水銀座+学問所共同企画
四夜連続 納涼怪談演講(演劇+講義)
というのが、13日から16日までありました。
正直ぐったりです。
インプット過多。
整理するのに時間がかかりそうだけれど、書かないと忘れそうなので、例によって“粗筋”だけ取りあえず。
13日(金)
既に昼間の記憶がない……。
夕刻、いつものように鶴岡法斎を出迎えに静岡駅へ。
そのあと会場(四日とも、馬場町会館。19時開演)。
この日の演目は
演劇 『白磁の茶碗』 演者・藤枝菊次郎
講義 「怪談演講」 鷹匠訓子
前座。土門土門衞門+エ土門。
芝居。菊次郎は本業が神官という変わり種の美形役者で、役者菊次郎を演じる。
講義。これは、芝居と講義の折衷なんだろうけれど語りの位置が不用意にぶれて落ち着きが悪い。体験談をどう語れば“リアリティ”を持てるのか、と言う視点でいえば明らかに失敗。
敢えて苦言というか、理解できなかったことを恥じることなく、解らないし、面白くなかった、という意見表明はしておくべきだと思う。
その上で、演出意図などについて議論が出来れば面白くなる。
この日は紀尾井さんの弁当付き。
家に帰ったのがそれなりに遅く、それからまた話し込んで遅い就寝。
14日(土)
遅い起床。
朝食を抜き、ブランチを焼津で、と思いついて大崩経由アクアスやいづ、じゃなくてうみえーる焼津(ツナコープの食堂が無くなってしまったのは本当に残念)の2階食堂へ。
駐車すると同時くらいに雨が降り始め、食事中土砂降り。この日は焼津の花火で、すでに場所取りのシートを拡げていた人たちもいて、大わらわ。
我々は窓全開で出かけてきたため、心配になって急いで帰宅。
まぁこの辺に住んでいる人には珍しくもない現象だけれど、バイパスに抜ける頃には雨が止み、トンネルを過ぎたら晴れていた。従って、拙宅は全く無事。こういう事もちょっと「意味」を持ってくる。
一旦学校に行き、資料準備の後出動。
演劇 『累ノ怪』 演者・鈴木大治
講義 「死霊解脱物語聞書」 小二田誠二
アヤメさんの芝居は累の話なんだけれど、「夜叉蓮華」の設定と「エクソシスト」からの引用が適当に混じっている。
私はその辺の絵解きを含め、「真景累ヶ淵」ではなく、「聞書」がどういう背景を持って生まれたのか、という話。
板本写本をそこそこ持っているし、20年近く前、高田先生たちとフィールドワークしたときの録音もあったので、結構材料は豪華なんだけれど、まぁ、変に奇を衒って自爆感満載(いまのところ、肯定的なブログが2件(RRDさん・kanagonさん)あってちょっと嬉しいんだけど)。
この日は寿司國さんの仕出しで交流会。
RRDさんと少し話できたのがありがたい。
これからよろしくお願いします。
15日(日)
これまでにも書いてきたことだけれど、鶴岡法斎は、「書物」講座の度に拙宅に泊まっていく。翌日授業がある時は教室に来て下さるし、私に時間があれば一緒に静岡の面白い場所に行く、ということを繰り返している。
→5月:「天人五衰」旧跡訪問・6月:由比正雪巡り・7月は土砂降りの中ホビーフェア訪問(記事無し)。
それだけでなく、拙宅でも、車中でも、彼との話はかなり多岐に亘り、深くて面白い。これはもったいないぞ、というので、ちょっと声を掛けてみたんだけれど食い付き悪し。ほんとに、事の重要性を理解してないよな~みんな、とか思いつつ、この日はボノ君と3人で、私にとっては宿願とも言える、あの「大井川娯楽センター」初訪問。
こう言う時には“運”が味方する。
今月出演しているのは大日方皐扇という、うら若い女座長(注意! 音が出ます)が率いる満劇団。
