コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

いくら目ん玉ひんむいても、見えねえものは見えねえんだけどなぁ。

2009-04-06 15:02:18 | 
「人の心が見えるんだよぅ」by『座頭市』でした。



目が開いていても見えないモノはあるし、目をつぶった方が見えるモノも、あるかも知れない。

前記事の妖怪談義との、妙な連続性。


昨日、写真家の杉浦慶太さんと話す機会があった。
去年のGEISAI銅賞の人。
前にスノドで作品は拝見したことがあって、やっぱり言葉では「なんかすごいな」としか言いようのないざわつき。


彼の作品をネットで見ても、真っ黒な画面しか見えない。

実際、大きな紙に印刷された作品を直に見ても、「目が慣れるまで」ただの黒い紙に見える。
しかし、そこには、はっきりと、森が写っている。

明かりのない闇の中で、藪や森の気配を感じる、その暗さそのものの写真。
これまた「リアル」という話だったり。

写真の技術的なことは解らないのだけれど、実際に撮影している時にはもう暗いわけだし、長時間露光してはぼやけてしまう。
木々の輪郭も奥行きも、シャープに捉えられて見入ってしまう。

暗視カメラでみえないものが見える、と言うことではない。

ただ、何ものかの潜む森の闇そのもの。

“気配”。
それを、“妖怪”にしてしまうことも出来る。
照明を持ってきて解明すること(それは、消し去ることかも知れない)も出来る。


しかし、“気配”そのものを、そのものとして持ってくる方法は、言葉にはないのかも知れない。



作品から想像できる作者のイメージにかなり近い理知的で言葉を選ぶ感じの“実物”と、ネットで観るワイルドな杉浦氏のギャップがちょっと面白かった。

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