創る村から ~耕の会~

創る村から ~耕の会~ 己を耕し、世を耕す
21世紀平成の志士となるべく、日々修行と葛藤のスタッフブログ

天に登る龍

2012年09月12日 | つくアル


現在、外装工事中の『棟』
築30年が経った創る村のシンボルは
震災で外壁の大きなタイルが落下し、
壁には無数のひび、雨漏りもひどくなり
まさに満身創痍。
そこで、父とOさんが2人で毎日こつこつ
改修しているところなのです。

写真は屋上まで伸びるらせん階段
赤と緑(一部黄色)の和風テイストに
模様替えしました。

天に登る龍のようで、僕のお気に入りスポットです。

続・こけし返還式

2012年09月11日 | 日記
ようやく復活しつつある鈴太郎です!
そして、ようやくこけし返還式の記事も
みなさんにお届けできます。
いつも報告が遅れがちで申し訳ないです。。。

さて、返還式が執り行われた9月7日(金)は
見事な青天。絶好の天気となりました。
塩釜港で作者であるUさんと河北新報の記者さんと合流し、
意気揚々と市営汽船に乗って30分。
まだ工事中の建物が目立つ寒風沢島へと到着しました。
満面の笑顔で出迎えて頂いたのは、島の区長さん。
(※前回記事に載っていた方です)
とても気さくな方で、軽トラの荷台に乗せて頂いたのですが、
住民の方を見かける度にクラクションであいさつ。

島らしい温かくてのびのびとした空気を味わいながら、
流れ着いたという寒風沢海水浴場(震災のため海開き中止)へ到着。
チリ津波を偲んだ碑の横に、ポツンとたたずむこけしが…。
Uさんが駆け寄り、こけしの頭をなでながら「よく頑張ったなぁ」と
感無量の様子でした。
区長さんも、やっと持ち主に返すことができると、とても
喜んでおられました。
早速3人でこけしを囲んで記念撮影(記事用ですが笑)。
そして記者さんの横で僕が撮ったのが前回記事の写真です。

返還式は、帰りの汽船の都合で15分ほどで終了。
大事に大事に軽トラに乗せ、汽船に乗せ換えて
区長さんを始めお世話になった島の方に手を振りながら、
こけしと共に帰路に着いたのでした。

ようやく相棒のこけしと1年半ぶりの再開を果たした
漂流こけしは、仲良く老莱子の家玄関に飾られることに…

私感ですが、スロープを挟んで置かれた2体のこけしは
まるで織姫と彦星のよう。奇しくも返還式は7日…
様々な運命と奇跡が重なったこけし物語だったのでした。


翌日8日の河北新報朝刊に、カラーで返還式の記事が載りました。



右が漂流こけしです。

こけし返還式

2012年09月08日 | 日記
ご報告が遅れてすみません<(_ _)>
私は学校で浦戸での返還式には行けなかったので、兄に書いてもらおうと思ったのですが…。
ちょっと夏風邪が流行ってまして…みんな寝込んでしまいました(苦笑)
若い男衆が、困りますね(ーー;)
私情が入りまして申し訳ありません。

というわけで、写真だけアップします。
後日、更新するかもしれないので、その時はまたご覧頂ければと思います。
このこけしですが、創る村に戻ってからは「老莱子の家」のアートステージ側玄関に対で配置されました。
ご来訪された際には是非見て行って下さい(^-^)
愛嬌のある可愛いこけしです。


流されたこけしと見つけて下さった島の方(左)、飴屋先生(中央)、こけし製作者Uさん(右)




hunayama riuko

こけし

2012年09月06日 | お知らせ
先日、河北新報にどこかで見たことがあるこけしが載っていたのですが…それもそう、そのこけしは創る村のです(笑)
新聞に載っているのを見つけて下さったのは、こけしを制作したUさんでした。
その方から連絡あって新聞を見たらビックリ!
それは、3.11の津波で流された、創る村の看板こけしでした。
このこけしはガスボンべで出来ていて、制作したUさんが20年ほど前(?)に寄贈して下さったのです。
私たちも小さい頃から目にしていて親しみのあるものでした。
3.11の津波で流されたこけしは、一体は創る村の近くにあったので回収したのですが、もう一体が行方不明だったのです。
それが今になって、塩釜市浦戸の寒風沢で見つかったのでした。

このこけしですが、明日の午前中に島で返還式を行って下さるそうで、飴屋先生自ら受け取りに行かれます。
創る村に帰ってからも、帰還式を行う予定です。
今後どのように活用するかは思案中ですが、計画中の「こけし庵」(支援者の方から頂いた150体のこけしの館)の入り口に飾るのが有力です。

こけしの返還については、また明日ご報告致します。


連日載った新聞記事です。ご覧下さい。




hunayama riuko