セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

昭憲皇后の御歌-明治神宮宮司書 「睦」

2022-01-23 07:38:32 | 日記
当寺には戦前に書かれた明治神宮宮司の額があります。
熊本県の正法寺さんにも同じ書がありました。

当寺の額の画像も添付してあります。
ブログを書く前に、いろいろネットで調べてから書かれたのでしょう。

戦前の書の額であることは、間違いありません。先々代の住職の時からあります。
由来は聞いたと思うのですが、忘れてしまいました。
何かの講演を担当者として依頼したおり、書いていただいたのだと思います。





大文字は「睦」で、仲が良くて良いです。深い意味もあると思います。
小さな仮名文字は明治天皇の皇后・昭憲皇后の和歌です。

「み可〃須者 玉もか〃ミもも 奈尓可せん 学ひ乃道も 可くこ楚有 介連」(みがかずば、玉も鏡もなにかせん。学びの道も、かくこそありけれ)

下の印は、右が乾徳(けんとく)で左は?徳で、私には読めません。乾徳は天子の徳、進んでやまない立派な精神だそうです。

昭憲皇后は明治天皇の眠る伏見桃山陵隣の伏見桃山東陵に埋葬されました。
45年ほど前にお参りしたことを思い出します。

渋谷区にある明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祀ります。


明治神宮


熊本県の正法寺さん同じ額です。ブログlink



色々な方に依頼されて書いているのでしょう。
まだ各地にあると思います。


お寺の立場で夫婦別姓を考える

2022-01-15 08:33:34 | 日記
確か内閣府による4年前の発表によると、夫婦別姓が「賛成派(42.5%)が反対派(29.3%)」となったそうです。

私の意見は、お墓の継承がどうなるのだろうと心配がばかりで、気持ちの上で賛成反対が揺れ動いていています。
お寺の立場で言えば反対でしょう。



今では子供は娘ばかりの家も多く、○○家の墓となっているお墓では、お墓の継承が難しい場合があります。
長女のご主人が跡取り息子である場合もあるわけです。



以前ですが、あるお寺では両親とは別姓のご主人の葬儀を行いながら、いざ納骨の段にになると、「姓が異なるので納骨はさせない」と言われたことがあるそうです。
お墓は永代供養にし、別にお墓を求めるよう言われたそうです。

このようなことで当寺に来られたことが二件ありました。
1件は当寺の永代供養塔に先祖と一緒に納骨されました。
2件目は、相談者近くの断った同じ宗旨のお寺を私が薦め、先祖代々之墓と彫り、引き墓をしました。

今は時代が違います。
当寺でも子供がいない、娘ばかり、結婚しなかったなどの家では墓じまいをして、永代供養に変更した檀家さんもいます。他のお寺や霊園に行った家もあります。
ますます増えるでしょう。
廃寺とならないようにする為には、或いは遅らせるには、今までと同じ様な感覚でいるわけにはいきません。

娘婿の了解が取れれば、お墓の文字は「先祖代々之墓」と彫っていただくようにしています。
しかし、あくまでも苗字を入れることにする親御さん多いですね。

霊園などでは、「愛、憩い、雲」など自由に出来るメリットもあります。
しかし、ある方は近くの墓の方が新興宗教に入っていたため、ずっと団体で拝んでいることがあり、お墓参りに行っても、いやな気分で帰ることもあると話していました。

当寺の檀家さんですが、一件で三件のお墓を継承した家があります。
自分の家、奥さんの実家、叔母さんの家です。
どこも親戚が一緒にすることや、永代供養にすることを反対しています。

お墓を引き継ぐ人だけでなく親族も、苗字、お墓にこだわる人が一杯います。

夫婦別姓が当然の時代になると、お寺の過去帳は大変なことになります。
一家三代に苗字が異なる人が5名、祖父、祖母、父、母、嫁さん。
子供はどちらの姓を名乗るのでしょう。

さらに子連れで再婚、苗字を替えなかったらば?

郵便屋さん、宅配屋さん、学校、役場などなど、お寺でなくても混乱するでしょう。




三途川 臨死体験 奪衣婆

2021-10-23 07:48:43 | 日記
以前書いたブログに資料と文章を追加しています。

かつて一ヶ月の入院をしました。
よくお寺に来られる婦長さんが、この時の数値を見て「良く死ななかったわね!」と家内に言ったそうです。

退院後、十名以上の女性からから「三途の川を見ましたか?」と聞かれ、その中には5人が三途の川を見たと言っています。



私はそこまで行き着かなかったようです。
立ち話でしたので、詳しくは聞くことが出来ませんでしたが、3人が「回り中が光りに満ち、川の向こうは花が咲き乱れていました。」と話していました。

