セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

妙見神社の石仏

2021-05-30 07:49:26 | いろいろ
つくばみらい市の妙見神社です。
廃仏毀釈以前は妙見菩薩をお祀りする御堂だったと思います。




お社裏手のお堂には、弘法大師の石像が祀られていました。
真言宗関連だったのかも知れません。




更にその右手には、石仏や石塔が並べて祀られていました。




庚申塔(青面金剛)像は二体あります。




13年前に他の寺社と共に参拝致しました。
今ならば圏央道と常磐自動車道を使用し近くまで行けますが、当時はかなり時間がかかった記憶があります。

今なら谷和原ICから、すぐ近くです。


福禄寿の掛軸

2021-05-29 07:40:18 | 仏像
当寺は七福神の「福禄寿」札所になっています。
福禄寿は中国の神様で、七福神の寿老人と同じです。
南極老人星(カノープス)の化身です。

お正月の御開帳時期には御尊像だけでなく、色々な仏画を掛けて楽しんでいただいています。
この掛軸は7年程前に求めました。





印がありますが作者は分かりません。

何年に御本堂に掛けたかと思い調べましたが、お正月には掛けてなかったようです。

私の好きな掛軸です。


川角古墳群と延慶板碑

2021-05-28 07:39:22 | いろいろ
毛呂山町川角の鎌倉街道沿いには古墳群があり、崇徳寺跡もあります。



貞治二年(1363年)の苦林野合戦で崇徳寺はやけてしまいました。

この林の中に古墳群がありました。



川角に隣接する大類にも古墳群があります。
大類では気がつきませんでしたが、ここでは古墳の上にひかれた石が残されていました。



ここ以外にも全ての古墳に石が覆っていたのか分かりません。
これほど残されていたのを見るのは初めてでした。


崇徳寺跡にあった板碑が移されて祀られています。かつて延慶板碑の下には蔵骨器がありました。
共に埼玉県指定文化財に指定されています。




下の説明板以外にも「沙弥行真」「朝妻氏女」と彫られているようです。




以前行った大類の古墳です。



十社神社のまわりに、たくさんの古墳が残されていました。

川角も大類も残されているのは一部のみだと思います。
他は畑などにされた折に、平にされているようです。



2014年の月食

2021-05-27 07:46:04 | いろいろ
2014年10月8日の月食です。
昨夜は曇りのため見られませんでしたので、古い写真です。



じょじょに欠けていきます。



さらにと頑張っていると電話がありました。



重要な内容でしたので、撮影もここでお終いになりました。残念。
写真は切り取っています。

当時たまに使用していたズームレンズでの撮影です。
月食での使用方法が分かりませんでしたので、全てオートでした。
単なるピンボケ写真ですが、そこそこ撮影できて嬉しかったのを思い出します。



三面馬頭観音石仏

2021-05-26 07:49:32 | いろいろ
毛呂山町歴史民俗資料館の前を東に行くと、吉田モータースがあります。
その手前を左折すると、三面馬頭観音石仏が祀られていました。




狭い道ですので、注意が必要です。




正面のお顔は厳しい表情ですが、左右は慈悲深いまなざしをしています。






目視だけでは年号など読めませんでした。




大類信号から一歩先の道を左折すると、近くには地蔵菩薩が祀られていたようです。
よく調べておけば良かったと思います。