当寺の大黒天です。
札所の七福神ではありません。
にこやかなお顔になる以前の像で、江戸初期の御尊像と話す仲間がいました。
恵比須大黒として祀られるのを見たことが多いと思います。
しかし、本来の大黒天は恐ろしい神でした。
日本では大国主と習合し、福神と変わっていきました。
この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。
特に明治以降は、赤痢などの疫病流行のおり、摩多利神(忿怒相の三面大黒天) としても信仰されました。
あえて悪神である神を祀り、病気の平癒を祈ったのです。
摩多利神ブログlink
民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、「三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。」とあります。
庚申信仰では、青面金剛に似た像を本尊としています。
三宝荒神とも同じようなお姿をしています。
日本独特の信仰です。
この姿を見たチベットの方が、「マハーカーラ(摩訶迦羅天)だ ! 」と言ったそうです。
比べてみると、確かによく似ています。
マハーとは「大 」、カーラとは「黒 暗黒」の意味です。
青面金剛
図の下に三猿が描かれています。
手に髪の毛を捕まれた人間が描かれています。
庚申塔
青梅市の宗建寺
寄居町の少林寺
五百羅漢と千体荒神が祀られています。
本庄市の成就院
たくさんの庚申塔が祀られています。
庚申信仰の盛んな地域だったのでしょう。
マハーカーラ、庚申、、青面金剛、三宝荒神は似ているのが分かります。
札所の七福神ではありません。
にこやかなお顔になる以前の像で、江戸初期の御尊像と話す仲間がいました。
恵比須大黒として祀られるのを見たことが多いと思います。
しかし、本来の大黒天は恐ろしい神でした。
日本では大国主と習合し、福神と変わっていきました。
この三面大黒天(摩訶迦羅天)は天部の神で、三面六臂の憤怒相、象の皮を背後に広げ、羊と人間を両手でぶら下げ、剣を横に持ったお姿です。
特に明治以降は、赤痢などの疫病流行のおり、摩多利神(忿怒相の三面大黒天) としても信仰されました。
あえて悪神である神を祀り、病気の平癒を祈ったのです。
摩多利神ブログlink
民俗学伝承ひろいあげ辞典の資料に、「三面暴悪の大黒天を中心に周囲に八天女を配した曼荼羅、この八天女を七母女天(摩怛利神)・梵天女とし、摩多羅神を摩怛利神として供養する摩怛利神法が修法された。」とあります。
庚申信仰では、青面金剛に似た像を本尊としています。
三宝荒神とも同じようなお姿をしています。
日本独特の信仰です。
この姿を見たチベットの方が、「マハーカーラ(摩訶迦羅天)だ ! 」と言ったそうです。
比べてみると、確かによく似ています。
マハーとは「大 」、カーラとは「黒 暗黒」の意味です。
青面金剛
図の下に三猿が描かれています。
手に髪の毛を捕まれた人間が描かれています。
庚申塔
青梅市の宗建寺
寄居町の少林寺
五百羅漢と千体荒神が祀られています。
本庄市の成就院
たくさんの庚申塔が祀られています。
庚申信仰の盛んな地域だったのでしょう。
マハーカーラ、庚申、、青面金剛、三宝荒神は似ているのが分かります。