田園 里山 野鳥そしてアルプスの山々

日進市と近隣の里山、春から秋にはアルプスの山々を歩いて感じたこと、考えたことなど・・・

佐布里(そうり)池の梅、 ”歌よみに与ふる書”、そして岡田の街並み

2012年03月08日 | 季節

知多半島・知多市にある佐布里池は梅の名所。今冬は気温が低かったせいか、開花が遅れていました。ようやく満開近しという情報を得て、妻と二人で出かけてきました。下の写真はレストラン、売店、案内所のある「梅の館」前の梅と菜ノ花畑です。円内はそこから少し奥に入った、池畔の紅梅。 花粉症の私でもわかるほど、梅林にはよい香りが漂い、ウィークデイにもかかわらず園内は人で溢れていました。

”梅” というと思い出すのは、古今集を痛烈に批判し短歌の革新を唱えた正岡子規の「歌よみに与ふる書」。

その5節に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)批判が出てきます。

前半は百人一首にある有名な歌、”心あてに折らばや折らむ・・・” の批判ですが、後半の一節をここに引用してみます。

 

” 「花の匂」などいふも大方は嘘なり、桜などには格別の匂は無之、「梅の匂」でも古今以後の歌よみの詠むやうには匂ひ不申候。

   春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るゝ

「梅闇に匂ふ」とこれだけで済む事を三十一文字に引きのばしたるご苦労さ加減は恐れ入った者なれど、これもこの頃には珍しき者として許すべく候はんに、あはれ歌人よ、「闇に梅匂ふ」の趣向は最早打ちどめに被成(なされ)ては如何や。”

高校生のころに初めて読んで、主張の明快さと舌鋒の鋭さ、候文の調べの良さに引き込まれたものでした。

 

さて、佐布里池から 2 km ほどのところに知多木綿発祥の地、「岡田の古い街並み」があります。黒板塀の民家が道の両側に並び、昔日の町の面影を残しています。

この写真の建物は明治時代に建てられた洋館風で、現在も岡田簡易郵便局として使われています。左奥にはなまこ壁の土蔵も見えています。郵便局入口向かって右側に赤い丸型ポストが見えますが、明治から戦後にかけて使われていたタイプ。その後次々と四角いポストにとってかわられ、全国的にも数少なくなっているそうです。「現在東京23区では4つしか残っていない」と Wikipedia に書いてありました。