かと接したい』『少しでも会話をしたい』と望んでいる方が多いかもしれない。
特に、父親が亡くなってからは、一人で『食事』をし、『お茶を飲む』事が続く『一人』で『一日』
東京から戻った時は、必ず『話を聞く』事にはしていたが、なかなか腰が曲がった『高齢者』なので、自ら一人では外へ出かけられず、長時間付き合わされた・・・
なんとか『要支援』が認定された頃、市が運営する『包括支援センター』の『ケアマネ』さんが時々訪ねてこられ、ヘルパーさんも『福祉会』からの派遣だったので、『週2回』、なんだかんだと『おしゃべり』をする事の楽しみが、出来始めていたが・・・
市が『ケアマネ業務』を『民間委託』したとたん、『定型的』な『ケアプラン』が作成され、これを『民間会社』の『ヘルパー』さんへ、そのまま『委託』することになり、『会話』は殆どなくなり、特定の『ヘルパー』さんを拒否することが多くなり始めた。
『ケアプラン』の見直しで、『室内清掃』や『入浴補助』は不要なので、『おしゃべり・1時間』を入れてほしいと申し入れたこともあるが、『個人的な会話は禁じられています』『お茶やお菓子は受け取れません』などの理由で、『ヘルパー派遣会社』から、『個人的会話』が拒否され、楽しみにしていた『おしゃべり』は、さらに少なくなってしまっていた。
この映像でも、『主人公・ミチ』は、ホテルの『清掃業務』を『解雇』されるまでは、日々、打ち解ける相手がいて、『人と話す』ことが出来、『カラオケ』で『人と接する』事で、日頃の『もやもや』や『鬱憤』を発散させていたのが・・、いきなり『お一人様』となると、この『PALN 75』の『担当者』からの『CALL』は、『唯一』の『話し相手』だったのかもしれない。
いつだったか、テレビで、『オレオレ詐欺』の『かけ子』へ『声が聞きたい』から、何度も『電話』をしてもらっていた・・との、冗談みたいな話も流れていたが、やはり『人と話す事』が出来なくなることは、『人生』で『最大』の、つらいことなのかもしれない。
この『メモ』を書きながら、あらためて思い起こすと、最後の住処としての『老人ホーム』を『拒否』し続けた理由が、父親が亡くなってからしばらくして、夏場体験入所させた時の、『トラウマ』だったのかとも思われた。
この時は『2泊3日』であったが、『扉のない個室型グループホーム』的な所で、帰って来るや否や『監獄みたいだった』との感想が。『二度と行かない』と話していたが、一つは『フロア以外、外へは出れない』『体調を聞くだけで、ほったらかし』。どうも『体操』なんかは『拒否』したようである。そして、さらに詳しく聞くと『紙おむつ』を付けさせられ、漏れをしていないかどうか、若い男性担当者が『オムツ』へ手を入れたようである。これが『決定的拒否要因』で『老人ホーム』も『同類』とみていた感がある。
話が少し横へそれたが、この『PLAN 75』は、『余生』を送ることができない『制度』のようであるが、もし『高齢者』が『最後の住処』として、『何』を選ぶのであれば、『人との係り』なのかもしれない。毎日、みんなが集まって『体操』をすることは、『強制』ではなく、個人の『尊厳』を守りながら、ちょっとした『声掛け』が、最も重要なのかもしれない。
そして、今回の『PLAN 75』の役柄設定では、担当した方は、いづれも若い方で、少し違和感は残り・・『75歳の娘・息子』となると『40代後半』。さらにこの下の『Z 世代』となると、『孫』となり、『高齢者』とのふれあい、『声を掛け合う』ような場を作る事も、『時代ギャップ』が大きすぎ、さらに難しいのかもしれない。
今、一部の山間部の町村などでは、『里山ふれあい』などで、『若者』と『年配者』が『対話』し、お互いを『尊重』する動きもあるようだが、都市部では、その『機会』はほとんどない。・・
『地域』の『夏祭り』など、『交流行事』があればいいのだが・・。『双方』引き出すことは、さらに難しいかもしれない。
今、多くの『PLAN 75』世代は、集団就職などで都会へ出て、住居を構え、『故郷』を失った方も多いと思われるが、この世代の、子供や孫たちは、ますます『核社会化』し、『人間社会』を知らなくなってくる可能性もある。
二つ目は、『PLAM 75』を勧め、『入所早々』に『尊厳死』に導かれた、長年あっていなかった『叔父』を、施設から連れ出した、『町役場担当者』世代。
『親が亡くなれば、『親戚』が判らなくなる』『連絡を取ることもなくなる』という、『現実』なのかもしれない。『親とは・・』『高齢者とは・・』。若い方にとってどうなんだろう・・
これが『PLAN 75』が『法制化』される『根底要因』の一つなのかもしれない。
現在の会社生活も、『雇用の流動化』や『能力主義』などが進むなか、『年長者』という『配慮』も薄くなり、『長幼の序』としての『会話』は失われ、ますます『おしゃべり』は、途切れてしまう事も想定される。
