参議院選挙の日程が決まった。
そんな中、衆議院と参議院で多数派が逆転する、いわゆる”ねじれ国会”が問題視されている。
特に、安倍総理に対する問責決議の問題で、”重要法案”が廃案になったこともあって、参議院で自公が過半数を取る方がいいと考えるかどうか、アンケートなども行われているようだ。
しかし、法案が成立しないのは、本当に、”ねじれ”の問題なのだろうか?
「与党だから、自分たちの主張が100%通るのが当然」とか、「以前は自分たちが推進していたけど、野党だから反対しなくっちゃ」とか、そういう考え方に問題があるのでは?
国民にとって、本当に重要な法案なら、他の問題での意見や立場の違いを超えて、協力して欲しいものだ。
そもそも私たち国民は、投票によって、政党や候補者に白紙委任するわけではない。
国民の思想信条の自由が保障されているのだから、個人個人の考え方は千差万別。
100%自分の考え方にあう政党や候補者がいることの方が不思議だ。
良くて総論賛成・各論反対、普通は各論賛成・総論反対くらいか。
一つだけ叶えて欲しい願いがあるとか、何となく期待だけとか、他に期待できないから、とかもあるだろう。
だから、問題を一つ一つ、国民多数の願いにそっているのかどうか考えて、良い内容なら、意見や立場の違いを超えて、成立をはかる、ということでいいと思う。
それは別に、衆参で多数派が”ねじれ”ていたとしても、できることだと思うんだけどな。
逆に、国会で多数を占める政党が出す政策でも、国民多数にとって有害なもの、国民多数の意見とは間逆のものもある。
こういうので”悪の友情パワー”を発揮するのはいただけない。
そんな中、衆議院と参議院で多数派が逆転する、いわゆる”ねじれ国会”が問題視されている。
特に、安倍総理に対する問責決議の問題で、”重要法案”が廃案になったこともあって、参議院で自公が過半数を取る方がいいと考えるかどうか、アンケートなども行われているようだ。
しかし、法案が成立しないのは、本当に、”ねじれ”の問題なのだろうか?
「与党だから、自分たちの主張が100%通るのが当然」とか、「以前は自分たちが推進していたけど、野党だから反対しなくっちゃ」とか、そういう考え方に問題があるのでは?
国民にとって、本当に重要な法案なら、他の問題での意見や立場の違いを超えて、協力して欲しいものだ。
そもそも私たち国民は、投票によって、政党や候補者に白紙委任するわけではない。
国民の思想信条の自由が保障されているのだから、個人個人の考え方は千差万別。
100%自分の考え方にあう政党や候補者がいることの方が不思議だ。
良くて総論賛成・各論反対、普通は各論賛成・総論反対くらいか。
一つだけ叶えて欲しい願いがあるとか、何となく期待だけとか、他に期待できないから、とかもあるだろう。
だから、問題を一つ一つ、国民多数の願いにそっているのかどうか考えて、良い内容なら、意見や立場の違いを超えて、成立をはかる、ということでいいと思う。
それは別に、衆参で多数派が”ねじれ”ていたとしても、できることだと思うんだけどな。
逆に、国会で多数を占める政党が出す政策でも、国民多数にとって有害なもの、国民多数の意見とは間逆のものもある。
こういうので”悪の友情パワー”を発揮するのはいただけない。
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