79年2月発売だと言うから高校生の時だ。
沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」の歌詞に『カサブランカ』の有名なセリフが引用されてることを知らない友達が居て、ちょっと得意げになりつつ、こういう愉しめる歌詞は良いなぁと思った。
と、ここまで書いて、一応確認、と思って歌詞検索……。
記憶違いでした。この歌には“ボギー”が登場するだけ。
その友達が“ボニー”って言ってたので指摘したんだった。たぶん。
映画『カサブランカ』のセリフらしい物が引用されているのは「憎みきれないろくでなし」(77年9月)。
勿論作詞はどっちも阿久悠。
ついでに言うと、山口百恵の「プレイバック part2」は、78年5月。作詞は阿木燿子。
これは「勝手にしやがれ」(77年5月)なんだけれど、実は正確な「引用」ではない。
そもそも「勝手にしやがれ」という歌詞はない。
*part1があるって知ってた?? 豆知識。3まであるらしいよ。
この手の遊びはTVなどでも色々やってた。
スピルバーグの『1941』も79年なんだな。
あのころはみんな“パロディ”でひとまとめにしてた気がするけれど。
引用やパロディとは違うけれど、歌詞と言えば、“いちご白書”や“ボブ・ディラン”は、流行歌の歌詞で知った。子供の私にとって、それは「教えられて判る情報」だったし、それが解らなければ歌詞の意味も読み解けないのだった。
こういうのが好物だったんだなぁ。
大学院に入って、ほぼ最初に書いた雑文も、典拠の話だ。
典拠研究を専門にするほど辛抱強い性格ではないので、授業や研究会がらみでしかそういう成果は出さないのだけれど、思えば私の「仕事」の中で、他の人にも役立っているのはそっちなんだな。
手柄話ついでに、『おくのほそ道』の頭の方に出てくる「行く春や」の句の典拠発見は多分私の書いた物の中で一番メジャーだけど、これ、演習の担当箇所だった、と言うだけで見つけたのだよね。
この短い文章は、題名に誤字がある情けない代物だし、もっと傍証を重ねて厚みを出さなきゃ、とは思うけれど、江戸時代文学の典拠研究の手続の見本みたいな物で、この手の研究で偉大な成果を挙げ続ける神谷勝広さんにもそれなりにインパクトを与えていたらしいことをあとで聞いて誇らしく思ったりもしたのですよ。
典拠と関係ない場合、たとえば初めて活字になった「権八長兵衛」でも「皿屋敷」それから「天一坊」にしても、みんな他の研究者が気にしてなかったいろいろを関連づけると言う作業で成り立ってるのね、私の場合。ある種の注釈ジャンキーだし……。
それをみんな一緒くたにして「引用」と言ってしまうと厳しいんだけれど、様々な材料を様々なレベルで「引っ張り用いてる」のは事実。
表現も認識も、結局の所「引用の織物」なのだと。
あぁ前説長すぎ。
すいません、また『転校生』。
この芝居はホントに「二一世紀の演劇はここから始まっていたのだな」状態のようで、検索すると山ほどのレビュー。それも殆どが絶賛。
私も分不相応に“関係者の知り合いが居る人”になり、“3度も観た”事を自慢するおじさんになってしまったわけで。
もうだいたい書き尽くしたような気分になっていたのだけれど、大事なことを抜かしていましたよ。
前の記事、「リアルの行方」の中で、模倣や引用の果てにと書くのには、前提が必要。
何を「模倣」「引用」したのか? その「意味」とは!!!
長くなったので一旦切ります。
まて! 次号!!!
*あぁ。私が発見したわけではありません。
先に謝っときます。
沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」の歌詞に『カサブランカ』の有名なセリフが引用されてることを知らない友達が居て、ちょっと得意げになりつつ、こういう愉しめる歌詞は良いなぁと思った。
と、ここまで書いて、一応確認、と思って歌詞検索……。
記憶違いでした。この歌には“ボギー”が登場するだけ。
その友達が“ボニー”って言ってたので指摘したんだった。たぶん。
映画『カサブランカ』のセリフらしい物が引用されているのは「憎みきれないろくでなし」(77年9月)。
勿論作詞はどっちも阿久悠。
ついでに言うと、山口百恵の「プレイバック part2」は、78年5月。作詞は阿木燿子。
これは「勝手にしやがれ」(77年5月)なんだけれど、実は正確な「引用」ではない。
そもそも「勝手にしやがれ」という歌詞はない。
*part1があるって知ってた?? 豆知識。3まであるらしいよ。
この手の遊びはTVなどでも色々やってた。
スピルバーグの『1941』も79年なんだな。
あのころはみんな“パロディ”でひとまとめにしてた気がするけれど。
引用やパロディとは違うけれど、歌詞と言えば、“いちご白書”や“ボブ・ディラン”は、流行歌の歌詞で知った。子供の私にとって、それは「教えられて判る情報」だったし、それが解らなければ歌詞の意味も読み解けないのだった。
こういうのが好物だったんだなぁ。
大学院に入って、ほぼ最初に書いた雑文も、典拠の話だ。
典拠研究を専門にするほど辛抱強い性格ではないので、授業や研究会がらみでしかそういう成果は出さないのだけれど、思えば私の「仕事」の中で、他の人にも役立っているのはそっちなんだな。
手柄話ついでに、『おくのほそ道』の頭の方に出てくる「行く春や」の句の典拠発見は多分私の書いた物の中で一番メジャーだけど、これ、演習の担当箇所だった、と言うだけで見つけたのだよね。
この短い文章は、題名に誤字がある情けない代物だし、もっと傍証を重ねて厚みを出さなきゃ、とは思うけれど、江戸時代文学の典拠研究の手続の見本みたいな物で、この手の研究で偉大な成果を挙げ続ける神谷勝広さんにもそれなりにインパクトを与えていたらしいことをあとで聞いて誇らしく思ったりもしたのですよ。
典拠と関係ない場合、たとえば初めて活字になった「権八長兵衛」でも「皿屋敷」それから「天一坊」にしても、みんな他の研究者が気にしてなかったいろいろを関連づけると言う作業で成り立ってるのね、私の場合。ある種の注釈ジャンキーだし……。
それをみんな一緒くたにして「引用」と言ってしまうと厳しいんだけれど、様々な材料を様々なレベルで「引っ張り用いてる」のは事実。
表現も認識も、結局の所「引用の織物」なのだと。
すいません、また『転校生』。
この芝居はホントに「二一世紀の演劇はここから始まっていたのだな」状態のようで、検索すると山ほどのレビュー。それも殆どが絶賛。
私も分不相応に“関係者の知り合いが居る人”になり、“3度も観た”事を自慢するおじさんになってしまったわけで。
もうだいたい書き尽くしたような気分になっていたのだけれど、大事なことを抜かしていましたよ。
前の記事、「リアルの行方」の中で、模倣や引用の果てにと書くのには、前提が必要。
何を「模倣」「引用」したのか? その「意味」とは!!!
長くなったので一旦切ります。
まて! 次号!!!
*あぁ。私が発見したわけではありません。
先に謝っときます。
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