ある友人が、市の『ボランティア活動』の中で、お一人になられた高齢の商社マンの『英語でのお茶会』に、外大生を派遣したり、梅田への買い物へ、美大生が付き添ったりなど、『会話』が弾む『独居老人ケアー』を行っているが・・・こんな事で、『親』を含めた『高齢者』との『係り』の、ちょっとした『糸口』が見つかれば、『いたわりの心』が芽生え、一部の『ゆがむ若者』の『心』は、変えれるかもしれない。
さらに、この作品では、この背景となる、『高齢者』が抱える『社会問題』が、次々と『提起』されている。
『75歳』を過ぎた『高齢者』の『再雇用』の難しさ。生きていくために『年金』を補填するだけの、『低賃金』を確保することすら難しいようである。
『お一人様』の『住宅事情』。長年住み続けた『公営住宅』も、『30代』で『入居』すれば、すでに『築40年以上』『老朽化』が進んだ『限界アパート』となっており、早晩追い出しが・・
『事故物件』とならないよう、なかなか貸してもらえる、『アパート』などは少ない。
『3世代同居』の現実。『孫』たちの『ベビーシッター』が必要な時は『いいおばあちゃん』で『重宝』されるかもしれないが、成長すれば『部屋を開けて』が、『現実』であろう。
そして、究極の『生活困窮者』を演じるためか、『炊き出し』の映像も流れた。
三点目は、この『PLAN 75』の『特典』が、あまりにも『高齢者』が『お一人となった時』の『死後の始末』についての『不安』の『解消策 』が、『赤裸々』に流れた。
『集団で火葬します』『無料です』『お骨も適切に処理をします』『遺品も処分します』『施設へ行くため、家を出るときには、鍵をかけないでください。担当者が後刻伺います』など・・
そして、この『PLAN 75』を受け入れると、『10万円支給』『何に使っても構いません』とも
『困窮』した『高齢者』は、受け入れざるを得ない内容…とも感じた
そして、この『PLAN 75』の『申込み』は『自分で文字が読め、書き込めないと無理』のようである。映像途中に、『カラオケ申込』ができない『ミチ』の友人がいたが、彼女のような『字が書けなくなった高齢者』は、対象から外されるのだろうか・・・
誰かの『補助』を受け、『PLAN 75』へは申し込みをするとなると、『自らの意思で・・』という事が失われ、『秘匿性』でも正しいのかもしれない。
もし『家族』が『代筆』するとなると、それこそ『姥捨て山』。『尊厳死・委託』となる。
もしこのような『法制』が、今後『制定』されたとなったとしても、『自らの意思』という事をどう担保するかも課題であろう・・
最後の方で、この『PLAN 75』の『受付過多』になり、『火葬待』や『遺骨処理問題』の課題も流れ、『政府の無計画性』も『如実』となっていたが、『支度金10万円』を含め、先の、現政府が、『コロナ対応』で取った対応も思い起こしてしまった。
一方、『受付』が始まったが・・待合室のテレビで、『PLAN 75』のコマーシャルが頻繁に流れると、テレビを消す方がおられたり、受付横の立看板へ、トマトを投げつけられた映像など、『反対意見』を持つ方が、多くおられる事も描かれていた。
ラストの『最終受入施設』では、『主人公・ミチ』などが、『健康チェック』で、だまされ、『安眠』させられるが、この無機的に並べられた『ベット』の『映像』を見た際、父親が最後に植物状態で転院した、薄暗い病院が、再び頭をよぎった。
途中で、海外(フィリピン)から来ている研修生の、家族や、教会での『祈り』の映像なども流れたが、今回の『PLAN 75』の背景となる、『お一人様にしない』。どこかで『家族』のようなつながりができる、『コミュニティ』などが、必要なのでは・・との提言なのだろうか
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この映像の中では、『高齢者』が『世の中の厄介者』『隅っこへ追いやる』といった、『年下の者』が感じているらしいことは、『明確』には示されていなかったと思う・・
『現代ビジネス』にも書かれていた『社会派リアリズム・サスペンス映画』であり、当初考えていたような『PLAN 75』より『Serious』な内容であつたので、もう少し勉強してみたい。
この映画を見て、押しつけの『PLAN』を『自らの意思』で『選択』するのではなく、『自らの将来を考えるプラン』を、急いで作り上げることの必要性を、改めて感じた。
ただ、『格差社会』がある限り、究極は『お金しだい』のような所もある。
先の『メール』で、友人が提案してくれた『自助 PLAN 75』
『Self-PLAN 75』の策定を急ぎたい。
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昨日から、途中途中『Call』を受ける中で取りまとめたので、支離滅裂かもしれない。
このあと、21時からも『On-Line ワイガヤ』の招集がかかっており、とりあえず、見直しが出来ていないままで、一旦終了