『人間は考える葦である』というブレーズ・パスカルの言葉があります。
私はこの言葉を最初に聞いた時は、ただそんな言葉があるんだくらいにしか思わないで聞き流していました。しかし、飴屋先生の2011年11月9日のブログを改めて読みかえしてみて、その言葉の意味になるほどと思いました。先生はこうおっしゃっています。
「どうして人間はこうなってしまったのか――人間の絆は子孫まで。。。
人間は考える葦である
人間は考える動物だということだ。――考えない人間は動物として狂ってしまっているということである。
動物は考えなくてもごく自然に子孫のために一生懸命生きている。
人間はそうはいかない。
子孫のことを考えない人間は、人間ではないということがこれでわかるだろう。」
私は今まで『人間は考える葦である』という言葉の意味を考えないできました。飴屋先生は教えて下さっていたのに、興味を持てなかったのです。
でもこのように書かせて頂いたのは、考える機会があったからです。それは高校の数学の教科書でこの言葉を見つけたことでした。でも学校では言葉の意味は何も教えてくれず、ただ「こんな事を言った有名な人がいる」とだけしか教えてくれないのです。それを飴屋先生が書いてたのを見つけたので、皆さんにも何か考えるご機会になればと思いました。
人間は哲学することが嫌いになったと飴屋先生はおっしゃっています。私もその一人になってしまっていると思いますし、学校の先生もそうではないかと思います。本当の教育者とは飴屋先生のような方であって、学校の先生は本当に必要な力(総合力であり生命力)を教えてはくれないと改めて感じました。私はその狭間で、知識だけの学力を詰め込むのではなく、本来の教育を飴屋先生にこれからも教えて頂きたいと思っています。 舟山李生子