「子供の姿になっており、川の向こうには死んだはずのおばあちゃんが、こっちに来てはだめだと言い、行きたかったのに帰ってきた」と話していた方もました。

臨死体験は薬剤などの幻覚と異なり、冴えきった意識と記憶が残るのが特色のようです。
もっと聞きたかったのですが、お寺の行事で大勢人のいる場所でしたので残念でした。




宝勝寺姥子堂(うばごどう)の奪衣婆(だつえば)
場所

30年以上前にも二人の女性が三途の川を見たと話していたことを思い出します。
聞いた限りでは、奪衣婆に会った人は一人もいませんでした。




真言宗豊山派 宝勝寺 群馬県甘楽町大字金井375

20年以上前に聞いたことですが、ある男性は病院のベットで、自分が身体から離れ上から家族が嘆いている姿を見ていた。子供の身体に手を触れすてもすり抜けてしまったと言っていました。


立花隆著「臨死体験」シリーズ

立花隆氏の「臨死体験」を読むと、いろいろな体験が書かれています。

また、脳科学で解明しようとする立場の方々や、それでも説明できない多くの例も掲載されています。

私が聞いた三途の川を見たと言っている女性の内、3人が死が怖くないと話していました。
このような気持ちのを持てた方々は、病後の大変さがあったとしても、安らかに旅立つことができるのでしょう。

あまりにも不思議な経験に、誰にも言わずにいる方もいると思います。
異なった体験をした方もいるでしょう。

インドでは閻魔様の使いが迎えに来たと話す人が多いそうです。

夢と異なり、実際に見たように鮮明な世界と話している人が多いのです。
生還した人は、夢ではないと感じています。

脳科学で解明しようとする立場の方々や、それでも説明できない多くの例も掲載されています。
科学者は何が何でも脳科学の立場で説明できると研究している人もいるようです。

日経ナショナルジオグラフィック 科学的に説明 臨死体験で見る世界、背後に立つ幽霊

しかし、鮮明に見た世界を覚えているほど、脳が働いていると言えないなど、全てを説明できる訳ではないようです。
科学者の中にも臨死体験の研究を通して、死後の世界を信じるようになった人もいます。

私も来世は、お花畑と思うようになりました。
天国、極楽、浄土は同じ世界だと思っています。


観経曼荼羅巧芸品

私は信仰により自分たちだけが、そのような世界に行くとする考えはありません。
宗教、宗旨により異なる世界に行くのでなく、行ってみたら異なる信仰の知り合いが、同じ世界にいると話しています。

ある禅宗の僧侶は、檀家さんに骨となるだけで来世はないと言っていたそうです。
亡くなったご主人が、天国であるか極楽に行っていて欲しいとの思いがあったのでしょう。
当寺檀家さんの四十九日忌に参列した奧さんが、私の来世観を聞き涙を流していました。

色々な考えがありますが、相手を思いやる気持ちも大事だと思います。

しかし、まだあの世に行ったことがあるわけではありません。
行ったと話していた方の記事を読んだことがありますが、これも臨死体験だったのでしょう。


※追記

平成11年11月に「さいたま川の博物館」へ行きました。
「三途の川展」が開催されていました。

さいたま川の博物館 ホームページlink




まだ入院するズッと前になります。



何と三途の川は縄文時代にもあったのです。



今はダムの底になっている「奥三面遺跡群」があります。
三面川(みおもてがわ)の近くに住居域と配石遺跡群・墓地があり、三面川から人工の川を掘っていたのです。
この人工の川が三途の川の意識を知る大事な遺跡であることを知りました。

※伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の説話が、日本書紀に書かれています。

伊弉冉が亡くなり、伊弉諾が黄泉の国まで追いかけていったのですが、伊弉冉の醜くなった姿を恐れ逃げ帰りました。
ここでも三途の川を彷彿させる描写があります。
帰りに禊ぎをした場所が、三途の川だったのかも知れません。
違うと言われるかも知れませんが。


病後の体力・記憶力の低下は、隠しようがありません。
ぼけがあまり進まないように、ブログも続けたいと思っています。


勝軍地蔵の掛軸

2021-05-23 07:36:19 | 日記
私が都内港区愛宕の勝軍地蔵(秋葉権現)を調べる過程で求めた掛軸です。真福寺ブログlink

他の勝軍地蔵掛け軸のほとんどは、真福寺に納めさせていただきました。勝軍地蔵ブログlink

この掛軸は私のお気に入りの大津絵です。小さな画像で見ると良さが分からないと思います。
お寺の行事の折に飾る予定にしています。





昨日、この絵を描かれた志波芦航(ろこう)先生(女性画家)から、お電話をいただきました。
ご親戚の方から、当寺ブログを印刷して、知らせてくれたそうです。

元々は書家でした。
普通の大津絵と異なり筆に勢いがあるのは、書家としての筆さばきが生かされているからでした。
先祖は鍋島藩の奥右筆で、DNAを今でも引き継いでいるようです。
大津絵専門の作家からは、大津絵ではないと言われそうな作品です。

また、ご親戚には奈良の有名寺院の長老などもいるそうです。

都内ではの三越、大丸、あるいは帝国ホテルで個展を開いたと話していました。

今年も三越などで個展の依頼があったのですが、コロナのためにお断りしたそうです。
都内で個展を開かれるときは、知らせていただくようお願い致しました。

関西にお住まいとのことでした。
是非お越しくださいと言われましたが、持病持ちの私では、とても自信がありません。