あとで検索して、この劇団の評価を読んで改めて納得するわけだけれど、本当にびっくりした。大衆演劇という文化がこういう形で存在することそのものにも感動したし、皐扇の美しさだけでなく、役者たちの型の見事さにも、まだ役もない子供の乱入さえも一種の演出のようにみせてしまう女系ファミリー劇団の力を感じさせる。劇場の方が言う通り、この日の演目「森の石松 えんま堂の最後」は、御当地モノというだけではなく、座長のオハコとのこと、若く美しい女性が石松に扮して芳幾ばりの血みどろ絵図を繰り広げる前でおばちゃんたちが食事しながら拍手を送る情景は衝撃的だ。
これは、ホールや新しいスーパー銭湯的健康ランドで見るモノではない。
静岡に戻る車中も、3人とも異様な興奮状態。
これは「ヤバイ」です。また行きます。
で、本題。
演劇 『十三夜坂』 演者・鷹匠訓子
講義 「ホラー・ジャパネスク」 一柳廣孝
『十三夜坂』も既にみろくさんぶで見ている芝居なので驚きは無し。これも「夜叉蓮華」の世界。
一柳さんとはかれこれ20年近いつきあいなのだけれど、こういう“芸風”だったとは、恐れ入りました。
4日間の中で一番怖かったのは一柳さんのお話しでしょう。
その上で、ちゃんと日本的娯楽ホラーの展開もばっちり。
ありがたい。
アフターは紀尾井。
なぜかウルトラセブン話で着いていけず。
疲れが溜まっているので帰宅後は割と早く就寝。
16日(月)
駅前のホテルに宿泊している一柳さんを起こして、清水山。
近くに駐車場がないので、相生町から徒歩。
ここには、この日、吉永さんの話題に登場する桑原天然の記念碑がある。
この碑を“再発見”したのは、アヤメさんと吉永さんなんだけれど、お二人は参加できず、私が案内人になって、一柳さん、法斎さんとともにうろうろ。最終的に発見できるのだけれど、その間に恐ろしく汗をかいた。
一度気づいてみれば、これになぜ目が止まらなかったのか不思議なくらい大きなモノなのに。
疲れ果てていたので、安立寺を表から眺めて春日町から日吉町まで静鉄電車。
車で石部へ。
この日は、石部宝珠院の閻魔様のお祭り。
これもずっと気になっていながら行ったことのない祭礼の一つだったので、時間は早くても行くだけ行ってみましょう、ということで強引に。
結果、準備作業中の奥さんが色々説明して下さった上に資料も戴くという幸運。
台座を含め一体になった三百年前の石の閻魔に、奪衣婆・地蔵、そして、見事な天井画。
再訪を期して、そこをあとにし、ネットで石部の情報を提供して下さっているかねいちさんでおみやげ購入。
行きつけの中華やさんで食事、一柳さんを静岡駅に送る。
半端な時間が残った二人は涼を求めて小坂などうろうろ。
演劇 『五月雨』 演者・隼迅太
講義 「心霊術の夜明け」 吉永進一
『五月雨』も既見の「夜叉蓮華」の一断片。
迅太さんは小三治の面影がある良い役者さんだ。
で、吉永さんの講義。
これを聴くことが出来ただけでこの企画に参加した甲斐があったというモノ。
恐ろしくマイナーな分野のように見えながら、とんでもなく「歴史」の核心に迫っているのだと思う。十月に私が目論んでいる企画と直にリンクしてしまったので、こっちの計画を軌道修正しなければならなくなりそうだけれど、それは本当にありがたい話。
しかし、静岡清水、何という土地なんだろう。
アフター、またまた紀尾井。
久しぶりに佐久間さん参戦で盛り上がる。
帰宅後、すぐに就寝。
本日は朝食後すぐに静岡駅に送って解散、そのまま学校。
参加して下さった皆さん、有難うございました。
本当に濃厚で充実した四日間でした。
色々反省しなければならない事もありますが、私自身の勉強、という意味ではとても意義深く、収穫の多い企画になりました。
四夜連続 納涼怪談演講(演劇+講義)
というのが、13日から16日までありました。
正直ぐったりです。
インプット過多。
整理するのに時間がかかりそうだけれど、書かないと忘れそうなので、例によって“粗筋”だけ取りあえず。
13日(金)
