田園 里山 野鳥そしてアルプスの山々

日進市と近隣の里山、春から秋にはアルプスの山々を歩いて感じたこと、考えたことなど・・・

愛知用水 これはサイフォンでしょうか?

2012年03月13日 | 日進・東郷・三好

3年ほど前、ウォーキングを始めた頃のことです。ある朝、高さ20m ほどの崖の横にある坂道を、何人かの人がウォーキングして下ってくるのを見かけました。何があるんだろう?と思って坂を登ってみると、崖の上からコンコンと水が湧き、流れ出しているではありませんか。

「こんなところに水の流れが」と驚いたものです。それが愛知用水との出会いでした。

  愛知用水 ‐ 高さ20mの崖上の湧きだし口(出口)

場所は愛知郡東郷町。和合ゴルフ場の裏手になります。

和合コースは中日クラウンズの会場。あの石川遼が2年ほど前に世界最小ストロークを記録したゴルフ場です。

見晴しが良く、野鳥との出会いも豊富な愛知用水沿いの道は、その後、折戸川と共に 私の”お気に入りウォーキングコース” の一つとなっています。

ところで、「崖の上からコンコンと水が湧いて・・・」と書きましたが、水流の入口は、出口から直線距離にして240 m ほど離れたもうひとつの崖の上。入口と出口の間には県道 218 号線、田んぼ、細い農業用水があり、愛知用水はトンネルでその地下を潜っているのです。

入口に行くと、「和合第二サイホン」と書いてあります。

「サイホン」という呼び方に違和感があり、少し調べてみました。

谷や道路や別の川の流れを横切って用水を通すとき、空中を渡すのは水道橋と呼ばれています。ローマやニームの壮大なスケールの水道橋を思い出す方もいることでしょう。反対にトンネルで地下を通すのを「サイホン」あるいは「逆サイホン」と呼ぶことがあるようです。

           

上図上が本来のサイフォンです。閉じた配管の中が水で満たされているとき、配管の途中が入口より高くても、入口、出口の圧力(気圧)差で水が流れる、というのがサイフォンの原理です。途中の閉じた配管をいったん水で満たす必要があり、配管上部の空気をポンプで抜くなどの特別な工夫が必要になります。しかし、下の場合は入口の水面より高い場所が配管にはなく、入口に水を流せば「水は低きに流れる」という単純な原理で自然に流れていきます。特にサイフォンとか逆サイフォンというほどのことはないようにも思えます。

それにしても、「崖の上から突然滔々たる水の流れが始まる」ことに少しばかり驚き、感動しました。

愛知用水にはいくつか不思議に思っていることがあります。そのうちの一つが下の写真の "571.0" という数字です。

50m ごとに数値が記してあるのですが、なぜか数値の単位は 100m になっています。つまり、"571.0" というのは 57.1km を示しているようなのです。愛知用水は兼山というところで木曽川から取水しているのですが、57.1km はこの取水口からの延長距離と推察されます。

なぜ km 単位でなく、 100m が単位になっているのでしょうか?

愛知用水は知多半島先端部まで流れ、農業、工業用水として利用されています。先日訪れた佐布理池はその溜池の一つで、そこに「水の資料館」があり、愛知池についても様々な展示や説明があります。そこのスタッフの人にこの疑問をぶつけてみました。その方もはっきりしたことはわからないようでしたが、「長い距離を小さな勾配で流すため、50m か100m という短い距離毎に勾配測定をした名残りではないでしょうか?」とのことでした。

愛知用水の日の出と、"サイフォン" の動画を YouTube に投稿しました。

http://youtu.be/vZeLndvSyP8

投稿して知ったのですが、notosanchi さんが同じような動画を一昨年7月にすでに投稿されていました。

   

 

 


佐布里(そうり)池の梅、 ”歌よみに与ふる書”、そして岡田の街並み

2012年03月08日 | 季節

知多半島・知多市にある佐布里池は梅の名所。今冬は気温が低かったせいか、開花が遅れていました。ようやく満開近しという情報を得て、妻と二人で出かけてきました。下の写真はレストラン、売店、案内所のある「梅の館」前の梅と菜ノ花畑です。円内はそこから少し奥に入った、池畔の紅梅。 花粉症の私でもわかるほど、梅林にはよい香りが漂い、ウィークデイにもかかわらず園内は人で溢れていました。

”梅” というと思い出すのは、古今集を痛烈に批判し短歌の革新を唱えた正岡子規の「歌よみに与ふる書」。

その5節に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)批判が出てきます。

前半は百人一首にある有名な歌、”心あてに折らばや折らむ・・・” の批判ですが、後半の一節をここに引用してみます。

 

