新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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この問題はそれほど単純ではないからね(メモ)

2011年12月06日 | 革命のディスクール・断章
 「ブランキスト」というのが、左翼デビュー間もない私に与えられたレッテルだった。武装闘争のあり方をめぐる論争で、〈偉大な革命軍〉を〈児戯に等しい〉と嘲り笑ったのだ。おれならもっと上手くやってみせる、と。

 そりゃあ怒られるよね。

 ブランキストは、マルクス主義左翼の世界では、「悪の代名詞」だった。主流派と反主流派が、お互いがお互いに「ブランキスト」と罵倒しあっていた。誰もブランキなんか、読んだことないのに。

 マルクス派にも、ブランキを正しく理解していた人はいた。ローザ・ルクセンブルクは、プレハーノフがレーニンを「ブランキズム」と批判したとき、二段構えの反論を行っている。第一にエンゲルスが規定したブランキ理解は歪曲された不当なものであり、第二にこのエンゲルスによる不当なブランキ規定にさえレーニンはあてはまらないというものである。

 さて、実際のブランキはどんな人物だったのだろう。

 〈祖国あやうし〉クラブを訪ねた若き革命家ジュール・ヴァレスが記したエピソードを引用しておきたい。革命をになうのは、いつだってドゥーマ(議会)の外にある革命的人民大衆なのだ。

 「わたしが着いたとき、彼(ブランキ)は手に鉛筆を握って宣言文を練っていた。彼は早速わたしにそれを読んで聞かせてくれた。

 これは祖国の名において、彼と国防政府との間で調印された休戦協定だ。
 わたしはいどむように顔をあげる。

 〈わたしが間違っていると思うかね?〉

 〈ひと月たったら、あなたはまた匕首を抜くことになりましょう!〉

 〈彼らがそうなるように望んだときはだよ〉

 〈せめて、このおだやかな声明に、一句入れて強めていただきたいのです〉

 〈よかろう……なんと入れればいい?〉

 わたしはペンをとって、〈いまただちに警鐘を打ち鳴らさなければならない〉と付け加えた。

 〈そうだ、それで結びができた〉

 しかし彼はやはり思いなおして意見をかえた。頭をかきながら、〈この問題はそれほど単純ではないからね〉と言った。

 これが人民蜂起の亡霊、黒い手袋をはめた熱弁家、シャン・ド・マルス(パリ練兵場)で十万の人間を煽動した人物、ヴェルサイユのスパイ、タシュローの資料では裏切者に仕立てあげられている人である。」

 このヴァレスが書いたパリ・コミューン成立集会に寄せた詩文もほんとうにすばらしいのだけれど、また今度機会があればね。

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