既に昼間の記憶がない……。
夕刻、いつものように鶴岡法斎を出迎えに静岡駅へ。
そのあと会場(四日とも、馬場町会館。19時開演)。
この日の演目は
演劇 『白磁の茶碗』 演者・藤枝菊次郎
講義 「怪談演講」 鷹匠訓子
前座。土門土門衞門+エ土門。
芝居。菊次郎は本業が神官という変わり種の美形役者で、役者菊次郎を演じる。
講義。これは、芝居と講義の折衷なんだろうけれど語りの位置が不用意にぶれて落ち着きが悪い。体験談をどう語れば“リアリティ”を持てるのか、と言う視点でいえば明らかに失敗。
敢えて苦言というか、理解できなかったことを恥じることなく、解らないし、面白くなかった、という意見表明はしておくべきだと思う。
その上で、演出意図などについて議論が出来れば面白くなる。
この日は紀尾井さんの弁当付き。
家に帰ったのがそれなりに遅く、それからまた話し込んで遅い就寝。
14日(土)
遅い起床。
朝食を抜き、ブランチを焼津で、と思いついて大崩経由アクアスやいづ、じゃなくてうみえーる焼津(ツナコープの食堂が無くなってしまったのは本当に残念)の2階食堂へ。
駐車すると同時くらいに雨が降り始め、食事中土砂降り。この日は焼津の花火で、すでに場所取りのシートを拡げていた人たちもいて、大わらわ。
我々は窓全開で出かけてきたため、心配になって急いで帰宅。
まぁこの辺に住んでいる人には珍しくもない現象だけれど、バイパスに抜ける頃には雨が止み、トンネルを過ぎたら晴れていた。従って、拙宅は全く無事。こういう事もちょっと「意味」を持ってくる。
一旦学校に行き、資料準備の後出動。
演劇 『累ノ怪』 演者・鈴木大治
講義 「死霊解脱物語聞書」 小二田誠二
アヤメさんの芝居は累の話なんだけれど、「夜叉蓮華」の設定と「エクソシスト」からの引用が適当に混じっている。
私はその辺の絵解きを含め、「真景累ヶ淵」ではなく、「聞書」がどういう背景を持って生まれたのか、という話。
板本写本をそこそこ持っているし、20年近く前、高田先生たちとフィールドワークしたときの録音もあったので、結構材料は豪華なんだけれど、まぁ、変に奇を衒って自爆感満載(いまのところ、肯定的なブログが2件(RRDさん・kanagonさん)あってちょっと嬉しいんだけど)。
この日は寿司國さんの仕出しで交流会。
RRDさんと少し話できたのがありがたい。
これからよろしくお願いします。
15日(日)
これまでにも書いてきたことだけれど、鶴岡法斎は、「書物」講座の度に拙宅に泊まっていく。翌日授業がある時は教室に来て下さるし、私に時間があれば一緒に静岡の面白い場所に行く、ということを繰り返している。
→5月:「天人五衰」旧跡訪問・6月:由比正雪巡り・7月は土砂降りの中ホビーフェア訪問(記事無し)。
それだけでなく、拙宅でも、車中でも、彼との話はかなり多岐に亘り、深くて面白い。これはもったいないぞ、というので、ちょっと声を掛けてみたんだけれど食い付き悪し。ほんとに、事の重要性を理解してないよな~みんな、とか思いつつ、この日はボノ君と3人で、私にとっては宿願とも言える、あの「大井川娯楽センター」初訪問。
こう言う時には“運”が味方する。
今月出演しているのは大日方皐扇という、うら若い女座長(注意! 音が出ます)が率いる満劇団。
あとで検索して、この劇団の評価を読んで改めて納得するわけだけれど、本当にびっくりした。大衆演劇という文化がこういう形で存在することそのものにも感動したし、皐扇の美しさだけでなく、役者たちの型の見事さにも、まだ役もない子供の乱入さえも一種の演出のようにみせてしまう女系ファミリー劇団の力を感じさせる。劇場の方が言う通り、この日の演目「森の石松 えんま堂の最後」は、御当地モノというだけではなく、座長のオハコとのこと、若く美しい女性が石松に扮して芳幾ばりの血みどろ絵図を繰り広げる前でおばちゃんたちが食事しながら拍手を送る情景は衝撃的だ。