” 「花の匂」などいふも大方は嘘なり、桜などには格別の匂は無之、「梅の匂」でも古今以後の歌よみの詠むやうには匂ひ不申候。

   春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るゝ

「梅闇に匂ふ」とこれだけで済む事を三十一文字に引きのばしたるご苦労さ加減は恐れ入った者なれど、これもこの頃には珍しき者として許すべく候はんに、あはれ歌人よ、「闇に梅匂ふ」の趣向は最早打ちどめに被成(なされ)ては如何や。”

高校生のころに初めて読んで、主張の明快さと舌鋒の鋭さ、候文の調べの良さに引き込まれたものでした。

 

さて、佐布里池から 2 km ほどのところに知多木綿発祥の地、「岡田の古い街並み」があります。黒板塀の民家が道の両側に並び、昔日の町の面影を残しています。

この写真の建物は明治時代に建てられた洋館風で、現在も岡田簡易郵便局として使われています。左奥にはなまこ壁の土蔵も見えています。郵便局入口向かって右側に赤い丸型ポストが見えますが、明治から戦後にかけて使われていたタイプ。その後次々と四角いポストにとってかわられ、全国的にも数少なくなっているそうです。「現在東京23区では4つしか残っていない」と Wikipedia に書いてありました。

    

 


松代 - 古戦場、真田家、象山地下壕

2012年03月04日 | 旅行

富山への途上、少しまわり道をして、長野駅からバスで松代を訪れました。

川中島古戦場に近く、長野電鉄の駅のすぐ裏に松代城(写真下)があります。

武田信玄によって築城された海津城がその前身と言われています。江戸期になって上田から移封された真田家がここを居城とし、18世紀の初めに松代城と改められ、明治初頭まで続いたとのことです。

川中島の合戦は全部で5回にわたるそうですが、最も有名なのは4回目の戦い(1561年)。山本勘助の啄木鳥の戦法の裏を搔いた謙信が八幡原の信玄本陣に迫り、激戦のうちに勘助らが戦死したと伝えられる戦いです。

真田藩の文武学校や真田邸など、古い建物が並び、趣ある街並みが続きます。

上の写真は何と松代小学校の塀。こんな学校で学ぶ小学生はきっと情操豊かな子供として成長することでしょう。道路を挟んで向かいが真田邸です。

真田邸の内部や庭にも興味深いところがたくさんありました。土蔵がいくつかあり、そのひとつでボランティアの人たちが紙切り、木綿の古布を使った草履編みの体験指導をしていました。ふと気がついて、「妻女山はここから見えますか?」と訊ねると、「ここからは見えないけれど、あの山の裾のほうだ」と教えてくれました。

 

駅の近くからその方向を見たのが上の写真です。右下の矢印のあたり、さらに低いところの台地が妻女山のようです。ただ、謙信が本当にここに陣を敷いたかどうかについては異説があるようです。

妻女山―海津城は 2.4 km、妻女山―八幡原が 2.7 km、海津城―八幡原は 3.5 km 。 この領域で両軍合わせて3万を超える軍勢が戦ったことだけは間違いがないことでしょう。

         

町のはずれに「象山」という山があり、そこに太平洋戦争末期に天皇と大本営を移し本土決戦を企図した名残の象山地下壕(写真上)があります。見学が許される部分だけでも入り口から往復1km。総延長は10 km以上という規模です。

昨年友人の案内で訪れた陸軍登戸研究所(風船爆弾の開発などで知られる)も、最終時期には松代への移転が検討されていたと聞きました。

この町は、幕末に活躍した佐久間象山が生まれ、活躍した町としても有名。今回は時間がなく、象山記念館訪問は次回にとっておくことにしました。

中世、近代、現代と、さまざまな歴史に綴られた松代の地は、町を囲む山々の自然とともに、多くの魅力にあふれた地、という感慨を持ちながら富山へ向かいました。

    

 


上野・不忍池のカモたち

2012年03月01日 | 野鳥

半年ぶりに仕事の関係で東京に出かけました。仕事の合間にキンクロハジロに会いに、不忍池に行ってきました。例年に比べ少ない感じがしますが、相変わらずハシビロガモ、ホシハジロなど、多くのカモやユリカモメが遊んでいました。

        不忍池のキンクロハジロ

池畔を歩くとキンクロハジロが追いかけてきました。。

      オナガガモ

上の写真は雄のオナガガモですが、携帯でこんなにはっきり撮れる距離に近づくことができます。ここの鳥たちは近づいても逃げないのです。人々が餌を与えるせいでしょうか?

餌付けについては様々な問題があり、自然保護の観点からはよいこととはされていません。ここにも下のような看板が置かれていました。

       餌付けをしないように注意する看板

野鳥に親しむことはよいことなのですが、安易な餌付けはかえって自然を損なう結果になるということのようです。

 玖々山