「ピエロ」の独り言

四国の山の中、久万町に住む「ピエロ」。人は皆「道化師」です。独り言を掲載します。

「シオじい」他界す。

2015年09月20日 15時23分01秒 | 政治に物申す


【今日の写真】 
 今日の写真は、先日、近くに飛んできた「ヤマガラ」です。この画像は少し前のものですが、今日も目の前に飛んできました。人馴れしているようにも見えました。餌になる「ひまわりの種子」等持っていれば手から餌を啄ばむことは、そんなに難しいことではなさそうです。


【私的な出来事と体調】
 今日も、埼玉から来た妹と家内は、笑い声とともに話が弾んでいるようです。
20年も前の「作詩」を披露したりしています。
 筋雲のヴェールが空に拡がっています。「天高く○○肥ゆる秋」です。でも急に気温が低くなってきているようです。
 「扇風機」と「暖房器」の出番の交替時期も間近なようです。
 マイコンディションは体重が75.8kg(+200g)、体脂肪率23.8(-0.4P)です。


【ご苦労様】テレビ朝日系(ANN) 9月20日(日)5時51分配信
 『「塩爺」塩川正十郎氏逝く 93歳 財務大臣など歴任』
 小泉内閣で財務大臣を務めるなど自民党政権で要職を歴任し、「塩爺」の愛称で親しまれた塩川正十郎氏が19日午前、亡くなりました。93歳でした。

 死因は肺炎で、午前10時15分、大阪市内の病院で亡くなりました。1967年の総選挙で初当選した塩川氏は文部大臣や官房長官を歴任し、2001年に発足した小泉内閣では79歳で財務大臣に就任しました。小泉総理の「後見人」と呼ばれ、影響力を発揮したほか、塩爺の愛称で親しまれました。2003年に政界を引退した後は、東洋大学の総長を務める傍ら政治評論家としても活躍し、最近まで地元・大阪と東京を行き来する生活を送っていたということです。


* 「しおじい」とよばれた、本当の意味での「親しみやすい政治家」の一人でしたね。今の誰かさんとは一味も二味もちがいますね。「大衆の意見に耳を傾けた姿勢」これこそ本物の政治家でした。

コメント
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