これは、ホールや新しいスーパー銭湯的健康ランドで見るモノではない。
静岡に戻る車中も、3人とも異様な興奮状態。
これは「ヤバイ」です。また行きます。
で、本題。
演劇 『十三夜坂』 演者・鷹匠訓子
講義 「ホラー・ジャパネスク」 一柳廣孝
『十三夜坂』も既にみろくさんぶで見ている芝居なので驚きは無し。これも「夜叉蓮華」の世界。
一柳さんとはかれこれ20年近いつきあいなのだけれど、こういう“芸風”だったとは、恐れ入りました。
4日間の中で一番怖かったのは一柳さんのお話しでしょう。
その上で、ちゃんと日本的娯楽ホラーの展開もばっちり。
ありがたい。
アフターは紀尾井。
なぜかウルトラセブン話で着いていけず。
疲れが溜まっているので帰宅後は割と早く就寝。
16日(月)
駅前のホテルに宿泊している一柳さんを起こして、清水山。
近くに駐車場がないので、相生町から徒歩。
ここには、この日、吉永さんの話題に登場する桑原天然の記念碑がある。
この碑を“再発見”したのは、アヤメさんと吉永さんなんだけれど、お二人は参加できず、私が案内人になって、一柳さん、法斎さんとともにうろうろ。最終的に発見できるのだけれど、その間に恐ろしく汗をかいた。
一度気づいてみれば、これになぜ目が止まらなかったのか不思議なくらい大きなモノなのに。
疲れ果てていたので、安立寺を表から眺めて春日町から日吉町まで静鉄電車。
車で石部へ。
この日は、石部宝珠院の閻魔様のお祭り。
これもずっと気になっていながら行ったことのない祭礼の一つだったので、時間は早くても行くだけ行ってみましょう、ということで強引に。
結果、準備作業中の奥さんが色々説明して下さった上に資料も戴くという幸運。
台座を含め一体になった三百年前の石の閻魔に、奪衣婆・地蔵、そして、見事な天井画。
再訪を期して、そこをあとにし、ネットで石部の情報を提供して下さっているかねいちさんでおみやげ購入。
行きつけの中華やさんで食事、一柳さんを静岡駅に送る。
半端な時間が残った二人は涼を求めて小坂などうろうろ。
演劇 『五月雨』 演者・隼迅太
講義 「心霊術の夜明け」 吉永進一
『五月雨』も既見の「夜叉蓮華」の一断片。
迅太さんは小三治の面影がある良い役者さんだ。
で、吉永さんの講義。
これを聴くことが出来ただけでこの企画に参加した甲斐があったというモノ。
恐ろしくマイナーな分野のように見えながら、とんでもなく「歴史」の核心に迫っているのだと思う。十月に私が目論んでいる企画と直にリンクしてしまったので、こっちの計画を軌道修正しなければならなくなりそうだけれど、それは本当にありがたい話。
しかし、静岡清水、何という土地なんだろう。
アフター、またまた紀尾井。
久しぶりに佐久間さん参戦で盛り上がる。
帰宅後、すぐに就寝。
本日は朝食後すぐに静岡駅に送って解散、そのまま学校。
参加して下さった皆さん、有難うございました。
本当に濃厚で充実した四日間でした。
色々反省しなければならない事もありますが、私自身の勉強、という意味ではとても意義深く、収穫の多い企画になりました。
昼夜問わず収穫があったのは本当に良かったと思います。
首突っ込んでみて、悪いことはない!
昔、大阪の新世界あたりを歩くと、そこら中に大日方満の名前がはってあって、芝居に興味がないので見なかったのですが、名前だけは覚えてしまいました。
大衆演劇の聖地、新世界にも一度どうぞ。
さすが!
大日向満は現在入院中とかで、この日は声だけ出演(断末魔の石松に聞こえる次郎長の声)でしたが、終演後に「外出許可が出た」とかで普段着で挨拶に来ていました。
大物なんだそうですね。
これから勉強します!
ボノ君、また行くぞ!